猫月はどんな“保育観”を持っているのか

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猫月はどんな保育観を持っているのか みんなのQ&A

こんにゃちは、猫月です😸

質問をいただきました

「どんな“保育観”で子どもたちと関わっていますか?」

ぶっちゃけた回答をしてしまうと
私は“保育観”を持っていません

👩🏻「いやいや、そんなことはないでしょう」

と思われるかも知れませんが
“保育観はない”、もしくは“保育感を持ち込まない”
それが私のスタンスです

単純に考えて
会社員って“会社員観”を持ってるんですかね🤔
銀行員には“銀行員観”ってあるんでしょうか?

と、屁理屈はここまでにして🤭

私が「保育観を持たない」のは何故か

5つの観点から、お話ししていきます

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「保育観」とは、簡単にいうと
子どもを保育する際の大切にしたい価値観や考え方のことです

保育者の生育歴や就業環境、経験などによって影響を受けます

あくまで、保育に対する個人的な価値観ということですね

子どもとどう関わるか
子どもに大事なものとは
子どもとの距離感
保護者への支援など

保育者として、何を提供し、何を提供しないのか

保育観は個人の主観ですから
保育士の数だけ、保育観があります

令和2年度時点で
保育士登録者は約167万人
保育従事者数は約65万人
と厚生労働省は公表しています

保育現場にいる保育者の数だけ保育観があるとなると
子どもや保護者と相性の良い保育者に出会うのは
“ガチャ”になってしまうような気もします

そうならないために
「保育所保育指針」というものがあります
当たり前の話ですが、完全オリジナルな保育では困りますからね

保育所保育指針に基づきつつ
保育園ごとに創意工夫や保育の質の向上に努めることを求めています

保育観はあくまで個人の価値観
でも、保育所保育指針を基準にして
保育園ごとに保育の方針は検討してね

というのが、原則としてはあるということですね

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ここが本題になるかと思いますが

「猫月は保育観を持たない」でどうしているかというと
「巨人の肩に乗る」ようにしています

この言葉は
ニュートンがロバート・フックへ宛てた書簡の一節で
有名になったと言われています

意味合いとしては
先人の知恵や業績を基盤に、より展望を拓く
といった感じですね

私はどこで知ったかというと
【インベスターZ】(三田紀房©️講談社)です

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保育やヒトの育ちに関して
汐見教授や加藤教授、大豆生田教授など
様々な方が研究をされています

研究というのは
大勢の子どもを指標に基づいて
横断的、縦断的に観察して得た客観的事実です

私が保育士として得られる主観的な保育観は
研究の膨大なデータとは比較になりません

また、アドラー心理学でも解説されていますが
ヒトの記憶は主観的に改ざんされます

つまり、経験というものは
当人に都合良く事実が変わってしまいます

私の記憶は、私にウソをつくのです😳

これは個人的な考えですが
保育観は保育にとってアテにならない
それが私の結論です

ですから、私は保育論に基づいて保育をします
そして、保育観を持ち込まない理由です

保育所保育指針に則った保育を目指す
発達心理学に基づいて子どもの成長を見守る
行動心理学から子どもの援助スキルを学ぶ
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子どもに提供する遊びは作業療法や理学療法を参考にしますし
言葉や食事の環境は言語聴覚士から意見をもらいます

餅は餅屋です

「模倣なくして創造なし」は
野口悠紀雄教授の言葉ですが

目の前の子どもたちに合った保育を展開するには
どれだけ巨人の肩に乗れるかだと考えています

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もうひとつ、これは私独特の考え方ですが

保育は数学に似ていると思っています

数学の問題を解くには
法則や定理、公式を理解していることが必要です

保育に正解はありませんが
一方でヒトの育ち・発達には理論が存在しています

私は目の前の子どもの姿は
数学の文章問題に似ていると思うのです

数学の問題を解く時は
文章問題に合わせてどの定理や公式を使うかを考えます

基礎的な計算や証明をくり返し経験し
応用として文章問題に取り組みますよね

保育にも発達論や各種心理学など
理論や技術があります

子どものその時、その場面での姿に合わせ
保育士が持っている理論や技術を用いて
必要な保育を展開していきます

こういうことを口にすると
「猫月の保育は“人間味”がない」
とか言われるんですけどね😜

私からすると
ヒトがヒトらしく育つためには
ヒトをより知り
「ヒトとはどんな生き物か?」
「ヒトができること、できないことは?」
「ヒトの育ちにより適当な時期は?」
「“環境としての保育士”とは?」
そういうロジカル・シンキングが必要です

人間味というのは、個人の経験則による思い込みとは異なります
くり返しになりますが、記憶はウソをつきます

“成功体験”の「成功」には測定する基準が必要ですが
何を以て「成功」なのか言語化できる人は希少です
万人共通のスケール📏がないからです

過去に「良い保育ができた」と思っていても
本当のその保育が子どもたちに効果的だったかどうか
その実際が保育士には不明なのです

私は「良い保育」を目指しません
保育論を根拠にして
子どもたちに必要とされる環境や技術を投入するのみです
ただし、何でもかんでも使えば良いというものではない

だから、数学の文章問題に例えて考えるのです
目の前の子どもがどんな状況にあるか
どこまで育っていて、育ちたがっていることは何か
その子の力と伸びゆくものに合わせて、先人の知恵を拝借する

子どもに最適な環境や技術を用いるためには
また、子どもの姿を読み解くためにも
どれだけ多くの抽斗を持っているかが重要です

数学だって、理解している公式や定理、法則が多くないと
目の前の問題が解けませんよね?

👩🏻「でも、保育に正解はないでしょう?」

そうですね、保育に明確な正解はありません

文章問題で思い出しましたが
東京大学の入試試験は筆記試験です
その採点は少し変わっていて
数学の試験であっても正解だけが得点ではないそうです
「この問題を解くには、こういう方向性で考えたい」
筆記で自分のやり方を示すことで
部分点が加点されるので
とにかく解こうとする姿勢を答えることが重要なのだとか

保育もまた同様ではないでしょうか

子どもに合わせてのアプローチに正解はありませんが
そこに方向性はあるはずです
Bestはないけれど
more Betterはある

ただ、more Betterへ近づくためには
数学であれば公式や定理を理解しておく必要があるように
保育の場合も様々な知識やスキルが必要なのです

保育に正解はない
だからこそ、子どもの最善の利益へと少しでも近づけるよう
専門家としての道具はできるだけ揃えていたい

保育の抽斗を増やすために
学び続ける意欲を常に持っていたいと思います

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これは私がいつも引用させていただく
野島千恵子さん(社会福祉法人 路交舘)の言葉です

ヒトの育ちに関する理論を学んでいくと
子どもには「成長したい」という本能があることがわかります

それを前提にすると
子どもは自分で育とうとしているんだから
大人はそれを妨げるものをどければ良い
むしろ、大人が妨げている場面があるんじゃないか🤔

そう考えるようになりました

そこへさらに、野島先生の言葉が加わります

子どもの中で、子どもは育つ

保育をしているときに
私が子どもたちを見守るひとつの視点として
「私がここにいなかったら、子どもたちはどうするだろうか」
というものがあります

遊びの場面
食事の場面
更衣の場面
ケンカの場面…etc

そこに、大人がいなかったら?

子どもの中で、子どもは育つを前提に
環境としての保育士を考えるのであれば

どれだけ保育士を引き算できるか

それが重要なのでしょう

保育士というと
どれだけ子どもと関わっているかを注目されがちですが
本当に必要なのは、子どもたちを信頼し
適切に距離を取れるかなのだと思います

子どもと適切に離れられるのは
子どもを観るスキルや発達の認識があってこそですからね

ぼーっと子どもを眺めているわけではなくて
専門性を持って離れている場合もあるということです

端から見ているとわかりづらいですけどね😂

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最後に、私の仕事の捉え方の話です

保育士は、あくまで仕事

私が保育士をやっているのは
自分がやりたいことを実践するのに都合が良いからです

以前の記事でもお話していますが

私にとって保育士はあくまで“手段”のひとつです
他に都合の良い仕事があるなら、いつでも変えます

そして、飯のタネ=収入源です

こう言ってはなんですけど
人生のすべてを捧げて全うしたいものじゃないんですね

私がやりたいことは、あくまで保護者支援
保護者の人生が充実していることが
子どもの育つ環境を充実させると考えているからです

労働力となっているのも保護者ですし
保護者が気持ちよく働けることが
子どもを含めた社会全体を豊かにすると思っています

これには由縁があって

私は卒業論文で
【母親の職業満足・父親の育児参加と子どもの園生活】
というものを研究しました

内容を簡単に説明すると

父親が育児に参加する度合いが高いほど
母親も余裕を持って育児に携われるので
子どもの発達にも好影響があるだろう
と仮定したわけです

ところが結果はですね
父親の育児参加度と子どもの発達には相関関係は認められなかったんです

いわゆるワンオペ状態であったとしても
母親が充実していると感じているならば
子どもの発達は順調だったんですね

25年近く前の学生の研究ですから
そもそものデータも足りませんし
追跡調査もしていないので
論拠とするにはかなり弱いのですが

それでも「保護者が充実して働いている」ことが
子どもにとっても好影響なのだろうという推論は成り立ちます

保護者が充実して働くことを支援できるのであれば
保育園勤務にはこだわりません

子どもとダイレクトに関わることが
私の目的ではないからです

もちろん、保育園で勤める限りは
子どもに矢印を向けた保育をしますし
保育の向上を目指していきます

それともうひとつ

仕事である限りは、いつだって辞められる

日々の保育に専心するけれど
より良い環境や手段があるかも模索する

目的のためであれば手段は問わないのです

それは、保育でも同様です
私に「自分の保育」は必要ない
子どもの最善の利益に近付ける保育を選択し続ける

魚を捌くのに果物ナイフでは非効率でしょう
リンゴの皮をむくのに牛刀では不便ですよね

やってやれなくはないけれど
もっと便利な道具があるはず

保育士であるかどうかも含めて
私にとっては選択肢のひとつです

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ということで、私の考える“保育観”のお話でした

就職して最初の職場が保育園ではなかったことや
保育園以外にも異動する可能性があることも
私の考え方には影響していると思います

“保育観”で仕事をしていると
他の現場で仕事をするのが難しくなってしまいますからね

プロフェッショナルとして求められているのは
あくまで顧客の利益にコミットメントすること
保育園では、子どもと保護者の福祉ですね

これは主任主事になった時の
研修で講師からあった話です

あなたなら、この言葉をどう捉えますか?

私は、誰が実践しても大きく質が変わらないものが
社会にとっても、価値の高いものだと考えます

同じレストランで
同じメニューを注文したのに
出てくる品によって味が違ったら不安でしょう?

同じ保育園の中にあっても
保育者によって保育が変わってしまったら
子どもも保護者も安心できませんからね

割と口にしている“保育観”という言葉について
考えるきっかけとなれば嬉しく思います

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