こんにゃちは、猫月です😸
そう考えると、ホント「ありがとう」ですよネ
【欲が出ました】ヨシタケシンスケ©新潮社
👆これは、
ヨシタケシンスケさんのエッセイ
【欲が出ました】©(新潮社)
の一節です🤗
ヨシタケさんは、
「感謝係」と「肯定係」が欲しい
とエッセイで話されています
「あれ?これってどこかにいたような…」🤔
今回は書籍を紹介しながら
私が「子どもとのコミュニケーションに繋がるなぁ」
と思ったエピソードについてふれていきます
感謝係🙏
子どもとかに、
欲が出ました ヨシタケシンスケ©新潮社
人のありがたみを教える仕事って、
あった方がいいよなと思ってて。
人の半分くらいの身長で、感謝を促す係。
そう考えるとホント「ありがとう」ですよネ、
って、嫌みじゃなくさらっと言いに来て、
誰かへの感謝の念を、わき起こさせる……。
(中略)
会社に来たなら、
「あの後輩、何だかんだ言いながら、こういうこともやってくれるし、そう考えるとホントありがとうが必要ねー」
って先輩を諭してくれる。
で、この感謝係がたったったって帰ったあと、
先輩が「いつもありがとね」みたいな、
めったにない感謝の言葉を、後輩にかける。
そういうどちら側の立場でもない中立の人がいて、
お互いに対する感謝の念を呼び起こす、いい感じの言い方をしてくれると、
世の中もっと潤滑に動くんじゃないでしょうか。
「ありがとう」って
素直に言えるかというと
相手とのいろいろな背景があって
ちょっとモヤっとしてしまって
ありがたいんだけど
(何か言うのヤダなぁ)みたいな
子ども同士でもあるし
子どもと大人でもある場面ですよね
プロ感謝係🫶
「ありがとう」と「ごめんなさい」は
誰かと過ごす中では大事な言葉ですよね
だから、子どもと関わっていると
「ありがとう」
「ごめんなさい」
を言えるように促したくなる
促したくなるけれども
子どもとしては「言わされている」感があっては
本当の意味での感謝や謝意にはならなくなってしまう
プロの感謝係は、そこら辺が自然なわけです🤗
「今の、ありがたかったですよね?」
では、圧が強い😓
「『ありがとう』は?」
なんてのは、以ての外😩
「『ありがとう』だよ!」
……へたくそかっ😵
やり方の正解はないにしても
子どもの立場になって
言わされた感を持たずに
「そうだな、『ありがとう』だなー」
って思えるような促し
私だったら?
私はよく、空中に言葉を掛けます
子どもの右耳の上辺りに向かって
聞こえるか聞こえないか
ギリ聞こえるくらいの声量で
「〇〇してもらえるって、ありがたいねぇ」(ぼそっ)とかねw
【機動警察パトレイバー】(ゆうきまさみ©小学館)の
後藤喜一隊長のセリフに
便秘に浣腸みたいなもんだ。
機動警察パトレイバー20巻 ゆうきまさみ©小学館
本当はしゃべりたいんだけど
全部しゃべっちゃうわけにもいかなくて
困ってる人間の場合、
こっちがここまで知ってるよって教えてやれば
案外スルスルと話し始めるもんだよ。
というのがありまして、
周囲の誰かが
「ホント、ありがたいよねー」
って風を向けると
「ありがとう!😄」
がスルっと言える、みたいな(笑)
これ、プロの保育士なら
日頃からやってるよなー
とエッセイを読みながら思ったのです🤗
肯定係🐧
そのままでいいのよ。
欲が出ました ヨシタケシンスケ©新潮社
大丈夫よ。
しなくていいのよ。
って、言ってくれる。
あなたはいいのよ、そのままで、
って。
よく考えてみると、必要だったじゃないですか、
やってよかったじゃないですか、
それ、糧になってますよ、
とか。
肯定係の方々はプロなので、
「不要な肯定はしない」
「甘やかしすぎない」
ってのがポイントですね。
すぐにでも来て欲しいです。
そのままでいいのよ🤗
子どもと関わっていく上での理想のひとつは
子どもが”自己肯定感”を育んでくれること
子どもが自分を肯定できるようになるためには
まず周囲の大人が肯定することが大事です
「面白いアイデアだね」
「自分でやってみたんだね」
「次にどうするか考えたんだね」
0から1を生み出すのは、非常に困難なことです
その前提を理解している大人なら
子どもが何かにチャレンジしたことは
「もう、それだけで素晴らしいよ!」👍👍👍
ってなりますよね😄
とはいえ、
子どもの一挙手一投足を見守るのは難しいです😓
だから、肯定係が欲しいんですよねー🐧
モゲチェックプロ肯定係🙆
子どもと関わっているとき
大人には経験則から
「こうした方が良い」感覚がありますから
ついつい減点法で考えがちです
これは考え方のクセなんですよね
学校などのテストは💯からの減点式ですから
そういう呪いにかけられているともいえる
これが加点式になると、
0点からの積み上げなので、
子どものすることはすべてプラスにしかならないわけです
減点式か加点式かは
基準の違いなんですね
そもそも論で考えれば
ヒトは生まれたときは何もできないのですから
成長は加点しかないはずなんです
大人は
「自分はできる」
「知っている」
と思いがちですけど
例えば
野球だったら
イチローさんや大谷選手を基準に減点式をされたら
ほとんどの野球選手は「野球ができてない」でしょ?
サッカーだったら
メッシやC.ロナウドを基準にされても…
ね?
アメリカ人に「Do you speak Japanese?」と尋ねたら
多くの人が『Yes😄』と答えるとか
そして『すし、てんぷら、ふじ!How about i can talk?😆』
と自信満々だそうです
一方で日本人の多くは
『(英会話が難しいと)喋られない😩』と答えます
すし、てんぷら、ふじよりも難しい英単語なんて
子どもでも知っているのに、です
(担任していた子たちは帰りに『See you♪』と挨拶していました🤣)
加点式で子どもと関わっていれば
相手の姿は肯定ばかりです
保育原理を学んでいる保育士は
プロ肯定係なんて簡単です
だって、それができるから
専門家を名乗っているんですもの🎵
ヨシタケシンスケさんの作品に
まさか保育士の仕事が
「あったらいいな」と登場するとは思いませんでした
ドラえもんでいえば
秘密道具を出したら
「それ、もうあるよー🤓」の世界ですw
保育士の持っている哲学、知識、スキルが
世の中に求められているってことですね
私たちの持っている資産を
もっともっと、世に伝えていっても良いのではないでしょうか
言葉で言葉を説明する、ということは
他にも好きなエピソードというか
スケッチがありまして
言葉で言葉を
欲が出ました ヨシタケシンスケ©新潮社
説明する、ということは
粘土で粘土を
表現する、みたいなことで、
つまり、向いていないのだ。
これ、深くありません?
子どもが何か感情的になったときに
「言葉で言って」と大人は求めるんですけど
それって、無理じゃね?🤔
って、私なんかは思っちゃうんです
言葉で表現できるなら
最初からそうしているだろう、と
言葉なんて、伝達の道具のひとつでしかないですから
その時の気持ちを表すのに不適当だったら
言葉以外で表現するのが道理だと思うんですよ
それを私が表現すると
👆のように理屈っぽくなるんですけど🤭
ヨシタケ先生のこのスケッチって
もう、的確過ぎる!と🤣
粘土を粘土で表現できます?
って、全大人に問いたい(笑)
2歳時くらいになると
かなり言葉も増えてきます
そうなると、大人も「言葉が通じる」と期待してしまう
その気持ちはわかるんですけど
ちょっと前までは
泣いてコミュニケーションを取っていた子です
大人も泣き方で
「お腹がすいた?」
「眠い?」
「具合が悪い?」
と推察していましたよね
相手が年長児であっても
たかだか6歳ですよ?
大人だって自分の気持ちを伝えるのに困ることだってるんです
言葉で言葉を説明するって
そりゃ難しいはずですよ😓
ヨシタケ先生の言いたいことは違うかも知れませんが
私としては
「まぁ言葉って、そんなもんじゃん?」
くらいに思っていた方が
お互いに気楽にコミュニケーションできるんじゃないかと思ってます
ヨシタケシンスケ先生の作品は
共感ができるシーンもたくさんありますが
ちょっと哲学的で
「あーぁ…そういう考え方、あるかも」
という面白味もあります
【欲が出ました】は
もっともっとたくさんの
ヨシタケシンスケの世界であふれています
ぜひ、お手に取ってその世界にどっぷりつかってください♨
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