集まらず クラス保育を 進めてく

※記事内に広告を含む可能性があります
※記事内に広告を含む可能性があります
やってみたよ!こんな保育

こんにゃちは、猫月です😸

質問をいただきました

私の勤める保育園も一斉保育がベースです

絵本の読み聞かせなどは
たしかに集まる場面になるのですが
遊びに関しては
集まって話す場面は少ないです

具体的にどんな風に遊びを展開しているのか
今回は一斉保育で集まらない話です

それでは事例を交えてお話ししていきましょう

遊びを保育で設定するとき
私が心掛けているのは
とにかく大人が楽しむ♪ことです

子どもたちは各々の好きな遊びを楽しんでいる中で
私は自分の遊びを始めます

園庭での運動遊び
机上の制作遊びの
ダンスや体操

保育を進めていく中で
保育者は実演販売員みたいなものだと思うんですよ

おどろんようび(ケロポンズ、福田りゅうぞう、鈴木翼)

【おどるんようび】なんかは
振付を憶える前にやってましたからねw

大人が楽しんで遊んでいれば
または真剣に取り組んでいれば
子どもは自然と興味を持ちます

「何やってるの?」
「それ、どうやるの?」
「やってみたい!」

【おどるんようび】は
子どもたちと一緒に踊っているうちに
私もできるようになりました

保育を展開しているときに
「保育を子どもに卸す」
なんていう人もいますけれど

私は大人ができてから保育するより
子どもと一緒にできるようになれば良い
と考えています

「やったことないんだけど」
「初めてやるんだけど」
という遊びの方が
「だったら、先にできるようになろう」って
子どもも意欲を持ちやすいと思うんですよね


加藤繁美教授の言葉をお借りするなら
「ヒトは面白いことを面白がる」
「面白いことは困難を乗り越えたくなる」
ということでしょうか

保育士が楽しんで遊んでいれば
子どもも面白がってくれるでしょう

加えてこんなことも仰っていました
「保育士には豊かな教養が必要」
「だけれど、物知りであることが
 魅力的な保育者とは思わない」

子どもに正解を教えることよりも
「こんな事したら、楽しそう♪」
を具体的に見せたいと思っています

一斉保育をする中で大事なのは
子どもを一斉に集めないことです(笑)

例えばですけれど
5歳児でいえば保育者1人で
子ども25人を保育するのですが

25人全員が同時に課題に取り組んだら
援助が必要な場合には
どうしたって手は足りないわけです💦

それに25人が同時に
同じ遊びに興味を持ってくれるかといえば
乗り気でない子もいるはずです

では、どうしましょう

私の場合は
まず大人がひとりで遊びます
その姿に気付いた子が様子を眺めています
様子を眺めていた子から
私の遊びに興味を持つ子が出てきます

子どもが25人いたら
2:6:2の法則で考えると
20%…5人は興味を持ってくれる見込みがあります

MAXが5人と考えると
クラスで3人が興味を持ってくれたら上々👍

その日の保育を展開するには十分だと思っています

3人が興味を持って遊んでくれると
他の子も「何してるの?」と覗きに来ます

3人の子が3人ずつ引き寄せてくれたら
さらに9人が遊びに加わってくれます
これで12人ですから
クラスのほぼ半分が参加してくれることになります

それでもって
先に遊んでいた子たちが
あとから来た子たちに
遊び方を知らせてくれますから
保育者の手が空きます
援助が必要な子に
目も手も行き届きやすくなります

クラス全員を一斉に保育しようとすると
いろいろと無理が生じますけれど
自分から興味を持った子が集まってくれるのですから
私としては集団での保育は
こちらのやり方が合っていると思っています

私が保育を展開する時に心掛けていることです

子どもが遊びを楽しんでいるのであれば
その機会を1日で終わりにするのはもったいないですよね

それと加えて、上述したように
興味を持った子から保育に参加すると
その日だけで全員が参加してくれるかは難しいです

何日も遊びを展開する中で
友だちが遊んでいる姿を見るうちに
一歩引いたところにいた子も
徐々に興味を持ち始めます

小児精神科の医師に聞いた話によりますと
子どもの集団生活において大事なことは
“同じ空間にいること”だそうです

大人からすると興味の無さそうな子も
同じ空間にいることで他の子の姿に
刺激は受けているものなのだとか

これは、発達に凸凹のある子も同じで
遊びが展開されている空間にいることで
まったく別の遊びをしていたとしても
経験としては蓄積されているのです

それはそうですよね
自分はやったことがなくても
「何だか楽しそう」という雰囲気を感じていれば
徐々に「その楽しい遊び、やってみたい」となります

そうやって
少しずつでも興味を持ち始めた子にも
遊ぶ機会を保障したい

だから、私は少なくとも一週間は
その遊びをくり返し展開します

どうして一週間かって?
単純に、リーダーのローテーションが一週間だからですw

でも、一週間あれば
クラスの全員が体験しにくるものです

課題を持って設定した保育の遊びを
“主活動”とよんだりしますね

私の保育でよくある話ですが

クラスの子どもたちに経験させたいと思っていた遊びに
他のクラスの子たちが興味を持つことがあります

3歳児向けの保育として設定したはずが
時には5歳児の子たちが
時には2歳児の子たちが
私の周りに集まっている

ようは、設定ミスですね😅

クラスの子どもたちの関心にフック出来なかった
子どもたちからしたら
「それは簡単だからつまらない」とか
「この遊びの方が面白い」とか
そんな感じでしょう

そんな時はどうするかというと
提供する遊びを変えてしまいます

だって、子どもたちが求めているものは違うんだもの

大人がやらせたい保育をするのでは
保育の真ん中にいるのは大人です

保育園は子どもたちのコミュニティです
保育者はその支援を担っているのであって
主軸はあくまで子どもたちです

町の定食屋で
【今日のオススメ:生姜焼き定食】としても
お客さんが唐揚げ定食を注文したら
唐揚げ定食を提供しますよね
「生姜焼きにしてください」とは言いませんよね

それと同じです

“遊び”や“生活技術”というのは
子どもの成長の手段であって
それ自体は目的とは違います

目的というのは
「体幹を使う」とか
「水に親しむ」とか
「楽器にふれる」とか
もっと根幹的なものです

体幹を使うことができるのであれば
他の遊びに変えたって良いし
別の場面に設定し直したって良いのです

保育するのに大事なことは
目的に合わせてプランを複数立てられることです

プランAが難しいようだったら
プランBに切り替える

プランAで50点だと思ったら
ちょっとだけアレンジして
プランA+にしてみる

そんな感じです

基本的には3パターンくらい欲しいですね
AもBも子どもにウケが良くない
なんてことは普通にあります

準備していたパターンが
どれもしっくりこなかったら?

その時はいさぎよく撤退しますw
大人も子どもも
無理をしたら楽しくないですからね

保育に子どもを惹きつけたい
その時に大事なのは
子どもが「遊びたい」と思えることです

大人に言われたからやる
というのでは
大人がいなければやらない
というのと同じです

それでは、その子の育ちには結びつかない

子どもの中に動機が芽生えるような
そんな環境が大事です

動機のひとつが“模倣”です
ヒトには生得的なコンプレックスがあります
「一人前になりたい」という本能がある

大人がやっていることは
ひとつの「一人前」の目印です
だから大人が楽しんでいることは
子どもには魅力的に映るのです

もうひとつの動機が“共感”です
自分のやっていることに誰かが共感していると
ヒトは自分に肯定感を持ちます

「この遊びはあの子も楽しいんだ」
「自分の楽しさは人にもわかってもらえるんだ」

サッカー好きな人が友人をスタジアムへ誘うように
居酒屋で普段関りの無い人が集って飲むように

共感できることがあると
ヒトは嬉しいのです

そこに加えて“アフォーダンス”を設けること

アフォーダンス(affordance)とは
その環境においては
そう行動したくなる
「環境と行動の同時性」ともいうものです

例えば、園庭のすべり台
すべり台を滑るためには
階段を登ることになりますし
安全に滑るために縁を握ります
さらに思たように滑るためには
握る力を調整したり
足を少し浮かせたりします
その環境においては
そう行動したくなるのです

大人が呼び掛けなくても
環境構成することで
子どもに内発的動機が生まれるのです

子どもが「遊びたい」と思える環境であれば
一斉に呼び掛ける必要もありませんし
子どもに掛ける言葉の数も最小限で済みます

保育準備というのは
目的に対する手段の整理です
場合によっては
物的な事前準備は
ほとんどない場合もあるのです

これは私の考え方ですが
保育準備に時間が掛かるということは
それだけ大人の力が必要ということ
裏返すと
子どもの実力では難しい保育ということですから
発達に見合っていないものだと思っています

だから、大人にも子どもにも負担が生じる

言い方は雑ですが
保育はきれいな成果物がなくて良いし
もっと手を抜いて良いと思います

子どもが笑って遊んでいたら
それはきっと立派な保育でしょう

ということで
集まらず クラス保育を 進めてく
今回の話はおしまいです

最後までお読みいただきありがとうございます

加藤教授が仰っていました

日本の保育者は
保育の実践をお話しすると
みなさん頑張ってしまう
「その通りにやる」
「子どもが同じ結果になる」
ことを追求してしまうと

保育所保育指針は
保育のベースとしては重要なんだけれども
保育の実践は
指針の上で自由に展開されるものであるとも

「指針の通りにやる」のではなく
「指針を理解した上でやる」ものだと

保育の主役は子どもたちですが
それと同時に保育者と創っていくものでもあります

基礎は大事にしつつも
そのときに興った遊びを尊重してもらえたら
あなたの保育はもっと輝いていくと思いますよ

コメント

タイトルとURLをコピーしました