「自己肯定感」って何だろう?

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自己肯定感ってなんだろう?サムネイル 徒然と雑談

こんにゃちは🐈、猫月だんくるおすてうすです。

3月に入り、年度末や新年度準備で忙しい時期ではないでしょうか

実を言うと私も、
年明けからの忙しさに苛まれ
絶賛⚡イライラ⚡のピークに達しております😜

こういう時って
「あー…もっと仕事ができたらなぁ😭」とか
「本当の自分は、こんなんぢゃない!!💢」とか
ちょっと自分を卑下してしまいますよね(よね?!)

そして、
「自分って、“自己肯定感”が低いな…」
なんて思ってしまう人もいるのではないでしょうか

ところで、“自己肯定感”って、何ででしょうね?😳
改めて考えてみませんか

今回は、“自己肯定感”についてお話していきます

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これは私見なのですが
「“自己肯定感”が低い」という表現は
ちょっとピントがずれていると思っています

と言うのも、
“自己肯定感”高いとか低いとか
度合いで表現できる物ではないからです

“自己肯定感”とは、その字で表すように
自己を肯定できる価値感を持っているかどうかなので
高いか低いかとはちょっと違うのです

実際の自分を
ありのままの事実として認識できているかどうか
それだけです

実際の自分よりも
矮小に認識しているのも
尊大に認識しているのも
自己肯定感を持っているとは言い難い状態です

どうにも、自信が無い状態のことを
「”自己肯定感”が低い」
と誤認している方が多いようです

繰り返しになりますが
”自己肯定感”とは、ありのままの自分を肯定することです

それは能力では無く
自己の認識の仕方
または自分にまつわる情報把握の正確さ
の課題なのです

例えばですが
テストは学習の習熟度の指標です

自分がどこまで理解しているか
どこがまだ身についていないのか
その事実を表現した情報なのです

ところが、
点数を誰かと比べた途端
その事実が歪曲されます

「あの子より点数が低かった」
「前回は勝っていたのに…」など
意味の無い比較で自分を見てしまいます

これには、テスト本来の用途や意義を
誤用している大人にも責任があります

千代田区立麹町中学校では
定期テストを廃止し
授業の進捗度合いに応じて
教科ごとの単元テストを行うようになりました

そして、生徒が望めば再挑戦も可能
さらには、点数が上がれば成績として反映されます
再挑戦するかは、生徒の選択次第です

成績に自分が納得したかどうかが大事なのです

自分が認識している“自分像”
客観的事実としての“自分”
そのフレーム(輪郭)が一致に近づくほど
“自己”が明確に認識できると思います

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何のこっちゃな見出しですね😄

ここで、自分語りを始めます(ぇ)

私は保育士です
ピアノが弾けません
泳げませんし
逆上がりもできません
頭髪は薄いですし
背は平均以下

なんつーか、冴えていませんねぇ…😳

でもね
「こうだったら良いのになー」
みたいな物は無いんですわ🤗

これが、自分
掛け替えの無い、自分です

よく自己肯定感の話題になると
「そこにいるだけで貴重なんだよ」
みたいな話になるのですが…
この言葉って実感し辛いんですよねぇ

自分の希少性なんて
自分の存在が当たり前の本人からしたら
かなり想像力を働かせないと
実感できないんじゃないかな、と

じゃあどうするかというと
これは私の場合ですけれど
諦めることです

潔く、すっぱりと
「これが精一杯の自分だ」と

どう逆立ちしたって(逆立ちもできませんけれど😂)
アスリートみたいな運動神経は手に入らないし
憧れの岩城滉一さんみたいな
ロマンスグレーのロングヘアにはなれない

いや、
ジャブジャブとお金を掛けて
アチコチいじればなれるのかも知れませんが
それって最早自分じゃ無いですやん🙅

諦めて、世間的には凡庸な自分を受け入れる

受け入れたら、見えてくる物もあるんです
私は上述のように苦手な物だらけですが
だから保育士として活きていける事に気付く

子どもたちは、当たり前ですが未熟な存在です
それこそ、大人と比べたらできないことだらけ

私には、「できない」コンプレックスがわかります

そして
できない自分がされたら苦しいこと
掛けられたら辛い言葉
伸び代が潰されるような環境…

子どもの成長にとって
「望ましくない何か」を
私は見つけることができます

それって、保育士としてはアドバンテージでしょ?

保育士では無かったとしても
人が傷つくような環境に気付けるのは
労働環境や人間関係に於いては
一つの能力だと思います

苦手な物だらけだからといって
悲観すべき事は何も無い

自分の事実を知り
分析し
活用する

何とかとハサミは使いようと言いますが

自分で自分の活かし所を見つけることで
自分を肯定することはできるんです✌

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“自己肯定感”を育みたい

“自己肯定感”を育むと言うと
一大プロジェクトのように感じてしまいます

実際、周囲の大人たちが
「あなたは素晴らしい」と口を揃えたところで
子どもがどう実感するかまでは分かりませんしね

ただ、子どもが自己肯定感の土台を築く時に
その手助けはできると思います

客観的な事実を
その子に知らせてあげることです

子どもが何かの遊びをしていたら
それを一つ一つ細かに言葉にして返してあげるのです

私はこの行為を
子どもの鏡になると表現しています

「砂遊びをしてるのね」
「お皿に入れたのね」
「自分でスコップで掬えたね」など
子どもの姿をそのまま表現する

子どもは、自分を見守ってもらえる安心感と同時に
共感者がいる安心も獲得します

そして、その子の事実の中に
本人の目に見えない事実も知らせていく

「絵を描いている時のあなたは、楽しそうだね」
「困っていると、助けに来てくれるね。ありがとう」
「自分の気持ちを話してくれて、嬉しいよ」

[子どもの姿(事実)+私の思い(事実)]
併せて伝えることで
子どもは自分が
誰かに役立っている感覚を得ることができます

安心感があると
新たな事に挑戦する余裕も生まれます

その挑戦に失敗したとして
自分には既に確立された物があります

大人から言葉で固めてもらった土台が築かれているからです

少し話が逸れますが
“自信”って何だと思いますか?

の字には“まこと”と言う意味があります

自信=自分のまこと
自分の実際を知っていることが
「自信がある」という状態です

得意も苦手も含めて自分を知っている
それが自信があるということです

自分の得意を発揮することでは無いのです

こんな逸話があります。

ヒトは、得意なことがあっても
それだけでは生きていくのは難しいです

自分の得意なことと
誰かの得意なことを
お互いに補完し合い協力することで
初めて生活が成立するのです

自己肯定感を育むということは
社会の中で生きていける力を身に付けるということです

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“承認欲求”は、自分の姿を曇らせる

私得意の、いきなり話を逸らします😁

ここに、18℃の水が100ccあります

この水の価値は、いかほどですか?

あなたにとって
どのようなものでしょうか?

ある人は「冷たい水だ」と言いました

ある人は「ぬるい水だ」と言いました

ある人は「ちょっと多いな」と言いました

ある人は「これじゃあ少ないよ」と言いました

どの人も、目にしたのは18℃100ccの水です
つまり、事実と価値は一致しないのです

誰かからの評価とは
つまり承認欲求とは
そういう曖昧なものです

絶対的な価値ではありません
承認欲求は、私の事実とは無関係な物です

承認される=褒められることは
相手に価値の基軸があります
つまり、自分の存在意義を他者に依存してしまうことです

そして、相手が変わる度に
その基軸も変わってしまいます
相手によって、自分の価値が変わる

自分の姿が、いつまでも定まらないのです

日々生きていく中で
対面する相手が変わる度に
自分の存在が変化してしまっては
果たして充実した生活を送れるでしょうか

承認欲求は本能だと言う人がいますが
私は承認欲求は本能だとは思いません

そこにあるのは、ただ怠惰でいたいという態度です

自分の生涯を豊かにするという
生存本能とは相反する態度です

自分の価値を
自分で見つけることすらしたくないのですから
その人の人生では
それ相応の物しか得られないでしょう

もちろん、そういう人生を選択したいのであれば
それで良いと思います

ただ、誰かから承認を得られなかったとしても
またその人生の責任が自分にのしかかるだけの話です

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自分を好きである必要は無い

自己肯定感を
自分を好きになることと考えると
苦しいと思います

なぜなら
ヒトは本能的にコンプレックスを抱えているからです

先程も申しましたが
一人では生活が完結できない生物です

できないことが前提
不完全な動物が、我々ヒトです

ですが事実は好きか嫌いかによらず
そこに事象として存在します

だから、自分に関する事実を
一つ一つ抑えていく

できることも、できないことも

その上で
社会の中でできることを発揮し
助けてもらう部分は頼ることです

自己を肯定するのは
自分の良い部分を強調することとは違います

自分を知り、理解し、活かすことです

自分にまつわるデータを分析することから始めましょう
自分で見えない自分の姿もあります
そこは、誰かに見てもらいましょう

その時には、評価の言葉を置き換えることをお忘れなく
短所は、長所ですからね
自分の短所をたくさん見つけてくれる人は
長所をたくさん見つけてくれる人です

人からの言葉は
耳にする時は苦しいかも知れませんが
オセロのように全部ひっくり返せる駒でしかありません

ガンガンひっくり返してやりましょう👍

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自分の長所を目の前に並べた時に
自分の事実が分かった時に
自分をどう評価するかは
あなた次第ですよ

私は、自分が優れた人間だとは思っていません

ですが、自分は唯一無二という自覚はあります

それは、コンプレックスが活かせるという環境にあったことが大きいです
自分もできたから、あなたもできる、とは言いません
それでは傲慢というものでしょう

ただ、見方を変えると
それだけで自分像は変わります

ヒトなんて、大したものではないんですよ

カルシウムが足りないだけでイライラするんです
天気一つで、気分まで晴れちゃうんです
いい加減なもんです

だから、イイ加減で自分を見られると
「そんなもんかな」って
思えるんじゃないかと🤗

そして、子どもにも
あまり大きな期待を掛け過ぎないように

笑顔で過ごしていてくれたら
時々癇癪を起こすこともあるけれど
朗らかに一緒に過ごしていけるんじゃないでしょうか

ありのままの自分を認めて
“自己肯定”できると
肩の力もスッと抜けると思いますよ🤗

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