こんにゃちは、猫月です😸
集団生活をしていると
ルールや約束事といったものが必要になってきます
信号に従って横断するとか
愛犬の糞は持ち帰るとか
深夜帯は大きな声や音を出さないとか
自分の思った通りだけで生活していたら
そこにはぶつかり合いなどの支障が生じますからね
保育園生活でもそれは同様で
子どもには子どもなりに
約束事やルールを守ってもらう場面があります
ところで、
その約束事やルールって
子ども達はどうして守っているのでしょう?
道徳心から?
それとも責任感?
はたまた大人に叱られるから?
集団生活において
約束事やルールは大事なんだけれど
それを守ろうとする思いは
どこから生じてくるのでしょうね
今回は、私の事例として
「クラスの約束事」の話をします
・約束事ってなんだろう
・約束がある場面を考えてみよう
・子ども達が「約束」を作るには
・民主主義を考えよう
・大事なのは20年後
では、始めて行きましょう
総合電子書籍ストア【楽天Kobo】約束事ってなんだろう
「約束事」という言葉はよくつかいますが
そもそも何なのでしょうね?
辞書を引けば
1 約束した事柄。また、規則。
デジタル大辞泉©小学館
2 「約束」に同じ。
とあります
まぁ、当たり前な意味ですね
「約束する」というと
あらかじめ、互いに相手と取り決めること
という意味が出てきます
約束事で大事なのは
「互いに」という部分ではないでしょうか
私が保育をしていて違和感を感じるのは
【園庭で遊ぶときの約束】という言葉です
年度初めなどに子ども達と確認をするのですが
「これって、約束として成立してる?」🤔
なんですよね…
約束であるならば
当事者の合意が形成されているはず
というか、合意しているから「約束」なんですけど
どうにも、子どもと保育者が合意した様子がない
確かに安全のために
こうしてほしいこと
やってほしくないことなど
気を付けたい内容ではあるんだけど
「これは約束じゃなくて、通達だよね」
という状況が多いように感じています
で、会議とかに投げ掛けるんですけど
周囲の保育者は「???」な反応なんです
おそらくは保育者も
子どもの頃から「約束事」は
通達されるものだったんですよね
だから、子ども達と同意して形成する
その所作試合に思いが至らないのだろうなと
ただ、私たちは教育者ですから
「約束って、そもそも何だ?」
「約束って、どうやって作るんだ?」
そもそも
「約束って、どうして作るんだ?」
そこに立ち戻りたいなと思うのです
約束事は元からある物ではなく
子ども達と創り上げるもの
そういう認識で
「この場合、どんな約束が必要だろうね?」
と子どもたちに投げ掛けられるのが理想だと思います
約束がある場面を考えてみよう
保育園での約束がある場面を例に挙げつつ
どんな約束が必要なのかを
考えてみましょう
ちょっとしたワークみたいなものだと思ってください
例1)園庭での話
園庭で遊ぶことにしました
まだ登園時間なので、各年齢の子ども達も通ります
子ども達にどのような言葉を掛けますか?
例2)おもちゃの取り合いの話
ふたりがひとつのおもちゃを取り合っています
そのおもちゃは部屋にひとつしかありません
その子たちにどのように関わりますか?
例3)植物の話
花壇に植わった花を摘もうとしている子がいました
すぐそばには自生したタンポポを摘もうとしている子もいます
その子たちにどんな言葉を掛けますか?
あなたの保育園としての約束もあるでしょうし
あなたのクラスの約束事もあるでしょう
あなたの状況で考え
どう子どもと接するかを
想定していただければと思います
あくまでシチュエーションの話です
「自分なら、こう関わる」を
思い起こしてみてください
子ども達が「約束」を作るには
続いて、私ならどうするかをお話ししていきましょう
園庭での約束
これまで勤めてきた園では
早番から引き継いだ時点で
園庭へ遊びに出ることがほとんどでした
当然、まだ登園が続く時間帯ですから
乳児も園庭を通ります
子ども達とは約束というか
「遊び方は考えようね」という話をしていました
乳児も歩く状況であること
乳児はまだ歩き方が拙いこと
みんなが見えていることが相手は見えないこと
見えたとしても咄嗟には避けられないこと
よく「相手の立場になって考える」と言いますけれど
子どもが相手の立場になって考えるって
かなり高度な要求ですよね
大人だって、相手の立場で考えるのは
かなり難しい話でしょう?
だから、想定される状況は
できる限り簡潔でつぶさに伝えます
「相手の立場」がどんなものか
大人が知らせる必要はあると思います
登園してくる子たちの状況を知った子どもたちは
どうしたらお互いが気持ちよく遊べるかを考え始めます
「ボールは端っこで遊ぶ」とか
「追い駆けっこは(登園時間の)後でする」とか
子どもなりに、その状況で遊べることを見つけるものです
おもちゃの取り合いの話
クラスにひとつしかないおもちゃを取り合っている
結構な悩ましい状況ですね
できれば複数個用意してあげたいところですが
予算的な問題やもうひとつが壊れてしまったなど
その場で解決できないこともあるでしょう
私は裁判官ではないので
先に使っていた子が優先とか
順番で遊びなさいとか
そういった判断はできません
あくまで、当事者の問題ですから
こういう場面では
私は状況を子ども達に伝えます
「ふたりとも使いたいんだよね」
「でも、一個しかないんだよね」
「ふたりとも楽しく遊ぶにはどうしたら良いだろう?」
情報を整理した上で
どうするかは本人たちに委ねます
ただ、考える時間は必要でしょうから
「遊び方が決まるまでは、大事に預かっておくね」と
誰かに取られないように保障はします
子ども達が遊び方を決めたなら
あとはおもちゃを返すだけです
植物の話
植物の扱いは意外と難しいと思っています
花壇やプランターなど
植栽している植物を摘もうとすると
子どもを止める保育士がいます
一方で散歩先などで野草を摘むのは
花冠などを作って遊ぶなど
保育者が率先して行う姿もあるのです
以前、一緒に働く保育者に尋ねたことがあります
「花壇の花は摘んではいけなくて
自生している草花は摘んで良いのは
何か理由がありますか?」
その投げ掛けに
明確な答えを持っている保育者はいませんでした
あなたは、いかがですか?
さらに、“命”の扱いも絡みます
虫で遊ぶときに
アリやダンゴムシを潰してしまう子がいます
その時に「可哀そうでしょう」と
子どもを窘める保育者は少なくないのでは
でも、虫も草花も
同じく生けるものです
最近の研究では
植物も外傷に反応していることがわかってきました
【Glutamate triggers long-distance, calcium-based plant defense signaling.】
「痛い」という感覚があるかは不明ですが
傷つけられたことに反応しているのは事実のようです
自然物を対象に遊ぶときに
虫はNGで、植物はOKというのは
実は基準がないのです
私は動物であっても植物であっても
その触れ方に関しては
子ども達に投げ掛ける必要がある
と考えています
「その虫はどこへ行こうとしていたんだろうね」
「その花はどうやって咲いたんだろうね」
「急につかまれたらびっくりしちゃうよね」
良いとか悪いとかではなく
対象への関心を寄せつつ
慮ってもらいたいのです
約束だから
虫を潰さないとか
花を摘まないとかではなく
「自分は○○だと思うから」を
子どもが自分で気付いて
判断できるようになって欲しいと願うのです
民主主義を考えよう
子ども達とのルール作りで
一考させられる本がありました
【子ども達に民主主義を教えよう】
(工藤勇一・苫野一徳©あさま社)
この本の序章に
【トラブルは絶好の学び場】
という項があります
ある日の放課後、横浜創英の校長室に中学1年生の男子生徒4人がなだれ込んできました。明らかにトラブルを抱えた様子です。
【子ども達に民主主義を教えよう】(工藤勇一・苫野一徳©あさま社)
「おお、どうした?」
私がたずねると、そのうち3人が残りの1人、A君のことを一方的に批判しはじめました。
「そうじゃない、こいつらが悪いんです」
A君もA君で一歩もひきません。よくよく話を聞くと両方に悪い点はありそうですが、原因を作ったのはどうやらA君。課金ゲームのためにお金を借りて返さないそうです。
さて、みなさんが私の立場なら、この事態にどう対処するでしょうか。
A君だけ校長室に残して説教しますか?
さらに詳しく事情を聴き、事実関係を整理していきますか?
すぐさま担任を呼び出して、対処を委ねますか?
私はいずれのこともしませんでした。
私は興奮気味の彼らに向かって、こう言いました。
「え、これって僕に仲裁してほしいのかい?それとも不満を聞いてほしいだけなのかい?一体僕に何を求めているの?僕が間に入ることはできないわけじゃないけど、この問題を解決するのは君たちだよ。わかってる?」
彼らは予想外の言葉に少し驚いたようでした。それから私はこう続けました。
「そうは言っても、今は3対1の状態だから明らかにA君の分が悪い。だから、少し手を貸すことにするよ。全員に僕からひとつだけ確認したいことがある。とても大事なことだからしっかりと答えてほしい。じゃあ、いくよ。君たちは1年生で、この学校であと5年以上(中高一貫校のため)過ごすわけだけど、このいがみ合いを5年も続けたいのかい?」
4人の返答はいずれも「いやです」。
想定通りの答えでしたが、私はあえてオーバー気味に反応しながら、こう言いました。
「おお!ということは、君たちはいがみあいをやめたいということで合意したわけだ。でも、今の様子じゃ、明日以降も続きそうだよね。だって、一方が一方の悪いところを批判しては、反発しあい、また批判する。終わりがないよね。でも君たちは全員一致したよね。明日からいがみあわない生活をしたいって。いがみあいを止めるのは僕じゃないよ。僕にはできない。それができるのは、君たちだよ。じゃあ、どうするのよ?」
すると彼らも、「この問題は自分たちでどうにかしないといけない」と悟ったようで、最終的にA君がお金を返し、もとの関係に戻りました。
いかがでしょうか?
工藤先生は学校長ですから
生徒間の問題を未然に防ぐために
校則を作れる立場でもあります
ですが、生徒間の問題は
当事者の物だと一歩引いているわけです
そして、生徒同士で解決できると信じている
だから、大人が判断することもしないし
ルールを設けて抑止しようともしていない
これ、保育だったらいかがですか?
「幼児だから」という理由で
必要以上に大人が踏み込んでいないでしょうか
保育で設けられている約束事は
「子どもを守るため」と称しつつ
当事者が自力で解決できる機会を
大人が奪ってはいないでしょうか?
子ども達にとって
約束事やルールとは
どのような場面で必要なのでしょうね
大事なのは20年後
さて、ここまで読んでいただいた方は
すでにお気づきだと思いますが
私は「クラスの約束事」を置きません(笑)
とんだ卓袱台返し!🤣
手洗いをするのに水道前に子どもが並ぶ
それにしたって「順番を守ろうね」と声は掛けません
並びやすいように動線は整備しますが
順番に並ぶことの大事さは
子ども同士で気付いて欲しいのです
「順番だから守る」ことを身につけるのではなく
あなたと私が心地良く生活するためには
ここに並んだ方が都合が良いし
並んだ順に手を洗うことで
お互いに生活しやすいよね
だから、順番に並ぶ方が良いよね
そう考えられるようになって欲しいのです
食事中のおしゃべりについても同じで
食べる方が優先で
食べ終わってからお喋りする
なんて約束事はしていません
あなたが喋りたいのと同じように
友だちは食べる方を優先したいみたいよ
どうするのがお互いの心地良いかな?
それは午睡でも同様で
あなたはまだ眠りたくないんだね
隣の友だちはもう眠いんだって
あなたが眠らないことを邪魔されないように
眠りたい友だちも邪魔されたくないよね
遊びのルールだって、子ども達が作れば良い
トランプの大富豪(大貧民)は
統一ルールが作れないほどローカルルールに溢れていますし
【UNO】も本来のルールで遊んでいる日本人は少ないと言われます
【マンカラ】にしたって、いくつも遊び方があるそうです
スポーツのルールだって
時代に合わせて変化してきていますよね
例えば、バスケットボール
いまでこそクォーター制が根付いていますが
2000年まで20分のハーフ制でした
私が愛するサッカーも
1試合の交代人数が3人⇒5人へ変更されました
野球に至っては
国内でもリーグによってDH制(指名打者制)が
あったりなかったりしますよね
約束事やルールで重要なのは
「守ること」と同時に
「より良い方法は?」を考え続けることです
保育で子ども達に身につけてもらいたいのは
この「こっちの方がもっと良くない?」を考える力です
今は乳幼児の子ども達ですが
20年後には選挙権を持った社会人です
”社会の当事者”なんですよ
成人した時に
誰かが決めたルールに漫然と従うのか
当事者としてルールを考えるのか
どちらが社会を担う人間だと思いますか?
自分たちが当事者として作り上げたルールならば
ルールを守る意義も生まれるでしょう
それが保育園内の
友だちとだけのルールであったとしてもです
「子どもは、子ども達の中で育つ」
私が何度も口にしている言葉ですが
保育における約束事も
また子ども同士で作り上げるものであってほしいなと
私は切に願います
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