こんにちゃちは、猫月です🐱
「ちゃんと座って」
「自分で食べられるでしょ!」
「泣かないでお口で言って!!」
なんて言葉を、親子でも保育でもよく耳にするなぁ
と思うのは私だけでしょうか

猫さん…それ、何してるんですか?
ひざに座らせたまま給食を食べさせて……

何って、食事の援助だよ
ひざに座りたいって言うから、「どうぞ」って
そしたら、イヤイヤやめて食べてるの

いやいや…その子、もう2歳ですよ?
どうしてひざに座らせてるんです?
自分で食べられるはずです

イヤイヤってずっと泣いてるよりもさ、
ひざ上でも“食べられる”方が良いと思うんだよねー
これはある日の給食での一場面ですが、
あなたはどう感じられましたか?
「それは子どものワガママでしょ」
「まぁ、食べないよりはマシかな……?」
「やればできるなら、それを引き出すのが保育士でしょ!」
などなど、いろいろな感想があると思います
もちろん、私の対応が正解ではありません
“more Better”を考えたら、他の方法も見つけられるでしょうね
ただ、そのときの私は、
「イスに座って食べられない」ではなく、
「ひざに座れば食べられる」と、その子の姿を見ていました
今回は、子どもの姿をどの視点で見るかというお話です
「やればできる」は、「いつでもできる」とは違う

以前の記事でも、ふれていますが、
私は「やればできる」は“いくつかの条件が揃えばできる”だと捉えています
例に挙げた子で言えば、
自分でイスに座って食事をするのは、
それなりに整った場面でならできるってことですね
だから「今日は、何かが違うんだろうなぁ」と受け入れたのです
こういう「できるのにやらない」という子どもへの目線、
実は結構多いと思っています
こういうのって、“できる”を満点として、“できない”ことを減点して見てるとも言えます
・イスに座れなかった
・自分で食べられなかった
・泣いて、言葉で伝えなかった
こういう「できなかった」視点で関わると、大人も子どもも疲れるんですよ
一方で、
・泣いて気持ちを表現できた
・ひざに座れば落ち着けた
・保育士の援助で食べられた
と、0から積み上げるように見れば、その子が今“できている”ことが見えてきます
その子が0歳だったら、どう見るだろう?
少し思い出してみてください
目の前で赤ちゃんが泣いています
「お腹が空いたのかな?」
「もう眠いのかな?」
「暑いのかな?」
声にならない訴えを、大人は必死に読み取ろうとしますよね
泣き方のちょっとした違い、体の動かし方、視線の向き──
あらゆるサインをかき集めて、
「この子は今、何を伝えたいんだろう?」と考えますよね
そして、子どもが視線や指差しなどで意思表示をするようになってくると、
その成長を大いに喜んだと思うのです
そうやって0から積み上げるように子どもを見ていたのに、
話すのが当たり前になってくると、
いつの間にかこう応えるようになっていませんか?
「お口で言って」と
ぐずったとき
泣いたとき
欲しいものを指さしたとき
「言葉で言えるでしょ」
「ちゃんと話して」
言葉を育てるのは大切なことだし、
自分の気持ちを言語化する力は、
これからの人生でとても重要になる
ただ、気になることがあって
乳児のころは、「伝えようとしている」を成長と捉えていたのが、
幼児になると「ちゃんと言わない」と受け止め方が変わっていませんか
「できない」と見るか、「できる」と見るか
ここで、今回の記事のテーマに触れますね
子どもの成長を見る時に、
「できるようになった」と感じるか
「まだできていない」と感じるか
これを別の表現をすると
「加点法」「減点法」と言います
テストで例えるなら、50点を取った時に
「0点から50点取れるようになった」と感じるか
「100点まで50点足りなかった」と感じるか
先ほどの言葉での表現に置き換えると
「喋れなかった子が伝えようとしている」と感じるか
「大人と同じように伝えてくれない」と感じるか
そういう捉え方の話ですね
どちらが正しい、というわけではありません
ただ、どちらの目線で見るかで、見える子どもの姿がまったく変わってくるんです
そして、子どもとの向き合い方にも影響してきます
2歳児の「いらない」の話
少し、我が家の話をさせてください
子ども2歳のころ、某テーマパークへ行ったときのこと
おもちゃのコーナーにサンプルが並んでいて、
うちの子はおもちゃでしばらく遊び続けました
正直、「時間がもったいない」と思う気持ちはありました……
せっかくのテーマパークです、他にも行きたいところはたくさんある
「早く行こうよ」「もうおしまいにしよう」──と言いたくなる場面です
でもそれは、大人の事情ですから
「なんか、幼いながらにいろいろ試してるな〜」と、
感心しながら子どもの事情を優先してみたのです
そこそこの時間が経って、
そこまで遊びこむなら、ひとつくらい買ってもいいかな?
「どれか気に入ったの、買って行こうか?」と尋ねてみました
うちの子の答えはこうでした
「んー、いらない」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔って、ああいう時を言うんでしょうね
驚きと同時に「ちゃんと吟味してたんだ」と大きな成長を感じたのです
(おもちゃを欲しがるものだ、という自分の思い込みにも気づきましたね)
もしあのとき、
「言うことを聞かない」「わがまま」と減点法で見ていたら、
この場面はただの「困った出来事」で終わっていたと思います
「好奇心を発揮している」「自分なりに試している」と加点法で見ていたから、
我が子の探求と「いらない」という自分の答えを出すまでの、成長過程が見えたわけです
子どもは何も変わっていない
違ったのは、大人の見方だけなんです
0ベースから見ると、子どもの成長がよくわかる
赤ちゃんのころ、私たちは自然と加点法で見ていました
「笑った!」
「寝返りした!」
「立った!」
何ひとつできなかった0の状態から、
ひとつひとつ積み上げていく姿を、ただ純粋に喜んでいました
子どもが成長するにつれ、できることが増えてくる
だから少しずつ「できて当然」が積み重なって、
いつの間にか100点から引き算するようになっていく
それは自然な流れかもしれない
でも時々、あのころの目線を思い出してみてほしいんです
冒頭の給食の場面でいえば、
「ひざに座れば食べられる」は、0からの積み上げです
「イスに座って自分で食べる」という100点から見たら、ずいぶん遠いように見えるかもしれない
でも「今日のこの子に何ができるか」を0から見たとき、
ひざの上という安心の中で、半分食べられた
それは、十分な”できた”なんです
ここで勘違いして欲しくないのは、
「この子はひざに座らせれば、ご飯を食べるんでしょ」
と事象を誤解してしまうことです
実際、その時に一緒に組んでいた後輩は
その子が「食べない」と主張した時に、
ひざに座らせようとして、猛烈に拒否されていました
大事なのは、その子の力を認めつつ、
その時点での力を発揮できる、環境や雰囲気を整えることですからね
こればかりは、同じ子でもその時点でのオーダーメイドが必要なのです
※ちなみにその日は、カレーのジャガイモが嫌だったようで、除けたら自分で食べていました
「ここまではできるんだよねー」
「これはどうしようか。自分でやる?それとも手伝う?」
子どもの「できるようになった」を共有しながら、
それでも「今回はどうする?」と問いかける目線が、
子どもの「やってみよう」という気持ちを、静かに育てていくと私は思っています
大人も子どもも疲れない関わりって、
案外こういうところにあるのかもしれないですね
私はアドラー心理学を学ぶ中で、
「当たり前に見えることにも目を向ける」大切さを感じました
毎日の手洗い
靴の脱ぎ履き
おもちゃの片付け
大人にとっては「やって当たり前」に見えることでも、
子どもは大人以上に集中し、たくさんのエネルギーを使っています
「自分で洗ったね」
「靴を履こうとしているね」
「おもちゃを一つ戻したね」
結果だけではなく、すでにできていることや、やろうとしている姿を言葉にして返す
さて、子どもがご飯を「食べたくない!」と主張しています
あなたは、何と言葉を掛けますか?
▶️ 子どもが「自分からやりたくなる」子育てって?それを解説しています

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