こんにゃちは、猫月です😸
連載の最終回は、ある子どもと保護者の
“表現”をめぐるお話です
それは、子どもの表現が作品という域を超え
子どもと保護者の心をつなぐものになった実例でした
「同じテーマ」を「自分の方法」で作る子
3歳児クラスで担任していたRちゃん
(性別不詳ですが“彼”と称しますね)
私がレゴブロックで作品を作っていると
じっと見つめていたRちゃんは
「どうやって作るの?」と
私の隣で取り組み始めました
でも、他の子が私の作品を模倣しようとする中で
Rちゃんだけは少し違っていました
「方向性」は参考にしても
「やり方」や「形」は自分なりに考えて作るのです
完成したものは、テーマこそ同じでも、まったく別の姿になっていました
それは、やがてブロックにとどまらず、絵や制作にも表れるようになります
「彼は、未来のレオナルド・ダ・ヴィンチかも⁈」と伝えた
保護者との面談の中で
私はこのRちゃんの発想の自由さをお話ししながら、こう言いました
「この発想の多彩さは、未来の“レオナルド・ダ・ヴィンチ”ですね」
ヴィンチ村のレオナルド(Leonardo da Vinci)は
『モナ・リザ』や『ウィトルウィウス的人体図』などで有名ですが
16世紀において、飛行機やロボットの設計図を遺し
都市イモラの精密な地図を作成し「地図の父」とも称されるなど
芸術と科学を融合させたルネサンスの天才です
そんなレオナルドを引き合いに出したのですが
保護者は笑って「本当ですか〜?」と受け取ってくれました
そのときは軽いやりとりだったかもしれません
でも、その一言が、ちゃんと心に残っていたのです
2年後、“ホウオウ”は舞い降りた
それから2年・・・Rちゃんが年長になったある日
お迎えに来た保護者からこんな声をかけられました。
『先生、Rの“ホウオウ”、見ましたか?』
聞けば、前の晩に
色紙とセロハンテープを使って
“ホウオウ”(ポケモン)を作ったのだそうです
しかも、深夜に突然起きて、夢中で作り始めたとのこと
その場で本人に「ホウオウを作ったの?」と尋ねると
『うん、作ったよー』とこともなげに答えながら
カバンから作品を取り出して見せてくれました
Rちゃんの手には
見事な羽を広げた“ホウオウ”が確かにいたのです
「これは…ホウオウだねぇ!」と私が目を見張ると
保護者が言いました
『前に“未来のレオナルド・ダ・ヴィンチ”って
言ってくれたじゃないですか
あの言葉の意味が、わたし、わかった気がします』
表現の価値は、「見た目」だけでは測れない
このホウオウは、誰かに頼まれたわけでも
保育園で課題として出されたわけでもありません
Rちゃん自身の中にあった思いが
ふと目を覚まさせて、生まれた表現なのです
大人からすれば
「夜中に起きて作るなんて…」
「こんなに紙やセロテープを使って…」
と感じるかもしれません
でも、その一つひとつの工夫、素材の使い方、構造の考え方
そして「今作りたい!」という衝動は
まさにアーティストそのものです
「子どもが自分の感情や気持ちに気付くようになる時期であることに鑑み…
保育所保育指針より(表現:取扱い)
自信をもって表現することや、諦めずに続けた後の達成感等を感じられるような経験が蓄積されるようにすること。」
保育士の言葉から、保護者が子どもを“発見する”こともある
保育士の役割は、制作を手伝うことでも、評価することでもなく
「これは、芸術ですね!」と認めることなのかもしれません
子どもの表現に込められた動機や想いを見つけ、言葉にして届ける
それが、保護者にとって我が子の新しい一面を発見するきっかけになるのです
保護者は何だかんだと
『みんなと同じにできているか』が気になるもの
でもそこで、保育士が子どもの姿を言葉にして伝えることで
『この子だけの個性』にスポットライトを向けられるのです
Rちゃんの“ホウオウ”は、今も私の中で輝いています
大人の期待にはまらず、自分の心に従って表現する姿――
それこそが、『子どもの手から、生まれる世界』だと私は思うのです
この連載を最後まで読んでくださり
ありがとうございます
5回にわたってお届けしてきた『子どもの手から、生まれる世界』
子どもの制作あそびは
見た目以上に深く、広く、豊かな世界を持っています
この連載が、子どもの表現に目を留めるきっかけになれば嬉しいです
そして、子どもたちの“今ここにある思い”を
ぜひ一緒に見つめていきましょう
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