【“子ども扱い”してない?】

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やってみたよ!こんな保育

こんにゃちは🐈、猫月だんくるおすてうすです。

子どもの“主体性”を目指す中でぶつかるあるあるに
「生活に必要な行為を身に付けて欲しいけど、子どもは嫌がる」
「嫌がることはさせなくて良いの?」

という壁があるのではないでしょうか。

今回、解決に繋がるかは分かりませんが😅、
私はこういう関わりをしているという事例をお話ししていきます。
何かのヒントになれば幸いです。

▶大人がまず実践する

子どもに何かの「動作、行動を身に付けてもらいたい」と計画する。
ということは、
子どもたちはまだその動作も行動も知らないということですよね。

例えば、子どもたちが“片付ける”という行動を身に付けるためには、
片付けとはなんぞや?を知らせなければ、分からないのです。

ところが、
大人は“片付け”とはどうすることかを知っているので、
最終形を目指しがち。
片付けの場合、
目標は“自分で片付けができるようになる”ことなのですが、
そのステップはどこまで順序立てていますか?

「片付け」と言葉にすると一言ですが、実際のその内容は事細かです。
動作として、
物を見付ける
物を持つ
物を運ぶ
物を離す
物を分類する
物の置き場を記憶している
片付け終えた形が想像できる

ざっくりと考えても、これだけの多岐に渡る動作ができないと、
片付けは身に付きません。

そして動作が身に付いた上で、
「片付けよう」という同機があって、
初めて主体的に片付けをするのです。

さらに付け加えると、
「物を持つ動作」と
「物を離す動作」の獲得には
約1年の時差があります。

月齢差の著しい乳幼児では、
クラスで一斉に片付けを獲得させるというのは、
とても困難なミッションと言えます。

ではどうするか、ってことですよね。

前提として、
子どもは、大人と同等でありたいという欲求がある
子どもは、成長したいという本能がある
子どもは、貢献できたことに喜びを感じる
子どもは、行動を認められることで意欲を持つ
ということは、覚えておきたいですね。

簡単にまとめると、
大人が望ましい行動を見せ、
それを真似た時に
「同じことができるねー」
その姿を言葉にして認めると、
子どもはやる気を持つ
ということです。

中国の故事にもありますね。
「先ず隗より始めよ」
大人が「たくさん遊んで楽しかったねー。おもちゃ、片付けるね」と
楽しく遊んだら片付ける姿を見せる。
大人が主体的に片付ける姿を示していくことが大事だと思います。
そして、片付いたことを喜ぶ。
(嫌そうにやってたら、子どもも真似したくないですよね。)

言葉で知らせるよりも、
姿を見せる、
手本となる方が
子どもには伝わりやすいです。

(余談ですが、そう考えると
 家事・育児をしている父親像を見てない人の価値観を覆すって、
 大変ですよね…。)

▶子どもには能力があると信じる

これは上のトピックの延長でもありますが、
「子どもには能力がある」と信じる、
「今はできなくても、いつかはできる」と信頼することは、
とても大事です。

たまに「期待するから、がっかりする」みたいな意見を聞きますが、
それは期待値をどこに置くかによると思います。
保育士の場合は、
マイルストーン(中間地点)をどう設定するか
ということですね。

自分で食事ができるようになって欲しい
就学前には箸を使って、茶碗を持ちながら、マナーを意識して、食事ができることを目標にする。
では、その手前は?

4歳、3歳、2歳、1歳半、1歳、10ヶ月、9ヶ月……
今の姿にどんな+αを期待していくか。

期待すると表現しましたが、
「次はこんなことができるんじゃないかな」は、
その子の姿や興味・関心を見ていれば、Next Stepを想定できると思います。

例えば、ティッシュを引っ張り出すようになった。
大人からするとイタズラが始まったように思うかも知れませんが、
発達段階としては
「物を握る(手全体の運動)」から
「物を掴む(指の運動)」に成長してきたのです。
さらに「手で握る」だけでなく「腕を引く」動作が加わったことで、
【ティッシュを引っ張り出す】ことが
できるようになったのです。
それに、“因果”の想定もできるようになってきたのです。
ティッシュを【掴む】【引っ張る】【一枚出てくる】【もう一枚掴む】
すると同じ結果が得られる
予想と結果がリンクする」と気付く
“再現性がある”学習する能力が身に付いてきたわけですね。
「ティッシュで遊ぶようになって欲しい」
とは期待しないでしょうけれど、
自分の手や指先を自在に扱えるようにはなって欲しいですよね。

「ティッシュで遊ぶ」ことは、
子どもの成長や学習のマイルストーンではあるわけです。
その姿が出てきた時に、
「次の+αをどうしよう?」が期待ですよね
今は望ましい行動ではないかも知れない。
けれども、いつかはその姿も変わっていく。
現にその姿は発達・成長の証でもあるし、
能力を信じる根拠でもあると思います。

▶「一緒にやってくれる?」

オムツからパンツに替わる頃って、
自我の萌芽期(いわゆるイヤイヤ期)でもありますよね。
トイレに誘っても
「いや!」「まだ!」とつれない返事…
そして間に合わず😭
ってのは、アルアルだと思います。

大人としては、
成功体験を重ねて欲しい
という思いがありますよね
(これ、かなり良い表現にしてますけど😜)

ちょっと脱線すると、
子どもにオムツをはかせているのは、大人の都合です。
乳児が自分で排泄を調整できないのは、発達上当たり前。
でも、周囲を汚されたら困ると思っているのは、あくまで大人であって、
その子自身ではありません。
(オムツを替えてくれるまで不快だし、
 オムツかぶれもするし…
 実は子どもにメリットは薄い)
それを「もう○歳になるから、パンツにしなきゃ!」
というのも、大人の都合です。
大人の都合の押し付けが、
いわゆる「トイレトレーニング」であることは、
頭の片隅に置いておいてくださいね。

とは言えです。
トイレでの排泄は、生活力の一つとして身に付けて欲しい。
でも、力尽くでトイレへ連れて行っても、
安心して排泄できる環境ではありませんよね。
それでは、拉致ですから😱

私は、まず排尿の時間間隔を計りながら、トイレに誘います。
オムツが濡れるタイミングを記録し、
次に排尿する直前にトイレへ誘う感じです。
「そろそろ、トイレに行かない?」
ここで子どもに断られたら、こうお願いします。
「私がトイレに行きたいから、一緒に来てくれる?」
実は尿意を感じていた子は、すんなり応じてくれるものです。
(それまでに大人を不審がっていなければ)
別に大人はトイレで用を足す必要はありません。
トイレに行きたかっただけなので😄
(ご飯論法みたいで済みません🙇)

ヒトには「誰かの役に立ちたい」貢献の本能があります。
それは、ヒトが社会動物だからです。
自分は誰かに助けてもらわなければ生きていけないし、
自分も誰かを助けないと、
種として滅んでしまうからです。

断られた時は?
その時は、その子の思いを尊重しましょう。
尿意を感じてないのかも知れませんしね。
「分かったよ。話を聞いてくれてありがとう」でおしまいです。
ここ、感謝で終わることが大事ですよ。
耳を貸すだけでも貢献なのです。
そして、次の機会にまたしれっとお願いしてみましょう。
「ねーねー、一緒にやってくれる?」って。

▶子どもたちに、その日・その時の状況を伝える

これ、私が大事にしていることです。

例えば、
遅番や休み、出張などで不在の保育士がいる日は、子どもたちにも知らせます。
「○○先生がいません」
「呼ばれても、すぐには行けないかも知れない」
「でも、困ったことは、遠慮なく教えてね」
など、
状況や環境を知らせつつ、
できる限り応じる旨を伝えておきます。
でも、状況を知らせておくと、子どもは自分なりに考えて、
できる限りのことは自分たちで解決しようとしてくれます。
5歳児の話ではないですよ?
2歳児の話です。

自我の萌芽期の子どもたちは、
自分ができることを常に模索しています。
大人と自分は違うことを知り、
自分にはできないことがあることを自覚し、
それと同時に大人と対等でありたい欲求に満ちあふれています。
「自分でやりたい」温泉♨が涌き放題の時期です。
大人が困っていて、自分がその力になれると思ったら、
何とかして助けてくれようとします。

一方で、「困ったことは助けてもらえる」保証があることで、
「できること」「できないこと」を見極めようともします
いつもなら多少の無理をしてでも
「自分でやる!」と言い張る所ですが、
今は助けてくれる大人が少ないとなれば、
(今はやめておこうかな)も考えます。
でないと、自分の身に危機が訪れるかも知れませんしね。

子どもが自分の能力以上のことをしようとするのは、
「助けてくれるよね」という精神的な安全があるからです。
見えないハーネスがあるから、高い場所にも登ろうとする。

ですから、ハーネスが無い時は
「今日は、無いよ」を知らせておくことは大事です。
「できる」「できない」と自分を見極めるのも、
また学習の機会ですしね。

こういう経験をしておくと、
それ以降も自分を見つめる力が育っていくと思います。

でも、たまには無理もするので、
くれぐれも目は離さないように
“手は離せ。目は離すな”は、心して守りましょう。
見守りは、欠かしてはなりませんよ。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
子どもは、確かに未熟です。
でもそれは、大人も同じです。

経験したことの無いこと、
経験の少ないことへの対応が難しいのは、
誰しも同じです。
大人も子どもも、対等なのです。
違うのは、過ごした時間と経験値の量です。
大人の方が経験した出来事が多い。
それでも、常に成功を収められるわけではない。
足の小指を角にぶつけたことは、一度や二度ではないでしょう?
(むしろ記憶に無い痣が増えるくらいなんですから😅)

子どもを“子ども扱い”するのは、
ヒトの発達を理解しているか
そこを問われているようなものです。
保育士であれば、保育学の基礎として“発達心理学”は学んでいますよね。
今一度、自分と子どもの関わりを振り返ってみてください。
「保育が大変」
「子どもが言うことを聞かない」
と思っている方は、
もしかしたら保育の基礎をどこかに置いているのかも知れませんよ。
(あ、毒で締めちゃった😓)

▶書籍紹介

子どもの発達や子どもとの関わり方について
私が参考にしている書籍📚を紹介します。
うちの妻も、我が子が乳児の頃に読んでいたので、
子育て中の保護者のお役にも立つかも知れません。
ご興味を持っていただけたら幸いです😄

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