こんにゃちは、猫月です😸
以前に保育士1年目の話をさせていただきました
この1年目で、一番キツかった言葉が
「ふつう」
だったんですよねぇ…😭
「ふつうさぁ」
「ふつうに考えて」
「ふつう、こうするよね」
「ふつうでいいんだって」
最初は「そうか、普通で良いんだ」って捉えていたんですけど
この“ふつう”が積み重なってくると
ものすごく気持ちが沈むようになってきました😰
ぶっちゃけ、仕事に行きたくなくなるくらい…💔
通勤電車の窓に映る自分の顔を見ながら
手で口角を上げて
笑顔を作って乗り越えてました💦
相手は、おそらく悪気なく使ってるんです
この“ふつう”という言葉
でも「ふつうにすればいい」というアドバイスは
「あなた、ふつうにできてないよ」という意味ですよね
あぁ…そうか、自分は“ふつう”のことができないんだ
当時は保育士1年目ですから
どうにか自分をアジャストさせようと必死でした
この業界で働き続けていくためには
保育士の“ふつう”が
できるようにならなければならないと思って
ま、そんなものは幻想だったんですけどね
今回は、
・保護者の“ふつう”に目を向けよう
・常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである
・“独自の視点”は必要な存在だ!
・違う考え方は学びの機会
・ひとの数だけ“ふつう”がある
5つのパートにわけて
私の昔語りと”ふつう”って何だろう?
についてお話していきます
保護者の“ふつう”に目を向けよう
1年目でメチャクチャへこんでいた私ですが
2年目にはこう割り切っていました
私がこう考えられるようになったのは
保育園の前に他の職種を経験していたからです
1年目は、最初の職場の“ふつう”が通じずに苦しみました
では2年目はというと?
職場の中ではやっぱり通じなかったのです😓
「保育園は“特殊”な職場だとわかって欲しいな💢」
と言う先輩がいたくらいですから💧
でも、👆の言葉で気付いてしまったんです
「あー、“特殊”ってことは
保育園の“ふつう”は、世間の“普通”とは違うんだ」
私は園内を向くのをやめて
保護者と向き合うことに徹しました
なぜって…
保護者のほとんどは保育園以外の職場で働いています
保育園でしか働いたことのない保育士と
保育園以外で働いている保護者と
どちらの感覚が“社会の常識”に近いと思いますか?🤗
保護者とやり取りする中で
保育園の感覚よりも
前職場の感覚の方が
より保護者の感覚に近いと思えるようになってきました
猫月だったら理解してもらえる
そう言って相談してくれる保護者もいました
保育園の“ふつう”にアジャストしなくても
保育士として働いていけることがわかったんです👍
常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである
Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen.
Albert Einstein
これは、アインシュタインの言葉ですね
「常識」という言葉の真意を痛烈に表しています👅
保育園の“ふつう”もこれと同様だと考えます
保育士として務める中で
職場内でしか通じない「常識」が蓄積していきます
他の職場ではありえないことが
“ふつう”になってしまうのです
例えば
休憩が取れない
仕事の持ち帰り
休日に無断出勤…等々
これ、全部違法ですからね?
雇用者が求めるのは違法ですが
労働者が違法状態を認めてしまうのも問題です🙅
子どもへの声掛けなどもそうですね
食事で果物から食べるのを制止する
苦手なものを食べたら好きなものが食べられるなどですね
「サラダを食べたら、みかんをあげる」
私もやってました…
反省しております🙇
提供した食事は子どもの物
どの順序で食べようとその子の意思が尊重されます
大人には食事を提供する義務がありますが
子どもには
食べ切るとか
指定された順に食べる
なんて義務はありません
食事の指導は保育士の役割ですけれど
食事の強要は保育士の業務にはないんです
大学時代、とある教授が仰っていました
「私の伝えることを半分は信じてください
ですが、半分は疑ってください
真実は、状況によって変わっていくのです」
哲学ではないですよ?
生物学🦠の教授の言葉です(笑)
自分の中の「常識」を疑えるかどうか
大人として、専門家として
アップデートと適応が必須なのだと思います
“独自の視点”は必要な存在!
ブログを読んでくださっている方はご存知だと思いますが
私は保育園では宇宙人👽です🤣
(ん?私生活でもかw)
まぁ、控え目にいっても異端児ですよね
自覚があるというか
敢えて掻き回しているというか🤭
保育園の中で、異業種経験者は稀有な存在です
加えて、男性保育士というのも希少な存在です
(私が勤め始めた頃は、男性比率が1%未満でした)
在勤の保育士と違う視点で保育を見られるのは
保育園にとって貴重なはずです
もちろん、これまでと“違う”価値観は
人によっては煙たい存在でもあります
ただ、それは個人の感情論での話
保育園という組織で考えれば
時代や保護者の感覚にアジャストしていかなければ
停滞、衰退していってしまうわけです
社会のニーズに応えられませんからね
よく言われる「例年通り」というのは
毎年1年ずつ古くなっていくということです
それを10年重ねたら?
もう、その保育園は時代遅れになってしまいますよね💦
保育園の中の価値観だけだと
更新していくのは大きなエネルギーが必要です
ですが、これまでと違った価値観を持つ人
他の保育園からの異動者や
異業種からの転職者
最新の保育を学んできた新人は
これまでと違う価値観を持ってきてくれる存在です
その組織内に於いて
“独自の視点”を持っている人は必要な存在なのです
違う考え方は学びの機会
世の中には育児書があふれ
保育書籍も多数あります
時々「あれは違うよね」という保育士がいます
たしかに育児書を読んでいると
眉をひそめたくなるような内容が書かれていることがあります
筆者が教育関係者でもなければ保育士でもない
エビデンスに背いた思い込みで書かれた記事も
実際にあるように感じます
ですが、保護者は子育てに悩む中で
様々な書籍を頼りに奮闘しているのも事実です
「それは違うよ」と断じてしまうより
「これを頼りに頑張ってきたんだね」
と受容した上で
「でも、子どもの育ちにはこういう特徴があるんだよ」
「こうした方が親子とも快く過ごせると思うよ」
そう伝えていく方が、三方良しになっていくと思うのです
私は本屋へ行くと
まずビジネス書籍を見て回ります
なぜなら、保護者の多くはビジネスマンだからです
すべての書籍に目を通すことは難しくても
最近のトレンドを知ることはできます
保護者がどんなニーズを抱いて働いているかがわかるのです
保育士は、ついつい子育てのアドバイスをしがちですが
保護者の苦心しているものは家事・育児ばかりではないはずです
働き方のアドバイスはできないまでも
他業種の困難さに共感することはできるのではないでしょうか
保護者が気持ちに余裕を持ってもらうことが
ひいては子どもとの関りにも余裕を生みますしね
それに何より
保育園もひとつのビジネスの場です
ビジネスに関する情報、知識は
保育園での働き方を楽にし
自分たちの身も助けるはずです
ひとの数だけ“ふつう”がある
育ってきた環境が違うから
『セロリ』作詞・作曲:山崎将義
好き嫌いはイナメナイ
こういうときは
やっぱり『セロリ』の歌詞が沁みますねぇ
“ふつう”って、ついつい使いがちな言葉ですけれど
日常はひとの数だけあるわけで
まったく同じ環境で育ってきたひとはいないわけです
一卵性の双子でも
別の人生を過ごすわけですしね
そう考えると“ふつう”ってあやふやなものですよねー
“ふつう”を無視するのは難しいと思うんです
ヒトは集団で生きていく動物ですから
協調性とか共感性は大事なもの
ただ、それと同時に
“ふつう”に縛られないことも大事です
“ふつう”であることを求められた時
私はこんな風に捉えます
「そういう考え方もあるんだ」
そして、自分の考え方と相手の考え方
そのメリットとデメリットを考えます
働く中で重要なのは
どちらがより目的に近づきやすいか
子どもの利益に適っているかですからね
保育園の主役は、あくまで子どもたち
大人同士だけの関係性で判断したら
子どもが置き去りになってしまいます
私はぶっちゃけ
「ふつう」とか「常識」はオバケみたいなもんだと思ってます👻
だって、目に見えないんですから🤣
「ふつう」という言葉の受け止め方
「ふつう」という言葉の使い方
あまりとらわれ過ぎないように
ちょっと意識してもらえたらと思います
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