こんにゃちは、猫月です😸
私は保育を考えるとき
「“因数分解”する」
というイメージで
子どもたちの姿を捉えることが多いです
い、因数分解⁈
また小難しそうなことを…
「保育園は学校の予備校じゃない」
とか言ってるくせに…!
保育で数学をやらせたいわけじゃないよ(笑)
あくまで“考え方のイメージ”として
私には因数分解がしっくりきただけです
“因数分解”って聞くと
ちょっと難しそうに思うかもしれませんが
実はそんなに難しくありません
「遊びをいくつかの部分に分けてみる」ということです
子どもの遊びがどうして面白いのか
どうしてその遊びを選んだのかを
見ていく方法です
単純に言葉にするならば
「子どもの遊びを深掘りしよう」ということです
遊びを“深掘り”することで
子どもが何に興味を持っているのか
どんな能力を育んでいるのかがわかりやすくなります
例えば
ただ遊んでいるように見える砂場遊びでも
「物を積む」「形を作る」「協力する」など
たくさんの成長が詰まっているんです
保育士は、子どもたちが砂場で遊んでいるときに
ただ砂を積んでいる作業として
見ているわけではありません
砂場で遊んでいる子どもたちが
実はどんな手順で遊んでいるのか
何を工夫しているのかを観察して
遊びの背景にある
思いや学びを見つけています
子どもたち遊びの中から
学びや成長の“要素”と思えるものを
ひとつずつ取り出してみたら
子どもや保育を理解しやすくなると思っていますが
先程の”要素”って言葉を
“因数”に置き換えたら
私にはイメージが捉えやすくなったんです
“因数分解”という言葉が出ると
数学の授業みたいでドキッとするかもしれませんが
安心してください!
今回は数学の問題を解く話ではなく
子どもたちの遊びをもっと面白く
深く理解するためのお話です
“因数分解”ってなんだっけ
「因数分解」は
おぼえていらっしゃいますか
(ちなみに中学3年生で習います)
因数分解とは
ある数式をいくつかの因数の積に分解する操作です
簡単に言うなら、大きな式を小さな部品に分けることです
日常生活で例えるなら
料理のレシピを考えるときに
食材や調理方法に分けて考えるのも
因数分解の一種です
私は保育を考察するときに
「子どもたちが楽しんでいる
一番の要因は何だろう」
「この遊びが面白い
欠かせない部分はどこだろう」
というようなことを考えます
以前に「いす取り」の記事を書きましたが
【「いす取り」の面白さって?】
を考察した段は
遊びを「因数分解」のように考えた一例です
「いす取り」には
いろいろルールがあるけれど
一番シンプルな面白さって?
楽しさを大事にする遊び方って?
逆に、ない方が良いものはない?
そんな感じで考えてみました
いす取りだけでなく
他の遊びや生活動作についても
「子どもがやりたがる魅力は」
「何が育ったから楽しくなってきたのか」
「この子はこの遊びで何が伸びているのか」
そんなことを見つめるようにしています
保育を因数分解するには
保育を因数分解するのは
いくつかの視点があります
私は自分の中でですが
次のように分けています
【その遊びの本質は?】
・いす取りは、いすを取れるから面白い
⇒いすを取る経験を多くしてみよう
【その行動はどんな動作の組み合わせ?】
・「いす取り」として遊べる
⇒線に沿って歩く、注視する、探す、座る
【今の姿は、どこから来てどこへ伸びるの?】
・ルールを守る
⇒約束事がわかるようになった
⇒誰かと遊ぶ心地良さを知る
約束事の意義がわかる
社会性が育つ
ひとつの遊びの中でも
構成する要素はいくつもあるものです
因数分解するにしても
ある子の「遊び」や「運動」とか
集団としての「情緒」や「社会性」など
分解して見えるものは
いくつも種類があるんですね
保育を因数分解するには
そこに見えている子どもたちの姿を
「どう捉えたいか」が大事だと思います
まぁ、あとから
「そういえば、あの姿って…🤔」
って気付くことも多いですけどね(笑)
保育を因数分解したら
私は、人の成長について
”ダンスホールと捉える”
という例えが好きです
「急に何の話?」
って思いますよね(笑)
アドラー心理学を学んでいるときに知った例えですが
とにかく踊ることを楽しむ
一心不乱に踊ったあとは
自分が立っていた場所は変わっている
前進したでも後退したでもないけれど
自分も自分の周囲の環境も
間違いなく変化している
子どもの成長を考察するときに
「これができるなら、次はこれ」って
直線的に考えがちなんですけれど
実際はそんなに真っ直ぐじゃないと思うんです
何でも食べていた子が
自我の芽生えと共に
「これは食べたくない」と主張し始め
でも、味覚や嗅覚の発達と共に
「好きじゃないけど、食べられる」へと
だんだん姿が変わっていく
「好き嫌いを言う」というのが
後退かといえば
それは成長のひとつの過程なんですよね
保育の因数分解をしていると
一見「後退した?」みたいな姿も
「成長しているからこそ、今こうなのね」と
受け止め方を変えられることがあります
ダンスホールですから
スポットライトを浴びる場所もあれば
ちょっと影が濃くなる場所もある
でもそれは傍から見た姿であって
本人は精一杯踊っているだけなんです
保育を細分化して見られるようになると
子どもの成長や頑張りも
わかりやすくなると思います
子どもの“面白い”を引き出したい
私が保育を“因数分解”しようと思ったのは
単純に遊びを「面白く」したかったからです
私が子どもの頃
遊びというものは
子ども同士で伝え合っていました
缶蹴りも
ポコペンも
フットベースも
大人から教わった遊びではありません
名前も知らない近所の子どもと遊ぶ中で
「一緒にやらない?」と
誘われながら知ったものです
保育園で働く中で感じたのは
大人が遊びを教える場面の多さです
私としては
遊びは子どもたちの中で
創られ、膨らんで、伝承されていくもの
だと考えています
そして、大人が伝える遊びは
マニュアル的であったりもします
「遊び方」「ルール」「姿勢」など
私自身は
遊びはあくまで子どものもの
だから「こういう遊びがあるよ」は知らせますが
遊び方やルールは
子どもたちが作っていけば良いし
遊びに臨む姿勢も
一人一人が違って良い
そう思っています
ただ、その「こういう遊びがあるよ」を
魅力的に伝えるためには
ゴテゴテと余計なものが少ない方が良い
とも思っています
何と言いましょうか…
やっぱり「ざる蕎麦が一番旨いよね」みたいな?🤭
できるだけシンプルに
「面白さ」を伝えるために
私は“因数分解”が大事だと思っています
いす取りだったら
「いすが取れる」こと
フルーツバスケットだったら
「くだもの名が言える」こと
ハンカチ落としなら
「ハンカチを落とす」こと
大人は枝葉を気にしがちですが
根っこと幹がしっかりしていれば
遊びの根幹は揺るぎませんよ
子どもたちが突拍子もないアレンジをしても
きっと遊びの魅力自体は損なわれないんです
子どもの「面白い」を引き出すためにも
保育を”因数分解”して
「魅力はここだ!」を理解したいのです
保育は子どもが創るもの
子どもの遊びを「面白く」したい
ここから始まった“因数分解”ですが
今の私が大事にしているのは
以下のポイントです
・遊びや生活動作の根っこは何だろう
・子どもにとっての「面白さ」はどこ
・ひとつの姿は複数の要素で出来ている
・子どもの姿から見える成長の経過と現在地
・子どもに伝えたい一番シンプルな形は
大人が何気なくやれることも
子どもにとっては複雑で
難解なものが結構あります
大人からすると
「できて当たり前」とか
「これくらいが普通」とか
簡単なものとして考えがちなんですね
でも、本当に“シンプル”なものは
子どもにとってもシンプルなはずです
だから、”因数分解”をする
因数分解した上で
本当に子どもに伝えたい要素に絞って
保育に落とし込んでいきます
そこからは、子どもたちのもの
保育園は子どもたちのコミュニティです
その矢印は常に子どもの上にあります
大人が知っている「いす取り」と
子どもが創る「いす取り」は
まったく別のゲームになるかも知れない
子どもたちの意思決定ルールは
大人が経験してきたそれとは違うかも知れない
ただ、それは野放しというわけではなくて
“因数分解”しておけば
「この要素も伝えた方が良いよね」も
大人にはわかると思います
保育は「どれだけ大人の手を引けるか」だと
私は考えていますが
だからと言って
“ゼロ”にしようとは思っていません
大人の手が必要だからこそ
保育士という仕事があるのですしね
ただ、過剰に大人が手や口を出すのは
子どもの自立を妨げてしまいます
「余計なお世話」「お節介」ってことですね
保育を“因数分解”できていれば
子どもが手掛けること
大人が支援すること
その線引きもできると思います
アドラー心理学では
「課題の分離」という言葉がありますが
“私の課題”と“あなたの課題”の
線引きが重要だと説明しています
保育は子どもが創るものです
子どもたちのコミュニティですし
“育つ”のは子どもですからね
大人が“育てる”ことはできないんです
「環境としての保育士」と謳われる所以です
あらためて保育を見つめ直し
必要な保育環境を整えるためにも
保育の“因数分解”してみませんか?
最後までお読みいただき
ありがとうございます
タイトルを読んで
「うわぁ…数学の話?」
と引かれた方もいらっしゃるのではないでしょうか(笑)
正直私も、数学は得意ではありませんでした
でも“数学的な考え方”自体は
そんなに嫌いでもないのかも知れません
数学って
パズルをロジックで解くようなところがありますからね
記憶で答える問題よりも
問題が解けた時の爽快感はあります
私はそんな感覚で
保育を“因数分解”することをしていますが
あなたなら保育をどう考えるでしょうか?
料理のレシピに例えたって良いし
合奏曲の譜面に例えたって良い
要は、考えやすいイメージを持つ
ってことだと思います
保育がより楽しく
魅力的なものとなるように
考え方のきっかけとなったら嬉しいです
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