【絵本の世界“せんそうがやってきた日”】

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たのしい絵本

こんにゃちは🐈、猫月だんくるおすてうすです。

今回は、独断と偏見おすすめシリーズとして絵本を紹介します。

“せんそうがやってきた日”©版:すずき出版
作:ニコラ・デイビス
絵:レベッカ・コッブ
訳:長友恵子

あらすじ―

せんそうがやってきた日
まどべには 花がさき
おとうさんは おとうとに
子もり歌を うたってうた
おかあさんは あさごはんをつくり
わたしの鼻にキスをして
学校までおくってくれた

午前の授業で
火山のことを勉強した
おたまじゃくしがカエルになるっていう
歌をうたった
鳥の絵をかいた
そして
ランチタイムのすぐあとに
せんそうがやってきた

「せんそうがやってきた日」冒頭より

ランチタイムのすぐあとに戦争がやってきた―

戦争にまつわる絵本は数々あります。
この絵本と出逢ったのは偶然ですが、
私の心を掴んだのは、帯にあった言葉です。

そして ランチタイムのすぐあとに 戦争がやってきた

戦争の理不尽さ、無慈悲さ
それが表されているフレーズでした。

これは、主人公の平穏な日常が突然奪われ、
戦争から逃れるために、懸命に逃れようとする物語です。
ですが、どこまで行っても、戦争は彼女を逃してくれないのです。

「いすがないのです。」―

戦争に巻き込まれた主人公の少女は、
戦争から逃れようと海を渡ります。
そこで、学校を見つけるのですが、
そこで教師が発した言葉にも、心が締め付けられます。

「あなたの居場所はありません。
 わかりますね。
 いすがないのです。さあ、いきなさい」

「せんそうがやってきた日」文中より

生まれた国を失い、
ようやく辿り着いた土地でも、
彼女に向けられたのは“拒否”の言葉でした。

“戦争”と向き合う、ということ―

戦争の是非については、ここでは語りません。
どんなに理想論を語ったところで、
ヒトがそれほど有能であるとは、私は考えていないからです。
もちろん、理想を抱くことは重要なことなのですが、
現実として戦禍に曝されている人は世界中に数多くいます。

大事なのは、私たちに何ができるのか?ということです。

難民を受け入れるのか、
難民支援のために寄附をするのか、
それとも人員を派遣して後方支援を行うのか

どれが正解なのかは、正直なところ分かりません。
ただ、考えて行動することだと思います。
そのためには、まず“知る”ことが最初の一歩なのではないでしょうか。

これからの時代、求められるのは
「答えのない問題を、一緒に考えていく力」だと言われています。
残念ながら、私たちは正解のある問題に取り組むことばかり求められてきました。
テストでの得点を目指し、
組織(それは学校であったり、企業であったりします)の試験に
合格することが「良し」とされてきました。
「戦争は、善か悪か?」という問いを行い、
「戦争は悪だ」と答えるのは、正解のある設問です。
残念ながら、それでは目の前にある問題は片付かないのです。

正否を問う考え方をしていては、
困難に直面した人と相対したときに
「(あなたの)いすはないのです。」
となってしまうのではないでしょうか。
「いすがない」を越えて、
「どうやったらいすを用意できるのか」を考えられるのが、
次代を担う人たちに求められる力だと思います。
もちろん、その“次代”には、今を生きる全員が含まれているはずです。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。
ここまで書いておきながら、
「説教くさい文だなー」と我ながら思います😓
ただ、この絵本と巡り会って思ったのは、
これまで読んだ絵本は、
戦争の悲惨さを伝える作品が多くて、
「戦争はしてはいけない」という、
教訓めいた感想を持つことがほとんどだった思います。
アニメ『コードギアス 反逆のルルーシュ』で、
「撃って良いのは、撃たれる覚悟のある奴だけだ!」
というルルーシュの台詞がありますが、
実際には、自分には弾が当たらない位置から、他者に引き金を引かせる人間がいるのです。
世界は、平穏なわけではない。
残念ながら、それが事実です。
私たちの生活と繋がった場所で、苦しんでいる人々がいるよ。
その人たちに、自分だったらどう関わる?

それを考えるきっかけとして、
まず大人がこの絵本を手に取ってもらえたらと願います。

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