こんにゃちは、猫月です😸
今回はひとりの親として
子育てのお話をさせていただきます
私も親になって10年以上経ちますが
家庭では子どもと
喧々諤々しております(笑)
思春期真っ盛りですからねぇ…
大人とぶつかりたくなる思いも分かります😅
思い通りの子育てなんて
専門家だってできやせんのです🤪
一方で、
担任している子たちの保護者にも
保育士や教師を務めている方はいて
「保育士の子なのに…」
「親が教師なのに…」
という窮屈な思いをされているのも見掛けます
おそらくは
私のブログを読まれている方の中にも
同じような気持ちで
子どもと向き合われている方も
いらっしゃるのではないでしょうか
保育士でありつつ
親として心掛けていることについて
今日はつづっていきます
・家庭では夫・父に専念する
・「保育士の子」にしないこと
・子どものために精一杯
・大事なのは家族
・保育士である保護者へ
あくまで我が家の、私の話ですが
何かの参考になればありがたいと思います
家庭では夫・父に専念する
これはうちの子が
生まれる前から思っていたことです
私は保育士ですから
子どもの発達や環境について
当然妻よりも詳しいです
でも、それを家庭でも発揮したら?🤔
例えばですけれど
伴侶が料理人だとして
自分が作った料理に
専門的な意見を言ってきたらどうでしょう
ありがたいと思うこともあるかも知れませんが
自分なりに一所懸命に領しているところへ
「もう少し火を入れた方が」とか
「塩が足りないかも」とか
「盛り付けの彩が」とか
「黙ってろ!💢」って、思いません?
訊かれたことには答えるけれど
訊かれるまでは保育士を出さない
現在の我が家では
母子紛争がたびたび発生しています🔥
思春期真っ盛りの子どもですから
親への口答えなんて当たり前
でも、妻はそれが許せない
心配な気持ちは私も分かります
宿題や勉強をやって欲しい
生活リズムを整えて欲しい
バランスの取れた食事をして欲しい
でも、それはあくまで親の願い
鈴木みゆき先生(國學院大學教授)が仰っていました
子どもって
赤ん坊の頃は喃語がようやく出て
二語文、三語文を話すようになって
長文が話せるようになったら
もうお喋りが止まらない
寝てるか食べている時しか
黙ることがないくらいだったのが
小学生高学年になると
二語、三語でしか答えなくなって
中学生になったら
「ご飯」「風呂」「寝る」って単語になって
高校生になったら
「あぁ」「うん」って喃語になっちゃう
これは子育て小噺ですけれど🤣
まぁ、私たちも通ってきた道なんですよね
まぁ、こんな話をしたって
妻には煙たいだけでしょうから
妻の気持ちは共感しつつ
「まぁまぁ」ってコーヒーでも淹れるくらいが
夫としてできることなんじゃないかと思っています
子どもの発達は理解しているけれど
それを表に出すのは野暮というもの
必要以上に保育者をしない🤫
それが私の中での約束事です
肉・魚介・野菜×オートクッカーのサブスク【foodable】「保育士の子」にしないこと
家庭で保育士をしない
これは子どもに対しても同じで
保育園で保育者と接しているのに
家庭にも保育者がいたら
それはそれは窮屈だと思うのです
だから、家ではただの父でいようと
自分も父親と関わるのは
正直にいって面倒でしたからね…
「良かれ」と思って
接してくれていたのでしょうけれど
諭されても
「それができたら苦労せんのじゃぃ!!」
というが私の気持ち
うちの父は仏教系の学校へ行き
そのまま雇われで坊主をしていましたから
人の話を聞くことが生業でした
私もそのおかげで育ってきたわけですが
かといって檀家さんと話すように
家族と接せられても…
檀家さんは自分から相談に来たり
説法を聴きに来たりしているわけですからね
「頼んでないわい!」というのが
息子である私の本音です
女神転生(ATLAS)が好きなのは
ある意味で父の影響かもしれないw
そんな環境で育ってきましたから
我が子にはそんな思いは
させたくないなぁ、と
まったく保育の知識を使わない
というのは難しいにしても
子どもに何か声を掛けるときに
「これって父として?
それとも保育士として?」
という反省はするようにしています
その影響かどうかはわかりませんが
「将来、保育士になりたい」とか
「保育園で職場体験したい」とか
そういうコメントはないので
まずまずな感じなんじゃないかと思っていますw
子どものために精一杯
保育の同業者から
「“保育士”と“親”は違う」
という言葉を聞くことがあります
その言葉には
「𠮟らないで済む」関りを
保育士としては努めるけれど
親としては感情的であっても当然
みたいな意向があるようです
その気持ちはわからなくもないんだけれど
ちょっと残念だな…
というのが私の思いです
我が子に保育士としてではなく
ひとりの親として接するんだけれども
子どもの成長にとって望ましい
環境やコミュニケーションは
惜しみなく発揮したい
私はそう考えています
なぜって
こうした方が子どもの実力を引き出せるよ
ということを知っているのに
「親としてはやらないでも良い」というのは
ひとりの大人としては
ただ手を抜いているだけだと思うからです
先ほどの料理人の例でいうと
家族の料理に
専門家としての意見は差し挟まない
けれども
自分が料理をする時は
持っている技術を惜しまない
そうすると思うんですよね
敢えて不味くは作らないでしょう?
それが子育てになると
どうしてか精神論で横に置いてしまう
ハッキリ言って、勿体ない
「子どもの成長にとって必要な遊びは
その時に本人がやりたい遊びだ」
と作業療法士が仰っていました
うちの子が2歳の時に
雲梯で遊びたがったんですよね
ここで「危ないから」とか
「まだ無理だよ」と止めたら
成長のきっかけが削がれてしまう
そんな気がしました
落ちそうになったら受け止めれば良い
そう思って、やりたいようにさせたんです
その日はぶら下がって終わりだったんですけれど
本人は挑めたことに満足した様子でした
それから、雲梯のある公園へ行くたびに
挑戦するようになったんです
結局は3歳の誕生日を迎える頃には
自分で雲梯を渡り切れるくらいになりました
私自身は運動音痴で
雲梯が渡れたのは
小学生になってからでした
子どもの成長を目の当たりにした時
運動神経って環境要因も大きい
ということをしみじみ感じましたね
そこで自信をつけたかはわかりませんけれど
運動遊びに苦手意識を持たずに
過ごしてくれていました
こんな感じに「見守る」を実践できたのは
保育士としての知識や実践があったからです
これが親としての思いだけで
「心配なものは心配」
「危ないものは危ない」
と関わっていたら
もしかしたら
運動遊びが苦手になっていた、かも
まぁ、タラレバは
わかりませんけれどね
大事なのは家族
保育士として働いていると
なかなか休みが取れないとか
当番で家族に影響を及ぼす
なんてことがあります
でも、何のために働いているかといえば
それは家族との生活のためです
もちろん、ブッキングすることもあって
子どもの行事に顔を出せなかったこともあります
ただし、体調を崩したとか
私がやらなければならない事態の時は
仕事よりも家族を優先してきました
「職場に迷惑を掛ける」
というのは心苦しいですけれど
仕事は誰かが代わってくれます
でも、家族への責任は誰も代わってくれません
これは自分が体調を崩した時にも感じました
仕事のために、園児のためにと
どんなに頑張っても
私の代わりはいないんです
私が壊れてしまったら
職場は代わって家族への責任を取る
なんてことはしてくれません
園児や保護者は
もちろん大事な存在です
けれど
家族に対して責任が取れるのは私だけ
私に対して責任を負うのも家族だけ
そこは絶対に忘れちゃならないことです
家事代行で家族を気楽に保育士である保護者へ
保育士だからと言って
子育ても順風満帆
なんてことは無いと思います
保育園というコミュニティの中では
園児もその一員として振舞っています
でも、家庭に戻れば
子どもは子どもとして振舞うものです
大人だって、職場と家庭では
振舞いが変わるでしょう?
それなのに
「あの子の親って保育士だよね…」
という保育者がいるとしたら
かなり感覚がズレています
でも、たまにいるんですよねぇ
「保育士の子なのに」とか
「教師の子なのに」とか
無思考な発言をする人
私が担任している保護者にも
職場での先輩保育士の言葉に
「親としてもしっかりしなきゃ」
と肩身の狭い思いをされている方がいます
身も蓋もないことを言ってしまうと
その先輩、たぶんセンス無いっす🤪
私も同僚に
「自分はしっかり子育てした」
という先輩がいました
でもねぇ
ヒトの脳はウソをつくんですよ
「記憶は捏造される」ものです
「しっかり子育てをした」というのは
我が子の良いと思う点だけを
無意識にピックアップしているだけです
実際の子育てで
すべてが順風満帆だったわけがない
ヒトを育てているんですから
それにです
「自分はしっかり子育てしたから
あなたもできるはず」
なんていうのは
質の悪い押しつけです
人はそれぞれです
得意もあれば不得意もある
保育士だからって個性が無くなるわけじゃない
むしろ、個性の違いを尊重するのが
保育士の専門性であるはず
だから
「保育士なんだから
親としてもしっかり」
なんていう人は
センス無いっすwww
保育士は保育士
親は親
保育士として子どもと上手に関われたとしても
我が子とは悩みながら関わっている
それは自然なことですよ
保育園と家庭では
コミュニティが違うのですから
逆にですよ?
我が子が保育園と同じように振舞っていたら
そっちの方が心配じゃありませんか
それと同じように
家庭でも保育士として子どもと関わっていたら
それはやっぱり心配な状況だと思います
心休まる場が無いですよね?
それに、親が保育士や教師でないなら
子育てはちゃらんぽらんでも良い
ってことでもないはずです
親の職業が何であれ
精一杯に子どもと向き合うことが大事
そういう話だと思います
最後までお読みいただき
ありがとうございます
保育士をしていると
「園児とならうまく関われるのに」とか
「我が子には感情的になってしまう」とか
そういう悩みを聞くことがあります
園児はあくまで他人ですから
我が子とはやっぱり違いますよ
でも、手抜きをしているわけでも
怠けているわけでもありませんよね?
アドラー心理学の講師が仰っていました
「愛の無い親はいないが
愛を伝えるには技術がいる」
保育士の技術と
親としての技術は
きっと別物なんです
だから
保育士は保育士
親は親
それぞれで良いんじゃないですかね
私も親としてはまだまだです
きっと子どもが成人しても
そう思いながら過ごして行くんじゃないでしょうか
誰かと一緒に
そんな思いを語り合えるのが
最善なんじゃないかとも思います
一人で抱え込む前に
そっと子育Barで話してみませんか
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