発表会を終えて思うこと

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「発表会を終えて思うこと」サムネイルです こんな遊び、どう?

こんにゃちは、猫月です😸

この記事を書いているのが2月半ばなのですが
保育園では発表会も終わった頃でしょうか

ワツキ
ワツキ

緊張して最初は泣いてた子もいましたけれど
保護者に「かわいい」って言ってもらえて
子どもたちは笑顔でしたし
何とか成功かな?って思ってます

猫月
猫月

親子で満足してもらえるのは良かったね
でも、振り返りをするのも大事だよ
「成功してよかったね」だけで終わらせるの?

発表会は準備が大変なこともあり
また直後に卒園式や入園の準備も控えているため
反省をしても「まぁ良かったよね」になりがちではありませんか?

保育者の本音としては
「卒園児以外は大きなイベントもないし
 あとは年度末の書類が終われば万々歳!」
「新入園児の面接も始まるから
 終わり良ければすべて良し!」
みたいなところもあるんじゃないですかね

ということで、
今回は敢えて発表会の振り返りをしていきます

私が疑問に感じていること
こんな実戦ならどうだろうと思うことを
つらつらとお話ししていきたいと思います

保育園での発表会は
本来は『生活発表会』と呼びます

子どもたちの園生活での成長を
保護者と共有するための機会です

ですから
劇ごっこや音楽会などはその手段のひとつです
舞台形式である必要はないわけです

とはいえ、実際には舞台形式が多いですね
なぜなら、構成がしやすいからです

保育には「五領域」というものがあります
・健康
・人間関係
・環境
・言葉
・表現
の五つですね
子どもたちは園生活を通して
これらの能力が伸びていきます

その成長した姿を生活発表するわけですが
子どもたちの協調性や
環境への興味や理解
言葉や語彙が増えてきた様子や
音楽や制作などの表現といった
様々なものを短時間で見てもらうのに
舞台形式は都合が良いのです

便利なものは多くの人が使うようになります
それは、パソコンやスマートフォンもそうですね
かつては高価で少数の人が使っていたものが
今では当たり前のように個人で所持するようになりました

ただ、道具はあくまで道具であって
本来の目的があって「便利な道具」を使うものです
パソコンを持つことを目的に購入はしませんよね
文書作成や帳簿管理、動画配信など
目的を成すのに都合が良いから選んでいるにすぎません

ところが、使うのが当たり前になってくると
「手段」と「目的」を混同する人が出てきます

保育園での発表会は、あくまで手段=道具です
子どもたちの成長を感じてもらうために
他に都合の良い手段があるのであれば
発表会を催さなくても良いのです

実際、私は発表会のない園で勤めたこともあります
その保育園では「親子で過ごす一日」として
普段の保育園での遊びや玩具を
親子で楽しんでもらうことを大切にしていました

たとえば
独楽やけん玉ができるようになった姿
ままごと用に自分たちで作ったダンボールの家
パペットで絵本の世界を表現する遊びなど
こうした子どもたちの日常の遊びの中にこそ
成長の証があるのです
この園では、あえて舞台形式にせず
親子で関わりながら成長を感じてもらう方法を選びました

つまり、発表会をしなくても
子どもの成長を伝える方法はあるのです

「保育園では発表会をするもの」というのは
ただの思い込みです
保育士は、その前提を忘れてはなりませんし
保護者にも伝えていかなければなりません

あくまで目的は
「ご家族に、子どもたちの成長を見てもらう」
その機会として発表会の一日があるのですよね

本当に子どもたちの成長を伝えるのに
あなたの保育園で一番良い方法は何でしょうか?
そこは、専門家として常に意識していたいですね

ここでは、あえて舞台形式を選んだ場合の話をしていきます

私は常々思っていたことがあるんです
大人の舞台の場合
出演者以外にも多くの人が関わっていますよね

たとえば
大道具や小道具を作る人
音響や照明で舞台を映えさせる人
脚本家や演出家など
舞台上に出てこない人の力も大きく影響しています

では、保育園の発表会はどうでしょうか
「全員が舞台に立つこと」を前提にしていませんか

発表会が迫ってくると
保育士からこんな声が聞こえてきます
「あの子、ちゃんとやれるかな」
「人前に出るとふざけちゃうんですよね」
「障害のある子にも役をやらせないと…」
子どもの個性を大事にしていないわけではないと思います
でも、無意識のうちに
「みんな同じ」にしようとしていませんか?

保育の理想を語るときには
「みんな違って、みんな良い」と言うのに
行事になると「みんな一緒」に変わってしまうのは
なぜでしょうか

私は、一人一人が得意を発揮して
活躍できることが大事だと考えています
だから、舞台に立たないで
縁の下の力持ちな子がいたって良いと思うんです

絵を描いたりハサミで切るのは得意な子
楽器で効果音を表現する発想が豊かな子
想像力があって絵本の世界観を面白く話す子
人前に出るのは苦手なんだけれど
こういう分野でなら舞台に大きく貢献できる才能がある子も
クラスの中にはいると思います

絵が得意なので背景を描きました
楽器が好きなので効果音を担当しました
物語を面白くする演出を考えました
舞台に出る友だちを支える黒子を奮闘しました
そういう子がいたって、良いじゃありませんか

その子たちの幕が上がるまでの活躍を
ちゃんと保護者に届けられれば
立派に発表会として成立するのです

私は発表会で重要なのは“ナラティブ”だと考えています
当日のその時の姿よりも
その日を迎えるまでの子どもたちの物語です

どうしてその作品に決まったのか
決まるまでの子ども同士の葛藤はとか
役割分担はこうして決まったとか
なかなか表現できないことを工夫したとか
そういった子どもたちの成長の過程です

本当に保護者に見てもらいたいのは
舞台での姿よりも
その日までのメイキングだと思っています

そのナラティブを保護者に届けられていれば
保護者は舞台上でもその周囲でも
我が子が活躍していたことを喜んでくれるはずです

あなたご自身は
舞台で輝きたい子でしたか?
本当は舞台周りで力を発揮したい子でしたか?

子どもが「舞台」という場で輝く道は
演技や演奏をすることだけではありません

あなたの保育では
どんな「表現」の形ができるでしょうか

そうはいっても「全員が舞台に立つ」という園もあるでしょう

あくまで私の夢想の話なのですが
「もし自分が発表会をつくるなら
 こんな舞台をやってみたいな」という話です

劇団四季のミュージカルを観ていて
面白いと思ったことがあるんです
舞台に立った演者が全員
必ずしも一人一役ではないということに

『ライオンキング』では
様々な動物たちが登場します
ライオンや象、キリンなどですね

王家の執事である”ザズー”はサイチョウです
人間が演じるには小さい生き物なので
彼はパペットで登場します

一方で象はとても大きな動物ですから
耳や鼻、前脚・後脚などを
複数の人がパーツを持って演じています

他にも空を飛び回る鳥を
棒に提げた凧で表現したりもしていました

つまり、舞台に立つにしても
その演じ方にはいろいろな方法があるということです

これを保育園の発表会に取り入れるとどうなるでしょう

役を演じるのが得意な子は
その子の役を担えば良いですし
役を演じるのが苦手な子は
人形を操作したって良いし
複数人で表現したって良いということです

どうやって表現するかは
子どもたちに考えてもらいましょう
自分だったらどう表現したいかを
「自分が衣装をまといたい」
「人形を介してなら演じられる」
「協力して大きなものを操りたい」
選択肢が増えれば
子どもたちの可能性も広がります

「どうにかこうにか工夫して表現する」
そういう楽しさを見出せれば
人前に出るのが苦手だった子も
「これならやってみたいかも」と前向きになれるかも知れません

舞台に立つ方法は、ひとつじゃない
子どもたちが「自分らしい表現」を見つけられる発表会になれば
もっと楽しいものになるのではないでしょうか

発表会の時期が近づいてくるたびに
私が同僚や保護者に伝えています
「発表会は、劇を成功させるためのものではない」
「子どもたちの成長を感じてもらう場なんです」

保護者に届けたいのは、子どもの成長です
子どもがどんな世界に夢中になり
その表現をどう工夫したか
その過程の中にこそ、子どもたちの成長が詰まっています
見てもらいたいのは
保護者の前へ登場するまでのナラティブです

本当に思いますよ
メイキングビデオを上映出来たら
それこそ最高の発表会なんじゃないかって(笑)

親子で一緒に
「ここを頑張ったんだよ」
「上手くいかなかったから、こんな工夫にしたの」
「友だちが一緒に考えてくれたんだ」
そういう葛藤や協力の姿が見られたら
保護者は演技の出来以上に
子どもの成長を実感してくれると思うのです

舞台が上手く演じられることは目的じゃないんです
子どもたちが「やってみたい!」と思い
表現する楽しさを味わえること
そして、その姿を
保護者が共感し、成長を感じ取れることです

だから私は、当日まで子どもたちが遊び込めるかどうかが
発表会の成否を分けると思っています
どんなに上手に演じられても
子どもたちが練習に明け暮れていたり
保護者が「上手だった」「可愛かった」以外の感想を持てなかったら
“生活発表”としては大失敗だったということです

私が目指さなければならないのは
「子どもの成長に繋がる保育」です
発表会はその手段のひとつです
保育士としての本質を忘れることなく
発表会にも向き合いたいと思っています

時に、劇の出来栄えが
保育の自信に影響するという人もいらっしゃいますが
保育士としての評価は
劇の出来で決まるものではないです
子どもの成長と向き合って
そのために努力や研鑽をしたのであれば
あなた自身の成長にも繋がる発表会になるはずですよ

最後までお読みいただき
ありがとうございました

以前に担任していた子が
発表会の翌日、泣きながら絵を描いていました
そこには、前日の劇の様子がとても上手に描かれていました
でも、本人は全く納得していないのです

「(発表会後)みんなでご飯を食べに行ったの」
「でも、そのご飯が描けないの」
きっと、その子にとって大事だったのは
発表会そのものではなく、
家族に成長を認めてもらえた時間、団らんの温かさだったのでしょう

お迎えの時に描いた絵と一緒に
その子の思いも保護者へお伝えしました
それを聞いた保護者は「泣かなくても良いのに」と笑いつつ
ぎゅっと抱きしめて思いを受け止めていました

あなたなら、発表会を終えて、どんなことを思いますか?

子どもにとっても、保護者にとっても、そして保育者にとっても
心に残る、充実した時間になりますように

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