こんにゃちは、猫月です😸
家庭でのきょうだいげんか
保育園での子ども同士のいさかい
子どもがふたりいれば
それだけで何かしら起こるものですね
子ども同士ですから
やっぱり大人が関わらないと
解決できないですよね?
ケガをするような行動は止めるけど
基本的にはその子たち同士の問題だから
大人は第三者に徹することも大事だよ
子どものけんかは当事者の問題です
大人は第三者の視点を持つことが大事です
こういうと
「何か冷たい」
「子ども同士では解決できない」
というご意見を頂戴しますが
子どもの自立・自律を考えた時
子ども自身が解決できる力を手にれるためには
いさかいの規模が小さいうちに
自分で解決する体験が重要ということも
わかっていただけるのではないでしょうか
「でも、けんかを子どもに任せて大丈夫…?」
という不安があるのもわかります
今回は、子どものけんかの事例と
その時の私の関わり
子どもたちの姿などを交えてお話ししていきます
4歳児のおもちゃの取り合い
ある日の保育園、遅番の時間帯のこと
ふたりの4歳児が私のところへとやってきました
👧🏻このケーキ、私が使ってたの!
👦🏻貸してって言ったのに、ずっと貸してくれない!
ふたりの話を聞いたところ
デュプロのケーキを取り合いしているようでした
自分が使っていたから譲りたくない女の子と
ずっと使っているのでそろそろ譲って欲しい男の子
どちらの言い分もわかります
あなたなら、ふたりの言い分を聞いた上で
どのような対応をするでしょうか
先に使っていた子を優先しますか
それとも「そろそろ貸してあげて」と伝えますか
私はどうしたかというと
😸ふたりとも、このケーキを使いたいんだね
ごめんね、このケーキは1個しかないんだ
どうしたらふたりとも楽しくなるかな?
ふたりで話し合ってみて
話が終わるまでは、このケーキは預かっておくから
ふたりはキョトンとして
お互いの顔を見合わせます
きっと
👧🏻は先に使っていたので
保障してもらえると思っていたのでしょう
👦🏻は譲ってくれるよう
私が説得してくれると思っていたのでしょう
もしかしたら「じゃんけんで決めなさい」という
解決案の提示を想定していたかも知れません
何にせよ、ふたりは戸惑いながらも
話し合いをしている様子でした
しばらくして戻ってきたふたりは
私にこう伝えてきました
👧🏻👦🏻ふたりで一緒に遊ぶことにした!
ふたりでパーティーごっこをすることにしたそうです
😸それは楽しくなりそうだね
と私はふたりにケーキを返し
この一件は解決したのでした
2歳児のけんか(保護者の前で)
ある保育園での2歳児クラス
その日は保育参加でAちゃんの保護者もいました
Aちゃんはママと遊べる特別な日なので
とても嬉しそうにデュプロで遊んでいました
Aちゃんとはいつも遊ぶYちゃんは
Aくんがママとばかり遊ぶので
ちょっと寂しそう…
Aちゃんがよそ見をしている隙に
使っていたクルマを取って逃げてしまいました😮
気付いたAちゃんはYちゃんを追い駆け
Yちゃんの頭をポカリ!
2歳児ですからね
まだまだ、とっさには手が出てしまうこともあります
とはいえ、それを目の前で見ていたママとしては
Aちゃんが手を出してしまったことに焦りもあったのでしょう
すぐに『ごめんなさいは?』と促しました
でも、こう言われると2歳児は意固地になりやすいもの
Aちゃんは部屋の隅で壁を向いて石になってしまいました…
さて、あなただったらどうしますか?
Yちゃんにもおもちゃを取った非があり
Aちゃんは取り換えさんと叩いてしまった
そして、目の前には保護者もいて…
なかなか難しいシチュエーションだと思いますが
どう、ふたりと関わっていきましょうか
私はまず、保護者にふたりの行動を
止められなかったことをお詫びして
Aちゃんの元へと行きました
「クルマ取られて、嫌だったね」
Aちゃんは唇を嚙みしめています
「叩きたかったわけじゃないもんね」
壁を見たまま頷きます
「どうしたら良いかねぇ…」
私は天井を見上げて呟きます
しばらくすると小さな声で
『…ゴメンて、言う』と
Aちゃんは壁を見つめながら答えます
「そっかぁ、ゴメンねするかぁ」
Aちゃんが私を見ます
「一緒にYちゃんのとこへ行こうか?」
Aちゃんは首を振って
自分でYちゃんに謝りに行きました
さて、Yちゃんはというと
叩かれたにもかかわらず彼は笑顔です
Aちゃんに構って欲しかったのでしょう
振り向かせることには成功したわけですから
Yちゃんの目的はある意味達成されているのです
「Yちゃん、Aちゃんに言うことはありますか?」
私がそっと尋ねると
YちゃんはAちゃんにクルマを返しながら
「取ってゴメンね」と謝ったのでした
保護者には
「Aちゃんは、自分で考えて
謝ることができましたね」
「大人が聞かせて謝らせるよりも
こうして自分で決断できることが大事だと思います」
とお話ししました
この対応が正解というわけではないですが
2歳児でも、『自分のしたこと』を理解して
自分なりに解決しようとする力があります
大人が少し関わり方を工夫することで
その力を引き出すことができるんです
5歳児のヒーローごっこ
大人が頭を悩ませるヒーローごっこ…
いわゆる「戦いごっこ」というやつですね
昔だったらチャンバラごっこでしょうか
私たちの世代は格闘技や拳が全盛でしたが
最近はFPSゲームの影響もあってか
“銃で撃ち合う”ごっこ遊びが増えているようです
戦いごっこ自体は昔からありましたが
遊び方にも時代の変化が見られますね
「子どもが武器を使う」ことに抵抗感のある大人は多いですが
そこは子ども同士のごっこ遊びなので
私自身は遊び自体は、肯定も否定もしないようにしています
とはいえ、こういう遊びは
得てしてけんかのきっかけにもなりがちです
これまたある園の、ある5歳児の話です
その日は園庭で3・4・5歳児クラスが遊んでいて
私は3歳児担任でしたが
そういう時は園庭全体を見守っていますから
5歳児のヒーローごっこの様子も気にしていました
初めは仲良く遊んでいた5歳児のグループでしたが
少しずつ雰囲気が変わっていきます
こういう時は“魚の目”(潮流を見る)を使うのですが
いさかいが起こる前に予兆が見て取れるのです
5歳児ともなると
ごっこ遊びにも設定が入ってきます
戦隊ヒーローは大体5人組ですから
誰が何色レンジャーかを決めて遊んだりします
やりたい役が被っても調整できるのが
5歳児の特徴でもあります
で、そんな5歳児たちが
どうして雰囲気が悪くなっているかというと
女性カラーを選んだ男児がいたのですが
「男が女をやるのはおかしい」という子がいたのです
ジェンダーの概念はなかなか難しく
男女を分別して捉える子もいれば
まだそんなに意識していない子もいます
同じ5歳児の中にも
「男も女も気にしない」という子もいれば
「男と女は分別するもの」という子もいるのです
そして、「おかしい」と言った子の方が
相手が自分の話を分かってくれないと
手を振り上げたのです
「はい、ごめんねー」
そこで私は初めて彼らに声を掛け
「そのままだと危ないから、止めるよ」
と間に割って入りました
意見と意見のぶつかり合い自体は
子どもたちの成長のために大事な経験です
教育家である汐見教授も
「他者をくぐって、初めて意見となる」と
仰っていますしね
けんかの中で意見をぶつけ合うことは大切ですが
“手が出そうになる”瞬間は別です
そこは、言葉のぶつかり合いではなく
“力”の問題になってしまうからです
「遊んでるところ、ゴメンね」
「なしたの?(どうしたの?)」
私はこういう時、敢えて方言を使います
真剣な状況なんだけど気楽に答えてね、という雰囲気作りです
そこで子どもたちは経緯だったり自分の思いだったりを
私につぶさに話してくれます
「なるほど、ありがとう」
「どっちが悪いとか、間違っているとか
そういう話じゃなさそうだね」
私の見解にうなずく子どもたち
とはいえ、手を振り上げているので
子どもたちの中には何となくの善し悪しがありそうでした
「手を上げて、どうしようと思ったの」
手を上げた子は、バツが悪そうに黙っています
「良くなかったと思ってるんだね」
への字眉毛になった顔で頷きます
叩かれそうだった子たちは、私が叱るのを待っているようでした
「悪いけど、叱るつもりはないよ」
そう答える私に気の抜けたような顔をします
「だって、誰も悪くないし、
これは君たちのけんかでしょう?」
「たださ、誰も間違っていないんだけど
今みたいに、話がこじれることはあるんだよ」
「自分たちで解決できるのが一番良いんだけれど
『これは無理』と思った時は
叩く蹴るの前に大人を呼んでよ
こうやって話は聞くからさ」
と子どもたちには伝えました
結果はどうなったかというと
私が間に入ったこと自体が影響したようで
彼らは別の遊びを始めていました
元々の問題は解決しないままになってしまったわけです
けんかのすべてが”スッキリ解決”するわけではありません
でも、それでいいのです
自分と違う意見があることと
それをどう受け止めるか
そうした経験の積み重ねが
子どもたちの成長につながるのです
大事にしたい当事者意識
ここまで記事を読んでいただいた方は
子どものけんかに於いて
私が大事にしていることが
ご理解いただけているでしょうか
保育者は子どもの安全を守る立場です
ですから「ケガをさせない」ことに努めます
一方で、「子どもにとって最善の利益」を提供する役割もあります
子どもにとっての利益=子ども自身の成長やそのための経験を
保障していく責任もあるのです
子どもには、大人と同じように
『自分の意見を持つ権利』
『自分の問題を自分で考える権利』があります
もちろん、経験や知識の差はありますが
それでも子ども自身の考えや選択を尊重することが大切なのです
もちろん、子どもには
経験も手段も数限られていますから
そこには人生の先輩としての
大人の仲介や援助が必要になってきます
ただし、子ども同士の課題に関わる大人には
「課題の分離」という人生のルールもあるのです
子どもの問題はあくまでその子のもの
例えば、けんかをしている子どもが
『あの子が悪い!』と訴えてきたとします
そこで「じゃあ先生が解決するね」と大人が介入すると
子どもは自分で考える機会を失ってしまいます
「そうか、あなたはそう思ったんだね。じゃあどうしようか?」と問いかけると
子どもは自分で考え始めます
こうした小さな経験の積み重ねが
子どもに”自分で解決する力”を育てるのです
私は、子どもには
「自分の責任を負う権利がある」
と考えています
けんかで激しく相手を罵れば
相手との関係は悪くなりますし
暴力をふるえば
そういう人なんだと認識されてしまいます
対話で解決しようとすれば
話せる相手と思ってもらえるでしょう
そして何よりも
「自分たちがこの課題の当事者だ」
という自覚を持ってもらいたいのです
大人が子どものけんかに口を出し
解決を図り続ければ
子どもたちはいさかいを起こしても
「どうせ大人がどうにかしてくれる」と思うでしょう
どんなに大きな問題―
たとえば相手をケガさせるような暴力をふるっても
「ごめんなさいは?」
「良いよって言ってあげて」
という形式で片が付くと勘違いしてしまうのです
この形式的なやりとりでは
子どもは”表面的に解決したように見える”けれど
本当の意味で納得はしていません
だから、次に同じような場面が起きても
また同じようなけんかをくり返します
大切なのは『なぜけんかになったのか』
『どうすればよかったのか』を考える機会をつくることです
こういう”誤った解決”の経験をくり返していくと
ブレーキの利かない暴走的な暴力―
いじめのような人生を毀損するような
大きな問題に至る可能性もあるのです
けんかは、子どもたちが
“自分で考える力”を育てる大切な機会です
だからこそ、大人は”守りすぎる”のではなく
“寄り添う”ことが求められます
「困ったときには、助けを求めていいんだよ」と伝えながら
子ども自身の力を信じて見守る
それが、大人にできる最高のサポートなのかもしれません
大人は裁判官ではなく、子どもの伴走者
最後に、これは私への戒めです
アドラー心理学を学んだときに
講師から聞いて心に刻んだことです
「あなたは裁判官ではない」
日本は法治国家であり
事実に対して裁きを下せるのは裁判官だけです
子どもが何か好ましくない行動をしたとして
そこに善し悪しを評決したり
ましてや罰を与えるなんていうことは
大人にはできないのです
「もう、このおもちゃは使わせません」とか
「押入れに入っていなさい」とか
かつては日常的に聞かれた言葉は
大人が自分の権限を誤認していたのです
重要なのは、子どもたち自身が
保育園というコミュニティの当事者として
「自分たちがより良く過ごすには」を
考えられることです
『幼児にそんな難しいことを求めるの?』
と同僚からも言われることがあります
もちろん、何の前提もなくそんなことは言いません
子どもが遊ぶに耽っている姿を見て
「本当に楽しそうだね」と共感する
個人個人の『楽しい』に共感しながら
「あなたの楽しいと、あの子の楽しいは、
ちょっと違うみたいね」
ということも投げ掛けていきます
子どもたちは経験を重ねる中で
友だちと遊ぶことが楽しくなってきます
ただ、一緒にいると意見のすれ違いも出てきます
「そうか、思っていることが違うみたいね」と
ひとりひとりの思いを汲んで共有しつつ
「じゃあ、どうしようか?」と問い掛けます
自分の遊びを優先して離れるのもアリ
友だちと過ごすことを優先して折り合いをつけるのもアリ
それは、子どもが決めることなんです
そういう『意見の違い』を何度も経験して
「じゃあどうしようか?」
の積み重ねが、ルールです
子ども同士の関係を
「仲良く遊んで!」とまとめてしまうのは
実は大人の都合かもしれません
保育園は子どもたちのコミュニティであり
そのルールを創るのは、子どもたち自身です
だからこそ、保育者は裁判官ではなく
伴走者として関わることが大切なのです
“こうしなさい”ではなく
“どうしたらいいと思う?”と
問いかけることで
子どもたちは自分たちで考え、学んでいきます
保育者の役割とは何か?
それは、子どもたちの社会を育む
最高のサポーターなのかもしれません
最後までお読みいただき
ありがとうございます
子どもたちがけんかを始めると
見守る大人としてはハラハラしてしまうもの
私だって正直
「けんかは勘弁してよ…」と思っています
ただ、その“ハラハラ”は大人の個人的な感情であって
子どもたちには無関係なんですよね
自分の気持ちは、とりあえず横に置いておいて
「この子たち自身はどうしたいのかな」
「自分たちで解決できそうかな」
「これは大人が間に入った方が良さそうだな」と
冷静に見守れるようでありたいですね
子どもだからと軽く扱うのではなく
大人に接するのと同じように敬意を持つことが大切です
子どもたちを関わりの当事者として尊重し
「じゃあ、どうしようか」と
子どもたちに判断を委ねられるよう
ドンと構えられる大人でありたいなと思います
子どもがけんかになりそうになったら
まずは、見守る大人が深呼吸をしましょう
大人が大らかな態度で間に入れば
子どもたちも安心して
お互いの気持ちを相手に伝えられるでしょう
そうすれば、けんかにならずに
自然と解決に運ぶと思いますよ
コメント