できないことだらけ。だから保育士やれてます

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徒然と雑談

こんにゃちは、猫月です😸

ズバリ書いてしまいますが
【私はできないことだらけの保育士】です

保育士のイメージとしてありそうな
ピアノ伴奏はほぼ壊滅
運動遊びも
鉄棒、縄跳び、マット運動が苦手
ドッジボールの球も取れない
プールあそびでも泳げません

おそらく
世間の保育士イメージは
私には難しいのです

だからこそ
保育士として仕事ができている
とも自覚しております

その理由と
私が取り組んだ実例を記載しております

では、始めていきましょう!

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「保育士ができないことだらけで良いんですか?😠」
と思われた方ー🙋🏻‍♀️

そう思われるのは、自然なことだと思います。

ところがですね
保育園というのは
子どもの主体性を育む施設ですから
極端な事を言うと
「できるだけ大人が手を出さない方が良い」
環境が望まれます

“見守り”というスキルこそが
求められるのです

そうなると
そもそもいろいろなことができない私は
子どもに余計な手出しをしないで済むので
まことに都合がよろしい訳ですな🤗

なぜって
子ども自身にやってもらわないと
園生活が進みませんから🤣

この話だけだと状況が見えないでしょうから
少しずつどんな保育をしているのかお話していきますね

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猫月の得意・不得意

まず、自分の「得意」と「不得意」を洗い出します
できないことだらけと言っても
できることだってあるんです✌️

私の場合「得意」と言えるのは
[料理][雑学][文章作成][絵本]
といったところです

直接的に保育に役立ちそうなのは
[絵本]くらいでしょうか
[文章作成]も
保育の事務を片付ける上では役立ちます

[料理]と[雑学]は
保護者とのコミュニケーションで活きてますね

子どもたちとの遊びの中でも
無駄知識が役立つこともありますし
子どもたちと保育を構成していく中で、
雑学があってこそのトンデモ発想もあります🤣

一方で「不得意」ですが
[ピアノ][運動][不器用][苦手な物]等々…ですね
具体的には👆の図を見ていただければ(笑)

保育士としては致命的な
[ピアノ][運動]の苦手っぷり…
もう、笑うしかない😂

とはいえ
何とかなってるから
保育士として仕事を続けているのです

では、どうしているのかについて
お話ししていきましょう

シェフの無添つくりおき
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不得意なことをどうするか

まずピアノですが
いきなり一斉保育の中で弾かないことですね

日常の遊びの中で弾きつつ
子どもたちの前で演奏することに慣れていきます

それと同時に子どもたちにも
私の拙いピアノに耳馴染んでもらいます

『間違えても止めない』は
ピアノのレッスンでよく言われることですが
そうは言っても、間違えれば
「あっ…」と思うのが人情です😉

場慣れするために
日常の遊びの中でも鍵盤に触れておくと
簡単な童謡くらいは弾けるようになってきました

それでも弾けない場合は
もう弾ける人に頼みます
潔さも大事です🤣

そのためには
日頃から協力してもらえるような振る舞いも大事ですね

運動に関しては
自分は苦手ですが
子どもたちにやり方を教えることはできます

ただ、それは“知識”に基づいたもの
実践的ではありません

私は運動が諸々苦手ですので
知っていることを子どもたちと一緒にやってみます

「こうするとできるらしいんだけどさー」
で、できない🤣🤣🤣

逆上がりが人生できたのは3度くらい
縄跳びの二重飛びは飛べたことがない
最後に測った100m走は17秒台…
なかなかのものでしょう?w

翻ると
私は「できない」を前提に
子どもの運動遊びを考えます

そして
「この子たちなら
 できるようになるだろう」
とも考えています

その「できない」と「できるようになる」の
ギャップをどう埋めていくかが
保育士の仕事です

また、子どもの成長に
大事なエッセンスがあります

「子どもは、大人と真剣勝負をして、
 ギリギリの競り合いの中で勝った時が一番伸びる」
というものです

負けた悔しさで発奮する子もいますが、
「もう少しで勝てそう!
 だから、どうしよう?!」
の頭脳のフル回転が
子どもの力を引き出していくのです

加えていうと
私は“体育”が嫌いでした
スポーツは好きだったんです

でも、好きなものを評価されて
成績を低くつけられる

好きなサッカーも
勝てる人しか参加できない

面白いものを面白くなくする、それが学校の体育😛でした

今だって、長距離を歩くのは好きなんですよ?
20kmくらいなら平気で歩きます

それがマラソンで
「3時間半以内にゴールしないと再走(罰走)」と課せられると…

やっぱり嫌ですよね😠

そういった「嫌だった経験」は
子どもにさせたくない

まぁ、これは感情論なのですが🤣

なので、小学校の教育要領を調べて
保育園で子どもに何となく求めているものが
本当は何歳で目標にされているのか
そこは大事にしています

例えば、水遊び

年長で水に潜れる必要なんてないんです
それは、小学校2年生の目標ですから

そんなことも知らずに保育士をしていたら
子どもに顔向けできません

私が泳げる保育士だったら
気付かなかったかもしれない視点

「苦手なことだらけで良かったなー😄」と
痛感する点ですね

私自身、「書く・描く」と言った作業が苦手です

まず、フリーハンドで直線が引けない😓
これ、文字や描画のスキルでは致命的😭だそうです

だからどうするかと言えば、工夫する

ものさしを使うとかですね
曲線を描くときは、ハサミの柄が便利です✨

あと、模写はできるみたいです

子どもたちにリクエストされたときは
モデルを持ってきてもらいます
私が描いた絵をぬりえにしたこともあります
不思議ですねぇ、フリーハンドだとド下手なのに😅

それでも描けるのは
まぁまぁといったところなので
子どもたちに確認しながら描きます

「ここ、何かおかしくない?」
「そうか!もう少し上向きね~」

コミュニケーションを取りながら描く

そうすると、
子どもたちはアウトプットしながら絵を描きますから
自分も絵を描く際にフィードバックされます

「絵を最後まで描かずにやめてしまう」
「紙の無駄が発生する」
なんて嘆きを耳にすることがありますが
少なくとも私の周囲でそういう子はいません

筆を休めている時は
表現を考えている時
わからないことは
友だちに尋ねています

大人が子どもに尋ねるくらいですから
友だちに尋ねるくらい何てことはない

続きを描けるように
フォルダー📁を一人ずつ用意しておきます
そして、子どもたちのフォルダーは
すぐにパンパンです😄

虫に関してはですね…💦

保育園に勤めて間もない頃
あまりに虫を怖がっていたら
クラスの子がバケツ一杯に
ミミズとナメクジを集めてきてくれたことがありまして💔

こういうのは表に出してはいけないんだな、と😰

以来、仕事中はリアクションの
スイッチを切ることができるようになりました

私が尊敬する養老孟司教授は
日本人は虫を殺しすぎと仰っていますが

さすがに子どもの安全・衛生を考えると
駆除することもあります
蜘蛛など、益虫であることは子どもにも知らせますが…
虫との向き合い方って難しいですねぇ

と、話が脱線しました

虫が得意な子はクラスにいますから
そこは得意を発揮してもらいます
頼れる存在!✨

あと、わからないことは
一緒に調べるようにしています

散歩で見つけた花や虫
すれ違った犬や猫の種類など
図鑑というのは、本当に便利な物ですね

大人がスラスラと答えても
子どもたちは「へー😲」と右から左でしょうが
自分で調べたことなら、印象に残ります

時には、大人にも答えられないことがあるって
子どもにとっては大事な環境なんじゃないでしょうか

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不得意とどう向き合うか

「不得意」「苦手」というと
どうしてもネガティブイメージがついて回りますね

でも、実際はどうなんでしょうか?
私は【短所は長所】と捉えています

例えば、
『しつこい』は『粘り強い』と言えますし
『頑固』は『芯を持っている』とも言えます
『未熟』は『将来性がある』ということですしね

要は【事実の捉え方】ひとつで
評価なんて変わるのです

事実を一方から見ても
他方から見ると見え方は変わります

富士山だって
静岡から見たのと
山梨から見たのでは印象が違いますよね
葛飾北斎は「富嶽三十六景🗻」として描いたくらいですし
(実は全部で四十六図あるんですけど🤣)

自分に対する自分評なんて
いくらだって見方を変えられるんです

私は最低でも4視点を持つようにしています
自分😄・批判者😮‍💨・賛同者🥰・第三者😐の4視点です

これを三面鏡に例えています
鏡を見ているのが自分で
3枚の鏡に映った自分が残りの3視点ですね

批判者は、自分をネガティブに捉えた姿
賛同者は、自分をポジティブに捉えた姿
第三者は、自分に無関心な誰かが捉えた姿です

簡単にいうと
自分の自分評は当てにならないから
良いように捉えた方が気楽だよ
ってことです😄

これはよく例え話にするのですが

ヒトは助け合わないと生きていけない
お互い様で生きていく生き物だ
ということです

私がどんなに努力しても、
農業・林業・水産業・鉱業・製造業・運送業などなど…
全部をこなせるようにはなりません

でも、誰かが代わってくれることで
生活が成り立っています

食べ物を取ってくれる人
原材料を採取してくれる人
生活用品に加工してくれる人
生活圏まで運んでくれる人
販売してくれる人

みんながいることで
今の生活を送ることができている

だから、自分もできることをする

結果として誰かの役に立つ
それが、生きていくってことなんです

上の話に付随しますが
ネアンデルタール人は
知能も高く身体も大きく力も強かったのに
ホモ・サピエンスに滅ぼされてしまいました

それは、ホモ・サピエンスが
集団として協力しながら生活する生物だったから
とも言われています

「ヒトだけがフィクションを信じられる」
という学説ですね

要は、目に見えない物を共有できるのが
ホモ・サピエンスだけなんだという話です

これを【弓師と猟師の話】に当てはめると
弓師は猟師に弓を作っても
猟師が獲物を分け与えてくれる
という約束を信じられなければ
成立しませんよね

約束は、目に見えません
ホモ・サピエンスは
この目に見えない状況を共有することができます
(だから、詐欺が成立するという側面もあるのですが…😓)

私の得意なことであなたを助ける
だから、あなたの得意なことで私を助けて欲しい

これが社会の成立には不可欠なんです

では、社会の中で生きていくために必要なこととは?

私の「得意」と「不得意」を知っていることです

それがわかっていれば、
「私は、あなたにこれを提供できます」
「私は、あなたからこれを提供して欲しいです」
を求めることができます

保育園生活の中で
大人が手助けを求める
子どもがそれに応える

大人が子どもの力を認める(感謝する)
子どもたちが、各々の長所を認識する

子どもが、友だちに手助けを求める
友だちに応える
友だちに応えてもらう

その関わりの経験は
子どもたちが成人して後
社会の中で生きていく原体験になります

私が、子どもの20年後を見据えて保育をする所以です

【あなたの長所と、私の長所】で
豊かに生活していきましょう

“自信”という言葉があります。
これには本来「自らを十分に知る」という意味があるそうです。
“信”じるには、十分に理解していなければなりませんものね。

ですから
「自信を持つ」というのは
【自分はできる】というよりも
【自分を知っている】ということが重要なのです

自分を知っているとは
自分の「得意」と「不得意」を知っていることです

自分が誰かの役に立てることと
自分が誰かに手助けして欲しいこと
どちらも理解していることが“自信”です

“自己肯定感”という言葉がありますが
得意も苦手もあって「これが自分」と認識することです

“肯定”と聞くと「良い」と捉えがちですが
良し悪しの概念から外れて
「自分」を認めることが
“自己肯定感”です

コミュニティーの中で
手助けをし、手助けをされることで
“自己肯定感”の芽🌱は伸びていく

そのために
大人が手助けを求めていく姿を見せることは
子どもの“自己肯定感”の種を育んでいくと思います

「何でも自分でできるように」よりも
「みんなで協力したらできるように」の方が
社会性を育てる意味では重要だと思いますよ

一人で何でもできるなら
それはもう仙人の域ですから
社会にいる理由が無くなってしまいますね🤣

住宅ローンの借り換えはモゲチェック

最後までお読みいただきありがとうございます

保育園に勤めていると、
子どもに何かと「してあげる」のが
仕事のような気になってしまいます

でも、それって本当に
子どものためになっているでしょうか?

【子どもにとって最善の利益】を
追い求めるのが保育士の仕事です

子どもの伸び代を保障するためには
保育士が土壌に徹することも必要だと考えます

泥にまみれる覚悟があってこその保育士
なんちゃって🤭

この記事が、子どもとの関わりを楽しむ一助になれば幸いです

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