5歳児 ごっこ遊びと 絵本たち

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たのしい絵本

こんにゃちは、猫月です😸

運動会や発表会など
保護者にも見てもらう行事は
どんな題材にしようか悩ましい所ですね

ナツキ
ナツキ

ど、どんなお話を選んだらいいんだろぅぅぅ……

猫月
猫月

まずは、子どもたちが“好き”な物語を増やしたいね

私も夏が過ぎることから
あれやこれやと
子どもたちと絵本を読んでいます

5歳児、いわゆる年長児は
友だちとイメージを重ねられるようになってきます
相手の気持ちを想像するとか
お互いの想像したことを組み合わせて
新たな遊びを共作するような姿も見られます

「おしいれのぼうけん」
という絵本がありますが
あのような想像の世界観を
友だち同士で創れるようになってくるんですね

今回は
これまでに5歳児と一緒に楽しんできた
“ごっこ遊び”の題材を紹介していきます

おばけの先生になってください?!

つよしくんは運動が苦手
いつも校庭の柳の下にひとりでいます
ある日、おばけの校長先生がやってきて
「おばけの先生になってください」というのです
理想のおばけというものは
元気がなくって
あれもこれもできない子なんですって
つよしくんは
おばけの先生になれるのでしょうか?

つよしくんには
コンプレックスがたくさんあります
それがおばけの世界では
苦手な物が多いほど好いんですって

物語を読む子どもたちにも
何かしらの“苦手”があります

“苦手”は無い方が良いのかな?

【おばけのがっこうへきてください】は
最近でいうところの「なろう系」に近いでしょうか
価値観が180°変わる異世界での物語です

多くの「なろう系」作品と違うところは
価値観のひっくり返った世界で過ごす中で
つよしくんがコンプレックスがあっても
元の世界で頑張ろうとすることです

この物語を元に
子どもたちがごっこの世界を演出するとしたら
みんなはどちらの価値観を選ぶのでしょうね?

人間の半分は“苦手”でできている

“苦手”は誰しもが持っているものです
“苦手”はあって当り前

ただ、子どもの感覚からすると
「大人のように自立したい」が本能ですから
コンプレックスは重荷になることもあります

実際は“苦手”というよりも
“これから伸びる”力なんですけれど
集団生活の中では
誰かと比較しがちになるんですよね

でも、一番大事なのは
それを「自分がやりたい」か
「できるようになりたい」か
ですよね

「ありのままの君でいい」
大人には子どもを肯定して欲しいですが
それは状態ではなく意思の肯定だと思います

「今のままでいたい」のか
「自分を変えていきたい」のか
その思いの伴走者が大人ですよね

思い通りにいかないもどかしさも
自覚はしていないけれど歩みを進めている姿も
まるっと受け止めるよ
だから、あなたはあなたの思うようにしたら好い
それが“肯定”ということだと思います

さてさて
つよしくんの姿を見て
おばけの世界の価値観を知って

「自分たちがおばけの世界へ行ったなら…」

子どもたちは
どんな物語を描きたいと思うのでしょうか

じごくのそうべえは落語絵本の元祖!

そうべえは軽業師
仲間の医者のちくあん
山伏のふっかい
歯医者のしかいと共に
地獄に落ちてしまいます
えんま様に裁かれ
「ふんにょうじごく」に落とされることになりますが
そうべえたちは次々と知恵を絞って
困難を乗り越えていきます

【じごくのそうべえ】は
上方落語の名作「地獄八景亡者戯じごくばっけいもうじゃのたわむれ」を
人間国宝の桂米朝師匠が
今に通じるよう仕立て直したものを
原案にしています

落語では
一時間を超える地獄めぐりの大ネタであった同作を
田島征彦さんが子どもたちが楽しみやすいよう
絵本として独自に翻案、創作したものです

関西弁で描かれる地獄めぐり

原作が上方落語ですから
絵本も関西弁で描かれています

東京で生活する子どもたちにとっては
方言でつづられる物語は
それだけで新鮮です

【じごくのそうべえ】に限らず
私は方言で表現された作品を
子どもたちの言葉のセンスを伸ばすのに
大事な存在だと思っています

口語で進む物語

この絵本は登場人物の対話で
物語が進んでいきます

“地獄”という異界を描いていますから
現世との違いを読者に知らせる必要があるのですが
説明をそうべえ達に委ねているのですね

口語で物語が展開していくので
ほぼ台本が出来上がっているようなものです

とはいえ
絵本をなぞるだけでは
5歳児には物足りないでしょう

“地獄”の雰囲気を楽しみながら
「自分がそうべえたちといたら」とか
「自分が地獄の鬼だったら」とか
イメージも広がるようです

加えて関西弁ですからね

普段と違う世界へ飛び込む魅力が
『じごくのそうべえ』にはあるのです

うさぎを追いかけただけなのに…⁈

アリスはお姉さんと森へ出掛けます
お姉さんは本を読んでばかり
アリスが木に寄りかかっていると
うさぎが目の前を走り抜けていきました
そのウサギを追いかけていくと
大きな穴へ落ち置てしまいます
たどり着いたのは不思議な国
そこで出逢った住人たちと
アリスは不思議な体験をしていきます

原作者のルイス・キャロルは
これまでの童話のような道徳性を
物語に持ち込まなかったと言われます

不思議の国はとにかく“理不尽”なのです

そんな理不尽な世界を通して
「固定概念のない自由な発想」
「純粋な娯楽」
「好奇心の尊重」
「論理性を描いた想像力」
を描いたルイス・キャロル

物語の中でアリスは
自分の動機のままに行動していきます
ハートの女王に対しても物怖じせず
自分の思ったことを正直に話していましたね

“自由”を表現する物語

子どもたちと物語を楽しんだものの

私は元より
絵本の通りのごっこ遊びを
展開するつもりはありませんでした

この時担任していた子どもたちは
自分たちで考え、行動し、
目的のために修正する力も持ち合わせていました

これだけ子どもに保育を任せられたのだから
発表会も子どもたちに委ねたいと考えていました

以前の記事でも取り上げた子どもたちですね

そこで提案したのが
「不思議の国のアリス」です

アリスの世界は理不尽ですが
裏を返すと「何でもあり」の世界です

子どもたちの想像するままに
思い描いた世界を創り上げて
それを表現しようと考えての提案です

自分たちで考えた世界では
子どもたちは何にでもなれます

子どもたちからあふれ出るイメージを
脚本に落とし込んでいくのはそれなりに苦労しましたけれど
それはそれで楽しかったですよ♪

野放図的に思いを言葉にしながら
「あ…、でもこれは難しいかな」
「この方法だったらできるんじゃない?」
と不思議の国と現実とを
思考しながら行きつ戻りつする子どもたち

5歳児ならではの夢想と冷静さが
目の前で繰り広げられていましたからね

自分たちで創った世界

「自由」を表現するといいましたが
私が驚いたことがひとつあります

ハートの女王役に手を挙げたのは
場面緘黙の子でした

クライマックスに登場するハートの女王には
それなりのボリュームで台詞があります
それでもやりたいというのですから
とめる理由はありません

女王としての言い回しも含めて
当日も堂々と演じていた姿を思い出します

もしかしたら
不思議の国は日常とは違う世界なので
緘黙の環境とは違ったのかも知れませんね

友だちと一緒に創り上げた
自分たちの世界の中で
ひとりひとりが輝いていたのを
今でも思い出してしまいます

アメリカ発のお伽話

少女ドロシーは小犬のトトと一緒に
アメリカ合衆国のカンザスで暮らしていました
ある日、竜巻によって家ごと飛ばされてしまいます
飛ばされた家が着いたのはオズの国
さらには家は東の魔女を潰してしまいました
そこへやってきた北の魔女の助言を受けて
東の魔女が持っていた銀の靴を履いて旅に出ます
オズ大王に会えばカンザスへ返してもらえるはずだと
道中で、オズ大王に願いを叶えて欲しい
カカシ、ブリキの木こり、ライオンと出逢い
オズ大王の住まうエメラルドシティへと辿り着くのでした

【オズの魔法使い】を書いたライマンは
グリム兄弟やアンデルセンから影響を受け
またルイス・キャロルの作風にも共感しながら
少女が主人公の物語を創ったといわれています

ルイス・キャロルの【不思議の国のアリス】は
理不尽な不思議の国が舞台でしたが
ライマンは子どもたちに身近な
アメリカの景色や出来事を組み込みました

アメリカ議会図書館は
「アメリカで最も優れ、最も愛されているおとぎ話」
と語っています

魔法の国なのに知っている景色

ライマンが描いたオズの国は
黄色いレンガの道や小麦畑など
魔法の世界でありながら
どことなく現実世界に近い描写がされています

オズの国からカンザスへ戻るのに
気球が登場するシーンもありますね

何でもありだった【不思議の国のアリス】よりも
ちょっと地に足が着いた感じの世界観です

何でもありの世界観は
実は拠り所がない世界観でもあります

創造が得意な子たちにとっては
より制限のない世界観の方が
その能力を発揮しやすいですが

アレンジの方が得意な子たちにとっては
ある程度の雛型がある方が
イメージの具現化が広がっていきます

これは私の肌感ですが
【不思議の国のアリス】の方がフワフワしていて
【オズの魔法使い】の方が輪郭がはっきりしている
そんな印象を持っています

物語中でもドロシー一行は
あくまで道に沿って目的地を目指しますものね
一方でアリスの目的は
ハートの女王に会いたかったわけではありませんから

どちらもファンタジーの物語ではありますが
その時の子どもたちの様子に合わせて
どちらがより楽しめるか?という
保育士の観察眼は大事だと思っています

「どうぶつ島」へ竜の子どもを助けに行こう!

ある日エルマーは、年老いた猫と出逢います
そして、「どうぶつ島」で捕らえられている
竜の子どもの話を聞きます
エルマーは竜を助ける冒険に出ることにしました
エルマーはリュックサックに道具を詰めます
チューインガム
桃色の棒つきキャンデー2ダース
輪ゴム1はこ
黒いゴム長ぐつ
じしゃくが1つ
歯ブラシとチューブ入り歯みがき粉…
それから「どうぶつ島」へと繋がる
「みかん島」行きの船に忍び込んだエルマーは
六日六晩たってようやく「みかん島」へ
ここで食料のみかんをリュックいっぱいに詰め込んで
夜の間に「どうぶつ島」へと渡っていきます――
エルマーは無事に
竜の子どもを助けられるのでしょうか

中川李枝子さんの【いやいやえん】に
『くじらとり』という話があるのですが
保育園の子どもたちと一緒に創った
子どもが等身大の物語なんですね

【エルマーのぼうけん】も
『くじらとり』と同じような
子どもとの等身大の主人公のような気がしています

親子の物語

【エルマーのぼうけん】は
「これは僕の父さん、エルマーが子どもの頃のある冒険のお話」
として物語が紡がれていきます

まぁ面白いのは
現代は【My Father’s Dragon】で
主人公は“Elmer”ではなく
“my father”表記なんですね
あくまで「僕のお父さんが9歳の頃の話」という
寝る前に布団の中で聞かされた素話
といった感じです

そうそう、この作品は
ルース・スタイルス・ガネットさん(娘)が文章を書き
ルース・クリスマン・ガネットさん(義母)が挿絵を描いています

物語の中では父子が語らっていますが
実際の作品は母娘で創り上げたわけですね

子どもたちがごっこ遊びで楽しんだ物語を
その姿を見た後で購入したというのは
私の経験上は結構耳にする話です

子どもが引き込まれた世界に
親も子どもの手で引き込まれる
そして、家庭でも親子で一緒に楽しんでいく

エルマーはシリーズ作品ですから
【エルマーのぼうけん】をきっかけに
【エルマーとりゅう】と
【エルマーと16ぴきのりゅう】へと
その物語が広がっていく
なんてこともあるんですね

自分ならリュックサックに何を詰める?

エルマーの物語はファンタジーですが
登場する道具やその使用方法は
現実的なものが多いですね

動物たちが喋るのはお伽話だとしても
ライオンのたてがみをブラシで梳くなど
当たり前の使い方を見せる場面があります

ただ、そこに至るまでは
エルマーの機転が利いていたり
彼の勇気があっての結果だったり
子どもたちが憧れるエッセンスは豊かです

何と言いましょうか
「リュックがあれば冒険に出られる」と
子どもに思わせる魅力があるんですよね

実際、子どもたちはリュックが好きです
遠足でもないのに
たまに保育園へリュックでくる子もいます
何が入っているのか尋ねてみると
出てきたのは「石」「どんぐり」「アロエの葉」(笑)
夏場だと「セミの抜け殻」もよく出てきますねー

普段の通園バッグには入れていませんから
きっと子どもなりの冒険心から見つけた宝物を
リュックに詰めて家を出たのでしょう

そんなささいな一幕ですが
そんな子どもの姿からも
エルマーは子どもと等身大の主人公なのだと感じます
(まぁ、エルマーは9歳なんですけども🤫)

だから、エルマーになりたい子は多いですねー
キャスティングの話し合いだけは
ちょっと悩んでしまう名作です😅

最後までお読みいただき
ありがとうございます

ぶっちゃけて言うと
5歳児くらいの想像力があると
どんな物語もごっこ遊びは膨らむと思います

5歳児ともなると
構成あそびや制作遊びの経験も豊富ですし
友だちと遊びのアレンジをして楽しむことも日常的です

彼らの豊かな発想力や観察眼は
既に大人と対等、いやそれ以上かもしれません

マンカラや神経衰弱などで遊ぶと
本気でやっても勝てないことの方が多くなってきますしね

私の理想としては
やっぱり「くじらとり」のような物語を
子どもたちと一緒に創り上げたいですね!

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