こんにゃちは、猫月です😺
今回は、いただいた質問に回答していきます
Q:叱るのが苦手です……どうしたらいいですか?
😺:叱らなくて良いと思います
大事なのは、「子どもが自分で気づくこと」だからです

猫さん……私、どうしても叱るのが苦手で……
でも、いけないこと、危ないことは
しっかり言い聞かせるべきですよね

うん、保育をしていると悩むところだよね
でも、私としては『叱らなくても良い』って感じかな

えっ……?
叱らなくても良いんですか?

大事なのは『子どもが自分で気づく』ことだからね
自分で考えて、自分で行動を選べるようになる
そこが目的だと思うんだ
保育士だけでなく、家庭で子育てをしていても
「叱り方が難しい」
「できれば叱らずに育てたい」
と悩むことはあるでしょう
ただ、子どもの育ちを大事にするなら、
目指したいのは
「あ、これはやっちゃダメだったな」
「次はやめておこう」
と、子ども自身が気づけることです
「そのために叱るんじゃないの?」
という疑問もあるでしょう
今回は、「叱る」についてお答えしていきます
叱られるよりも怖い?猫月の向き合い方
3歳児クラスを担任していた時、保護者面談でこんな会話がありました
👩「うちの子、猫先生が怖いって言うんです」
😺「でしょうね(笑)本人は、何でって話してますか?」
👩「叱られたんでしょ、って聞いたら
『猫先生は叱らないけど怖い』って言うんですよね」
😺「そうですねー。叱られる方が、楽でしょうからね(笑)」
そうなんです
叱られるより、怖いんですよ。私
後日、保育参加があり、
私とお子さんの関わりを見て、
「叱られるより怖い、という意味がわかりました」
と感想をいただきました
その日、その子は廊下を走り回っていました
保護者が園に来ているのですから、
はしゃいでしまうのも自然なことです
でも、危ないものは危ないですよね
😺「ねえねえ、ここは廊下なんだけどさ
そんなに走り回ったら、どうなるだろう?」
👦「……誰かとぶつかっちゃうかも」
😺「そうだよね。ぶつかっちゃうかもね
じゃあ、廊下ではどうするのが良いと思う?」
👦「……走らないで、歩く」
😺「そうだね。そっちの方が、ぶつかりにくいもんね」
私は、感情を乗せずに問いかけるだけです
子どもの言葉を返しながら、本人が気づくのを待ちます
こういうやり取りは、子ども相手だからといって特別なものではありません
相手の考えを聞き、言葉を返し、判断を尊重する
それは、大人同士の対話と同じです
自分で考え、自分で決める
それをじっと待つ、私の“子ども扱いしない”姿勢が、
子どもには「怖い」と映るのでしょう
子どもの責任は子どもに委ねる
叱られて終わるって、実は楽なんです
「叱られたから、やめた」で済ませられますからね
でも、自分で
「危ないな」
「やめた方が良いな」
と気づいたなら、その判断は子どものものになります
『心を鬼にする』と言いますけれど、
子どもは自分で判断するのを待つ厳しさも、
成長には必要だと思っています
大人がいなくても考えられる
その力を育てることが、大事だからです
え?「叱る」も「褒める」も同じなの?
「叱る」も「褒める」も同じ
かなり衝撃的なフレーズですよね
私も初めて聞いた時は、「え?!」となりました
アドラー心理学を学んだ時、
私は『課題の分離』という考え方を知りました
何か問題がある時、
その結果を最終的に引き受けるのは誰か?
そう考える視点です
たとえば──
・危ないことをして、怪我をするのは誰か
・勉強をして、知識が身につくのは誰か
そう考えると、「叱る」のも「褒める」のも、
実は、子どもの課題に大人が踏み込む行為だと考えられます
先ほどの「廊下を走る」場面で言えば、
転ぶにしても、誰かにぶつかるにしても、
その結果を引き受けるのは走った本人です
そこで大人が「叱る」「褒める」で関わると、
子どもの判断基準は
「叱られるから」
「褒められるから」
になりやすくなります
もちろん、叱ることと褒めることの意味合いは異なるのですが、
ただ、どちらの関わり方も、
「大人がどう反応するか」が
子どもの判断基準になってしまう
そうなると、大人がいない時、子どもはどうするでしょうか
子どもの成長を「自立」と考えるなら、
大事なのは
「大人がいなくても」考えられること
なのです
「大人がいなくても」考えられること
若い頃の私は、
いけないことは「いけない」と注意していました
怒声をあげるというよりも、くどくどと説く感じですね
その頃、先輩からこんな言葉を掛けられました
「猫月先生は、小学校まであの子についていくの?」
これは衝撃的でした
子どものためを思って説いていたのが、
かえって「先生がいないと考えない」状態をつくっていたのかもしれない
そう気づかされたのです
では、「叱らない」から解決するのかというと、
どうもそうではない気がします
危ないものは危ないし、
相手が不快なら、それには気づいてほしい
そんな時に出逢ったのが、
アドラー心理学の「課題の分離」でした
大人が説いて子どもを変えるのは、
子どもの課題に踏み込んでいる。
そうではなく、
子どもが直面している事実を、その子と共有すれば良い
私はそう理解したのです
だから、
「ここは廊下だよ」
「他の人も通るよ」
「走っていたら、何か危ないことが起こるよ」
と、状況を整理して伝える
あとは、子ども自身が考える
子どもが自分で判断し、決断したことは、
自分の約束事として身についていきます
格好良く言うなら、「ポリシー」になっていくのでしょう
大人がいても、いなくても、
その子が自分を見つめる柱になるのです
だから私は、
大人が叱るかどうかよりも、
子どもが自分で考えられるには、どう関わるか
そこにフォーカスすることが大事だと思っています
これが、私からの解答です
「叱るのが苦手」なあなたは、
目の前の子に、どのように関わっていこうと思いますか?
▶️ 「叱りゼロ」私も実践の参考にしている奥田健次先生の本です
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