手遊びで、何が育って欲しいか

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こんな遊び、どう?

こんにゃちは、猫月です😸

子どもと過ごす中で
“手遊び”というものがあります
歌と手や身体の動作で楽しむ遊びですね

あなたは、“手遊び”というとどんなものが思いつきますか?

グー・チョキ・パー✊✌✋
キャベツのなかから
トントンひげ爺さん(アンパンマン)

などなど、乳幼児でも楽しめるものがたくさんありますね

ちょっと難しくなると
アルプス一万尺
ミカンの花咲く丘などもありますね
(私、これができないんです…🤯)

ところで、手遊びってどんな場面でやりますか?

よくあるのは―
子どもたちが集まるまでとか
配膳準備をしている間とか
絵本の読み聞かせの前とか
そんな場面でしょうか

私が最初の保育園実習で
園長からいただいた言葉があります

それが、園長からの言葉でした

保育士として勤め始めるのはそれから数年後の話になるのですが
その時の言葉は、今も私の保育の根っことして残っています

手遊びひとつを提供するにしても
そこには“保育の目的”“成長への効果”があるわけです
では、私はどんなねらいを持って手遊びをしているのか

以上の視点でお話していきます

手遊びには歌がついてきます
当たり前のような話ですが、これが結構大事なんです

そうそう、子どもの遊びにまつわる歌として
“わらべうた”というものがありますね
わらべうたと手遊びの違いって、何でしょう?

厳密な違いはないのですが
わらべうたは子どもたちが生み出し、歌い継がれてきたものです
それに対して
手遊びは大人が意図して作曲してきたもの、とも言われます

わらべうたの例としては
ずいずいずっころばし
ちゃちゃつぼちゃつぼ

かごめかごめ
でんでらりゅうば
などがありますね
子どもたちが生み出した歌なので
感性的で、ちょっと意味が通じない歌詞がある場合も…
それがまたわらべうたの魅力なんですけどね

手遊びは近代以降に作られたものが多いので
歌詞が標準語のものが多いです
明治初期は日本人同士でも地方が異なると言葉が通じなかったといいますから
誰にでも意味が通じる手遊びの歌詞は
大人の意図が含まれるといわれると納得する部分があります

とはいえ、どちらも子どもの成長に寄与するものですから
特に区別することなく子どもと楽しめると良いのではないでしょうか

そんなわけで(?)
手遊びの効果のひとつに歌にふれることがあります

手遊びというと、保育の導入で使うことも多いかと思います
私も、保育の導入として
子どもたちの興味を喚起するために手遊びを活用することがあります

例えば
散歩でどんぐりを拾いに行こうと思えば
どんぐりころころをしてから出掛けますし
おやつがおにぎりだったら
おにぎりおにぎりをやってから配膳するとかですね

ただ、保育の導入で手遊びを使うのって
集団を前にしている時ではないですか?

子どもが手遊びに初めてふれるのって
そういう集団よりも以前―
大人との一対一のれ合いの場面だと思うのです

いっぽんばしだったり
ちょちちょちあわわだったり…ね?

歌を耳から聴くだけでなく
ふれ合いの中で、身体全体で歌に馴染んでいく
その中で、大人に手を取られながら、模倣をしながら
手遊びを経験し、獲得していくと思うのです

また、歌には会話とは違う言葉への関心を引き出していきます
まだ喋り方が拙い子が、唄うことがあるでしょう?
それに、仕草で表現することも獲得しますね
ボディランゲージも立派な言語です

手遊びを通じて、歌を身につけ
そして、“表現”する力を獲得していけるのです

2・3歳児が室内を走り回る姿
よく見かけますよね

大人としては危険性があるので止めたいところですが
そもそも、どうして狭い室内で走るのでしょうか?

いすに座って行う活動でも
子どもがじっと座っているというのは
なかなか難しい事のように映ります

実際、“止まる”という動作は難しいのです

え?止まっているだけでしょう?

大人はそう思うかも知れませんが
あなたは
1時間じっと座っているのと
1時間散歩しているのとだったら
どちらが楽だと感じますか?

身体を制止するというのは、実は困難なことです
筋肉をギュッと縮め続けなければなりませんからね

それに対して身体を動かすのは
筋肉を伸ばしたり縮めたりするので
身体としては楽なのです

それに、筋肉を動かさないと
血流が滞ってしまうので不調をきたします
ヒトは動くようにできているのです

とはいえ、場面に応じて適切に身体を動かせることも大事です

子どもの成長を見ていると
手を動かすと足まで動く子を見掛けます
これは、分化が未熟だから起こることです

ヒトの運動発達は
中心から末端へ
上から下へ
という順で行われます

体幹部が発達してから手足が発達する
上半身が発達してから下半身が発達する
そういう順に子どもの運動は成長していくのです

私は手遊びをしながら
「少し早くするね」
とか
「少しゆっくりにするね」とか
「思い切り大きく動かすね」とか
「こんなに小さくするね」とか
テンポ動作の幅を変えていきます

早くした時に、手と一緒に足まで動く子は
上肢と下肢の運動分化が未熟ということです
だから、手を早く動かそうとすると足まで動いてしまうんですね

ここで「足は動かさないよ」と注意したところで
無意識に動かしているのですから
子どもは制御なんてできません
子どもの発達を考えるのであれば
手を十分に操作できるようになることで
足も思い通りに制御できるようになるのです

だからどうするかといえば
手遊びをとことん楽しみます♪

同じ手遊びを
早くしたり、ゆっくりにしたり
大きくしたり、小さくしたりするのは
子どもが自身で身体を制御するための経験です

テンポに合わせて手を使う、指を使う
テンポを感じるために目を使う、耳を使う

手の運動と足の運動が分化し
右手と左手の運動が分化し
親指、人差し指、中指と指の運動も分化する

自分の身体を制御できるようになると
動かすこと止めることの制御ができるようになってくる

そうすると
椅子に座りながら
相手の顔を見ながら
話に耳を傾ける
そういうことができるようになるのです

裏を返すと
子どもの運動発達と合わない要求をしていたら?
それは、保育が窮屈で苦しいものになってしまいますよね

子どもの運動発達のきっかけとしても
私は手遊びは有効なものだと考えています

そういった動作が、手遊びにはふんだんに盛り込まれていますからね

もちろん、いすにじっと座るためにではなく
自分の身体を思い通りに動かせるようになるため
これが手遊びの目的のひとつです

手遊びにもいろいろあって
応答系の遊びがありますね

グー・チョキ・パーなんかはわかりやすい
♪なにつくろ~ なにつくろ~
と唄いながら問い掛けて
子どもは両手の形を組み合わせて何かに見立てる

手遊び歌の問い掛けをきっかけに
頭を捻るわけです

他にも
♪おーちたおちた なーにがおちた
も、落ちてきたものに合わせて
咄嗟のリアクションを考える遊びです

それ以前に
大人の模倣をするだけで
観察再現という思考動作がありますしね

あと、先に運動についてお話ししましたが
“身体を動かす”も頭を使います
大人にとってはなんてことのない動作も
子どもにとってはエネルギーが必要なものは多いです
大人も、ストレッチとかヨガをすると
できない動作ありますしね🤣

自分の身体を思った通りに動かそうとすると
「あれ?身体をこの形にするってどうするんだ?」
「手の向き?」
「傾けると倒れちゃうよー」
「あ、こうすればできる!」

思考考察のくり返しがあるんです

歌を感じる
歌詞をイメージする

これだって思考ですしね
歌詞を勘違いするのも、ひとつの思考です🤣

子どもの思考が進んでくると
キャベツのなかからで遊んでいたときに
「お父さんあおむしとお母さんあおむしは、ちょうちょだよね」
なんてツッコミをもらうこともあります

ただの遊びのように思えても
子どもたちは遊びながら頭を使っているんです

手遊びって一人でもできるんですけれど
応答的なものが多いですよね
初めての体験が大人と一緒だからというのもあるんでしょうが
やはり歌があるので
大人や友だちと共感してこそ楽しいのだと思います

私は苦手(というかほぼできない)ですが
アルプス一万尺
ミカンの花咲く丘などは
二人一組で楽しむ遊びです

相手とテンポを合わせて
動作も対応させてと
なかなかに高度な遊びです

運動の制御と協応
相手の観察と共感

これができるのは
手遊びを十分に楽しんで
誰かと一緒に遊ぶ心地良さを経験したからこそです

ちょっと話が逸れますが

人生にはいくつかの課題があるといいます
その中で次のようなものがあります
・ひとりの課題
・ふたりの課題
・みんなの課題

日本の教育では、ひとりの課題とみんなの課題に取り組むことは多い
ですが、ふたりの課題の経験が少ないといわれます

ひとりの課題では、自分が最善を尽くす
良くも悪くも、自分次第です

みんなの課題では、チームとして最善を尽くす
誰かと協力する経験になりますが
パレートの法則に示されるように
パフォーマンスが良い2割の人と悪い2割の人が生まれます

では、ふたりの課題では?
お互いの長所を最大限に活かしつつ
相手の苦手を補うことで
最大限の成果を得ることができます
自分とあなたの幸福を求める課題ともいえますね

このふたりの課題を
遊びを通して幼児期に体験できることは
大人になってからも活かされてくるでしょう

もちろん、どの遊びを通してでも
誰かと一緒に遊ぶ心地良さは経験できるのですが
ひとつの機会として手遊びというツールもあるということです

手遊びにもいろいろな歌がありますが
中には季節を感じるものや
身近な自然・生物が登場するものもありますね

キャベツのなかから
春を感じたり、蝶という生き物への関心を起こしますし
トマトはトントントン
身近な野菜への興味や愛着を引き出すのではないでしょうか

もちろん、
実際に季節を目にしたり感じたりは大事な体験ですし
自然や生物にふれることも大事です

ただ、手遊びをきっかけに興味を持ったり
興味を持ったものを手遊びでさらに関心を深めるのも
子どもにとっては大事なことだと思うのです

子どもが、自分で興味を持ったものに
目で見て、耳で聞いて、肌で感じて…
それはインプットです
それを自分なりに表現する
話して、描いて、作って、唄って…
それはアウトプットです

ヒトが何かを“理解する”ためには
インプットするだけではなく
アウトプットすることが大事なのだそうです
アウトプットするためには、インプットしたものを咀嚼する必要があるからです

子どもなりに
観察してみる
考察してみる
模倣してみる
表出してみる

その繰り返しをする中で
物事の理解が進む

そうやって、物事の見方が多角的になったり
表現する方法が多岐に渡ったり
少しずつ感性が広がっていく

そのアウトプットの方法のひとつ
手遊びということです

歌を唄う
手を見立てる
手で模倣する
その複合的な動作をする中で
自分を取り巻く環境への理解が深まり
さらに環境への好奇心が湧いてくる

まぁ、大袈裟に書いてはいますが(笑)
でも、学習の入口は好奇心ですから
手遊びを介して、後々の勉強への意欲を引き出す糸口ではあると思います

子どもと手遊びを楽しむことが
就学してからの勉強への意欲に繋がるなら
一緒に過ごす時間は、投資として割が良いんじゃないでしょうか

手遊びにはいろいろな要素が含まれていることは伝わりましたでしょうか
歌として
運動として
知的活動として
社会性の導入として
感性の入口として
子どもの様々な力を引き出すものとして
どんな手遊びを、明日は子どもたちに届けましょうか

子どもの力を引き出すため、伸ばすために
手遊びを楽しんでいただけたら嬉しく思います

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