“自分で考える”の話

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こんな遊び、どう?

こんにゃちは、猫月だんくるおすてうすです。

以前、子どもの主体性についてお話ししました。

今回は、具体的に保育の中で私が感じた
子どもの主体的な姿
“自分で考えた”姿についてお話していきます。

と言いながら、
最初にふたつほど漫画から例題を出しますので、
みなさんも”自分で考える”という体験をしてみてください☺

▶答えは、どこにある?

【多数決の道】
あなたたちは5人でゴールを目指しています。
ここが最後の分岐点です。

右の扉は、5人で行けるが長く困難な道。
左の扉は、3人しか行けないが短く簡単な道。
長く困難な道は、どんなに早くても45時間かかります。
短く簡単な道は、3分程でゴールに着きます。

なお、ゴールまでのタイムリミットは60分を切っています。

あなたたちなら、どちらの道を選びますか?

HUNTER×HUNTER3巻©冨樫義博/集英社

あなたは、右の扉、左の扉、どちらを選びますか?
その理由は、どうしてですか?
そして、どうやって5人の総意を決めますか?

▶正解の無い問題を考える

広場のタンポポは抜いて遊ぶのに、
どうして花壇の花は摘んではいけないの?

カやゴキブリは殺すのに、
どうしてチョウやセミは殺しちゃいけないの?

「正解のない問題」の例としてよく挙げられるのが【トロッコ問題】ですね。
ですが、正解の無い問題は世の中にあふれています

上の問い掛けに、あなたならどう答えますか?
上の問い掛けに、子どもたちはどう答えるでしょう?

▶ひとつしかないケーキ

今度は、具体的な子どもの姿についてお話していきます。

それはある日の夕方のことです。
私は夕方保育の当番で、3・4・5歳児を保育していました。
4歳児の二人が、怪訝な顔をして私のところへやってきました。

👦「『貸して』って言ったのに、ケーキを貸してくれないの」
👧「私が先に使ってたの!」

👧の手にはデュプロのケーキ🎂が握られています。
簡単に言えば、おもちゃの取り合いです。
二人でやり取りをしていても埒が明かないので、
私のところへやってきたのでしょう。

👨「二人ともこのケーキで遊びたかったんだね」
と受け答えしつつ、そのケーキを預かります。
二人の意図を推察すると、
①この問題を解決して欲しい(=正解が欲しい)
②自分の味方をして欲しい(=自分を保障して欲しい)
といったところでしょうか。

さて、私にできることといえば、
状況を整理した上で、二人の判断を尊重することくらいです。

ということで、
二人にはこう返事をしました。

👨「二人ともケーキで遊びたいんだよね」
 「でも、このケーキは1個しかないんだ」
 「二人とも楽しくなるには、どうしたら良いかな?」
 「二人が決めるまでこのケーキは預かっておくから、
  どうするか決めたら教えに来てね」

二人は「???」と疑問符だらけな顔をしながら、
少し離れた場所で話し合いを始めました。

私は二人の結論を待ちます。

しばらくして、
二人がニコニコした表情で私のところへ戻ってきました。

👧「あのね、二人で一緒に遊ぶことにした」
👦「一緒にパーティーするの」

私は「そう!それは楽しそうだね」とケーキを二人に返します。
そして二人はお迎えが来るまで、
デュプロでごっこ遊びをしていました。

私に訴えに来た当初、
二人からしたら、正解は2択だと思っていたでしょう。
ぼくか、わたしか、
どちらかがケーキを使えるものだと。
そして、先生が決めてくれるのだろうと。

残念ながら、私にそんな裁量権はありません。
裁判権があるのは、法治国家では裁判官だけです
”善い”も”悪い”も、保育士は判断できないのです。

実際、二人で第三の選択肢を見つけて、解決しましたしね♪

▶三輪車で遊ぶ?すべり台で遊ぶ?

ある日の日中、2歳児の姿です。

とある子👧が三輪車で遊んでいました。
そんな中、すべり台で遊ぶ友だちの姿が目に留まりました。
自分もやりたくなって、三輪車をすべり台の傍に置いて、
すべり台で遊び始めました。

そこへ、三輪車を探している友だちがやってきました。

すべり台の上から、
👧「だめっ!」と叫びます。
そりゃそうですよね、自分が乗っていた三輪車ですから。

そこへ、一人の保育士が声を掛けます。

👩「もう使ってないんだから、貸してあげなさい!」

大事な三輪車を取られたらかなわんと、
急いですべり台を降りて三輪車を掴む👧

そこで私は同僚へ声を掛けました。

👨「彼女は三輪車かすべり台か、選んでる途中なんです。待ってあげてください」

大人同士のやり取りを聞きながら、
👧は三輪車とすべり台を見比べています。

そして、
「いいよ」と友だちに三輪車を譲り、
すべり台を登っていきました。

▶世の中には、ほとんど正解がない

世の中の大抵の問題には、正解がありません

保育の中でだって、
例えば「着替えは、給食の前?後?」とかありますよね。
給食の前という人は「食事は、清潔な服で食べさせたい」
給食の後という人は「食事で汚すから、着替えは後が良い」
どちらも、それぞれメリットとデメリットがあるわけです。
そこには、”善悪”とか”優劣”なんて基準は存在しません。

私たち保育士や保護者は
【子どもの最善の利益】
を追求しながら子どもと関わっているわけですが、
そもそも”最善”としつつ、Bestな選択肢なんて存在しないのです。
あるのは、あくまで(状況を鑑みた)more Betterだけ。

正解なんてないのですから、
「大人の言う通り」も、もちろん正解ではないですよね。
(神様の言うことだってかなり怪しいんですから🤫)

時代が進めば、価値観も変遷していきます。
私たちが子どものころ「常識」だと思っていたもので、
もはや通用しないものなんてたくさんありますよね。
時代だけなく、土地が変われば通じない常識だってあります。
私は千葉の生まれですが、長野へ引っ越した時は、
ブドウの皮をむくどころか、種を吐き出すのに驚かれました🍇
(といっても、全員でもないようですが)
その場、その時で、最善を考えられるように、
それが次代を担う子どもたちに必要な能力なのは確かなようです。
そのためにも、大人も子どもと一緒に
【正解の無い問題】を考えていきたいですね。

▶参考書籍

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