こんにゃちは、猫月です😺
質問をいただきました
(今回もXのDMから頂きました)
2歳児の担任です
着替え、食事、午睡などの場面で、
集団行動から離れてしまう数人の子がいます
そういう子を引き戻そうとすると、
大人の手がいくらあっても足りません
私の力不足もあると思いますが、
どのように対応したら良いでしょうか

私もわかりますー
いくら名前を呼んでも戻ってきてくれないし
対処方法なんてあるんですかねー?

2〜3歳児くらいだと、
呼んだら来ない、追ったら逃げる、
なんてのは、あるあるだよね〜
この時期の子どもは、“自我がぐんぐん伸びる時期”
だからこそ、大人の言うことにあえて逆らうなんてことも
つい、「どうして言うこと聞かないの💢」って思ってしまいますが、
だからこそ“反抗期”とも呼ばれたりするわけです
保護者の方からもよく
「どうしたら言うことを聞いてくれますか?」
というご相談をいただきます
今回は、保育園での“集団行動の場面”をもとに、
この時期ならではの“子どもの自我”との向き合い方をお話ししていきます
保育士の方はもちろん、
家庭でもヒントになる部分がきっとあるはず
どうぞ、最後までお付き合いください☺️
2歳児25人を5人で保育する
2歳児の保育って、どんなイメージですか?
「まだ喋り方も拙くて、可愛らしい盛りの子どもたちが、
大人と一緒に遊んでいる」
そんな微笑ましい光景を思い浮かべる方もいれば──
「食事中に立ち歩く」
「おむつ替えを嫌がって逃げ回る」
「お昼寝をしたくないと泣き喚く」
……こちらの姿の方が、想像しやすいかもしれませんね(笑)
どうやって25人も保育する?
2歳児は、保育士1人に対して園児6人という国の配置基準があります
自治体によっては加算もありますが、
私が担任していたクラスでは、2歳児25人に対して保育士5人という体制でした
もちろん、2歳児25人が一斉に同じ活動をする──
なんてことは、まず無理です(笑)
そこで、“高月齢児”と“低月齢児”でグループを分けて保育しています
この年は、高月齢14人・低月齢11人という編成でした
「保育士が5名なら、、15人と10人の方が
バランスが良いんじゃないの?」
と思われるかも知れませんが
2歳児といっても差は大きく──
・4月生まれの子は進級してすぐに3歳
・3月生まれの子は2歳になったばかり
ほぼ1歳差があるクラス集団なのです
単純に人数で割ってグループを作るわけにはいきません
実際の保育士の編成はというと、
・高月齢グループ:保育士2名
・低月齢グループ:保育士2名
・クラス内フリー:保育士1名
といった感じです
フリー保育士は、高月・低月ともフォローしながら保育をします
※フリー(サブ)がどんな役割かは、過去の記事をご覧ください
子どもは少人数で過ごしたい
以前、加藤茂美教授の講義でこんなお話がありました
『2歳児が友だちと認識できるのは6人までなんですよ』
『一緒に過ごす子が二桁になったら、地獄ですよね(笑)』
(もちろん、冗談込だと思いますが)
これはつまり、子どもが安心して過ごすには、
少人数環境が大切ということ
1クラス全体で動くのではなく、
グループ単位で、少人数で、ゆったりと過ごす
これが、子どもの情緒の安定につながります
・食事や着替えのタイミングもグループごとにずらす
・活動場所を分けることもある
・園舎によってはパーティションで保育室を「物理的に二分」することも
“クラス全体で一体感を持つ”よりも、
少人数で落ち着いて過ごすことが何より大事な年代なんです
でも、2歳児は2歳児
さて、ここまでいろいろ配慮しても──
・食事の時に立ち歩く
・おむつ替えを嫌がって逃げ回る
・お昼寝をしたくないと泣き喚く
こういった姿は、減りません!
というか、それが“2歳児のデフォルト”です😂
大人がどんなに頑張っても、2歳児は2歳児
そんな前提に立ちながら、どうやって“集団”として過ごしていくか?
次は、具体的なお話に入っていきますね
「戻っておいで!」と声を掛ける前に
保育の現場では、どうしても
「集団で行動すること」が前提になりますよね
みんなで一緒にお着替え
みんなで給食
みんなで午睡…zzZ
だけど──
「その集団行動、子どもにとって必要ですか?」
と聞かれたら、どう答えるでしょう?
2歳児の自然な姿を考えたら?
2歳児は、発達段階的に“今この瞬間”に全力投球です
遊びが面白ければ、着替えどころじゃない
食べたいメニューじゃなければ、座っていられない
眠たくなければ、布団より興味のあるあの子のところへ行きたくなる
これはもう、「ダメな子」ではなく「年齢相応の行動」なんです
反抗期ではなく「自我の成長期」
「言っても聞かない」
「すぐにどこかへ行ってしまう」
こういう姿があると、
つい、“反抗している”ように見えてしまうこともありますが──
実際には、
「自分でやりたい!」という気持ちが出てきた
「あれ、気になる!」という探求心が伸びてきた
「今はイヤ!」と自分の意志を伝える力が育ってきた
そう、大人への反抗ではなく、
自我が順調に育っているからこその姿なんです
「イヤイヤ期」というより
「ヤルヤル期」だと私は捉えています
子どもが「いたくなる」環境づくりへ
それでも保育士は、日々の流れを回さなきゃいけない
だから「戻ってきて〜!」と呼びたくなってしまうわけですが──
ここで大事なのは、
“大人が子どもをコントロールする”
という発想から一歩引いてみること
「どうすればこの子は“戻ってきたくなる”だろう?」
「“いたくなる”雰囲気ってどんなだろう?」
こうした視点の転換が、保育の質をぐっと上げてくれます
工藤勇一さんの言葉より
中学校は社会で活躍する人材を育てるための場所です。
生徒たちが大人になり、人前で話すときに、聞いてくれない相手を叱る人はいません。
だから教員が『校長先生の話をちゃんと聞きなさい』と指導する姿なんて見せてはいけない。
話を聞いてもらえないのは校長の責任ですよ。
言葉は伝わることが大事で、分かりやすく伝えなければ意味がないと考えています。
生徒たちが『聞きたい』と思うような話をする。
ビジネスの場では当たり前のことですよね「話を聞きなさい」なんて指導は本当は間違っている 公立中学が挑む教育改革(1)千代田区立麹町中学校・工藤勇一校長インタビュー 多田慎介 (ライター)
子どもが聴きたくなるような話をする
遊びたくなるような環境を提供する
”魅力的な保育”を展開するのが、保育士の腕の見せ所ですよね♪
「引き戻す」より「参加したくなる仕掛けを」
2歳児が集団から離れると、つい大人は声をかけたくなります
「〇〇ちゃん、戻っておいで〜」
「ごはんだよ〜、座ろうね」
「お片づけの時間だよ!」
でも…呼んでも戻ってこない
近づくと逃げる
関係ないことに夢中で、こちらを見てもいない
そんな経験、ありませんか?
“引き戻す”という関わりの限界
呼びかけて、手を引いて、集団に戻す
それでも、また同じことをくり返す
これって、保育が“悪循環”にはまっている状態かもしれません
そこで考えてみたいのが──
「戻させる」より「戻ってきたくなる」には?
子どもにとって魅力的な“何か”があれば、
大人が呼ばなくても、ふらっと集団に戻ってくることがあります
保育士の“仕掛け力”が光る場面
たとえば、こんな小さな演出が効くことがあります
・着替えの場面で「さあ、変身するよ!」
・手洗いの場面で「アワアワ、いっぱいにできるかな?」
・給食の場面で「上手に食べるか、お皿の猫が見てるよ〜」
大事なのは“その子にスポットライトを当てること”です
「あなた“も”見ている」ではなく、
「あなた“を”見ている」ことを伝えるのです
「ねぇ、見て!」は、2歳児として自然な気持ちです
保育は集団でしていても、
関わりは1対1であることを心掛けたいですね
「どう仕掛けるか」を問う場面─落語からの学び
ここで、漫画『あかね噺』(原作:末永裕樹/作画:馬上鷹将©️集英社)の中に出てくる、
とても印象的なセリフを紹介させてください
落語家の兄弟子が、噺家を目指す主人公のあかねにこう言うんです
「君の落語は、身勝手極まりない」
『あかね噺』第1巻より
「今日は高齢のお客様が多かった。その方々から笑いを取るために、君は何を工夫した?」
「君がいま目を向けるべきは、内ではなく、外だ」
これ、保育にもそのまま当てはまると思いませんか?
・その話は、大人が伝えたいことばかりになっていない?
・子どもが聞きたくなるような工夫をしている?
・「どう話すか」よりも「どう聞いてもらえるか」じゃない?
大人の都合をぶつけるのではなく、
子どもの中にある“興味”に目を向ける
そして、惹きつける工夫をする
あくまで子どもの上に“矢印”を置くことが重要なんです
仕掛けのヒント:声・動き・空気感
惹きつける工夫といっても、
なにか大げさな演出が必要なわけではありません
声のトーンや言い方を変える(実況中継・ナレーション風など)
小さい声で“ナイショ”話をしてみる
「ピンポンパンポ〜ン」とオノマトペを使ってみる
これだけでも、子どもの目がこちらに向き、
「なになに?」「行ってみようかな?」という気持ちが生まれます
大人が連れて戻すのではなく、
子どもが自分から戻ってきたくなる
ちょっとしたアクセントを加えるのです
主体的な保育は、「魅力」から生まれる
「やりなさい」ではなく「やってみたい」
「戻りなさい」ではなく「戻ってみようかな」
子どもが“自分で動きたくなる”瞬間こそが、
保育の中でいちばん尊い成長だと思います
そしてそれは、
私たち大人が仕掛ける保育の“設計力”と“観察力”次第です
大人が姿勢と伝え方を変えるだけで、子どもたちは変わってくれます
子どもには“難しい”、大人の「当たり前」
集団保育を長年続けていると、
忘れがちなことがあります
大人にとっては「2歳児ならできるよね」は、
子どもたちにとっては、まだまだ“難しい”ということです
・おもちゃを片付けること
・衣服を脱ぐこと
・手を洗うこと
こうした何気ない日常的な生活動作も、
子どもはまだ習得の途中なんだと再認識したいですね
「おしっこを出す」ことも難しい
例えば、トイレでの排泄
排泄自体は生理現象ですが、これが実は難しいんです
これ、いまだに理解してもらえないことが多いのですが、
「おしっこを出す?」のは大人には当たり前ですよね
でも、子どもからしたら、どうなんでしょう?
排泄を意識通りにするためには、
まず身体の中の筋肉(括約筋)を自在に扱えることが必要です
でも、手足と違って目に見えない運動なんですよね
この感覚が子どもにはとても難しい
「思った通りに身体を動かす」のは、
大人にとっても難しいんですよ?
私が今、整体師から課せられているのは、
足の小指を、付け根を地面につけたまま、
上げ下げすること、閉じる開くをすることです
これが、とても難しい!!
頭では身体に指示を出しているつもりでも、動かないんです😭
でも、これができないと小指が退化していってしまうし、
膝や腰を痛める原因にもなってしまう・・・
大人だって、意のままにならないんですから
そりゃあ、子どもには尚更難しいですよね
だから、オムツが濡れていないからといって
「ほら、トイレでおしっこしよう!」と誘っても
出ないことは普通にあるのです
なのに、「出るよ、出る出る!」なんて急かしたら?
子どもにとって、排泄に誘われること自体が、
徐々に苦痛な時間になってしまいますよね
眠くても眠れないこともある
同じように、眠ることも簡単ではありません
眠いということは、脳の活動が低下してきているわけですが、
睡眠を司るのも当然脳ですよね
とっても眠いが故に、眠れなくなる、ということもあるので
大人でもありますよね
疲れすぎてね、布団に入ったのに眠れない夜…
お酒を飲むと睡眠の質が低下するのは有名な話ですが、
(寝酒はできないんですよ?脳の機能が低下するので)
気持ちよく眠るためには、適度な疲れが必要なんです
眠すぎて興奮してしまう子もいます
こういう子に対して
「お昼寝の時間だよ!」
「他の子は寝てるんだから」
と言っても、本人にもどうしようもないのです
睡眠で大事なのは、まず安心できる環境であること
「今日は眠れないの?」
「眠くなったら、トントンしようか?」
など、受容的なまなざしで見守りたいですね
例として二つの場面をピックアップしましたが、
他の場面でも同様です
・集まって座る
・大人の話を黙って聞く
・集団を意識して過ごす
保育士として「2歳児の姿」を考えてしまいがちですが、
子どもにとっては全部が初めての経験ですし、
今、成長の真っ只中にいるのです
「できなくて当たり前」
「でも、これから伸びていくんだよね」
そんな視点で子どもを見られるかどうかが、
保育の質を左右する分かれ道なのかもしれません
大人こそ“ケジメ”を大切にする
“ケジメ”という言葉を聞いて、
あなたはどんなイメージを持つでしょうか
『ケジメならちゃんとつけてますよ』
『約束を守るよう、子どもには知らせています』
と思った方が多いでしょうか
「戻ってきてほしい」
「座ってほしい」
「集まってほしい」
そう思ったとき、私たちは、
集団から離れた子に声をかけています
でも──
集まってくれている子、そこにいてくれる子に、
どれだけ目を向けているでしょうか?
“応えてくれている子”に注目しよう
たとえば、こんな場面──
お昼寝の時間、布団に入ろうとしている子がいる
食事の時間、席について待っている子がいる
お片づけをがんばっている子がいる
でも、私たちの視線はつい、
「眠たくない」とふざける子に向いてしまう
「座らない子」「おもちゃから離れない子」ばかりを追ってしまう
これでは、応えてくれている子を“スルー”している状態になっていますよね
大人のまなざしが「モデル」をつくる
集団の中でも子どもたちは、
大人の注目がどこに向いているかを敏感に感じ取ります
・集まらない子にばかり声がかかる
・座らない子ばかりが構ってもらえる
・泣いている子だけが先生を独占している
そんな状況がくり返されると、
「離れたほうが、かまってもらえる」という
“逆転のモデル”が出来上がってしまうんです
ケジメを示す=応えている子に注目する
では、どうすればいいのか
集まってほしいなら、集まっている子に目を向ける
食べてほしいなら、食べている子に声をかける
寝てほしいなら、寝ようとしている子の隣につく
つまり──
「あなたは応えてくれているね」
「ちゃんと見ているよ」
というメッセージを、大人が態度で示すことが必要なんです
追いかけること=関係を壊すこともある
保育の中で、つい反射的にやってしまう行動のひとつに、
「離れた子を追いかける」というものがあります
でも、それをくり返していると──
離れる=注目されるという誤学習につながる
「集団から離れると注目される」
「先生が必ず相手をしてくれる」というクセになる
これでは、集団を支える軸がどんどん弱くなってしまうのです
「優しさ」と「ケジメ」は両立する
子どもに寄り添う
気持ちに共感する
そのやさしさは保育士の大切な力です
でも同時に、
子どもを安心させるのは、「ぶれない大人」でもある
ということを忘れてはいけません
やさしさの中に、“節”がある
柔軟さの中に、“軸”がある
その姿勢こそが、ケジメのある保育です
保育士同士で支え合う“ケジメの共有”
最後にもうひとつ
ケジメは、個人プレーではなく、チームでの合意形成が必要です
あの子が動いたら、A先生はどう対応する?
それをB先生は同じように見守れる?
保育士間で“ズレ”があると、子どもは混乱してしまう
だからこそ──
「この場面ではこうしよう」
「この子にはこう関わろう」
チームとしての方針を日々すり合わせておくことが、
とても大切なのです
最後までお読みいただき、
ありがとうございます
今回は、「集団から離れる子」にどう関わるかをテーマに、
視点の転換や具体的な対応についてお話してきました
子どもが“戻りたくなる”環境を整える
大人が“ケジメ”をもって関わる
そもそも、子どもにとっては“まだ難しい”ことがある
…どれも、すぐに完璧にできるものではありません
でも、どれかひとつだけでも、明日から試してみることはできます
たとえば…
「戻っておいで」より「待ってるね!」と呼び掛けてみる
集まってくれた子に、しっかりと視線を向けてみる
排泄や睡眠など、子どもにとっての“難しさ”に思いを馳せてみる
まずは、あなたができるところから
どこか一歩でも動き出せれば、それはもう立派な“変化”です
今回のご質問にあった、
「私の力不足かもしれませんが…」
という一言
この言葉の裏には、
子どもと向き合おうとする真剣な姿勢がにじんでいました
力不足なんかじゃない
むしろ、その思いこそが“専門性”の第一歩なんです
私たち保育者が目指すのは、完璧なコントロールではありません
子どもが安心して、自分のペースで育っていけるような“土台”をつくること
そのために、日々ちょっとずつ工夫していくこと
それで、十分だと思います
まず、あなたができそうなところから始めてみてください
子どもたちは、きっと応えてくれるはずです
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