こんにゃちは、猫月です😸
今回は、保育の基本を教えてくれた先輩の話です
かれこれ20年近く保育士をやっていますが
働き始めた頃の私は
それはそれは
絵に描いたようなポンコツでした😓
子どもの遊びがわからないし
日誌を書くにも時間がかかる
保護者対応もチグハグ
職員間の報連相も漏れまくり…💦💦💦
保育士として
「やっていけるかも」
と思えたのは
保育士5年目に組ませていただいた
先輩がいたからです
ということで、今回は
私が“師匠”と慕うその先輩の話と
育成で考えることのお話です
・「実習生だと思って扱うから」
・模倣するなら行動より意図
・誰かと同じ仕事をしない
・いつまでもチャレンジする姿勢
・後輩の意図を汲んでくれる先輩
まずは、組んだ当初のエピソードからです
「実習生だと思って扱うから」
クラス担任を組んで
最初に言われたことがあります
「君は、保育の基本を教わってこなかったね」
それは私も実感していたことで
「どうするのが良いかがわからない」
以前に組んだ先輩たちからは
「仕事は見て盗め」
と言われていました
先輩たちの動きを見て
そこから適切な行動を判断しろ
ということですね
同僚の様子を見て行動しようとするんだけれど
やると裏目に出る
それが繰り返されると
自分の判断を疑うようになる
求められていた行動を選べなくなる
という負のスパイラルに陥っていく…
これは後にご一緒した園長から
「君は“空気”が読める
でも、読み過ぎている」
と助言されたことがあります
だから、みんなの空気を読むと
アレもコレもやることになって
でもそんな実力もないので
結局は何も上手く行かなくなるのです
師匠と組んで最初に告げられたのは
👩🏻🦳「君は、保育の基本を教わってこなかったね」
そして
👩🏻🦳「君のことは、実習生だと思って扱うから」
でした
連絡帳は鉛筆書き
散歩は必ず殿軍で
保護者対応は師匠が耳を欹てている
保育の後は反省会
いやぁ、こってり絞られましたねぇ(遠い目)
もちろん、それぞれにねらいはあるわけです
連絡帳とは
保護者の思いを汲み
子どもの様子や
保育の目指していることを
簡潔に反映するものであること
散歩時の子どもの姿や
保育者の関わりを
最後方から見ること
保護者対応も
子どもの視診や
保護者の表情や態度を見逃さないこと
それらの“基本”を
しっかり押さえたかった
そういう師匠の思いがあったのです
模倣するなら行動より意図
一緒に保育をしていく中で
子どもとの関わりなど
師匠と同じことをしようとします
魅力的な保育をしていれば
同じ事ができるようになりたいのが人情でしょう?
例えばままごとで
師匠は子どもが遊び始める前に
あらかじめ皿に盛り付けをしておくのです
その皿を見て、子どもも盛り付けようとします
模倣からアレンジして
子ども自身の遊びへと繋げていくのですね
私はその様子を見て
同じように皿へ盛り付けをしていました
でも、その意図までは模倣していないわけです
やっていることは同じなんだけれど
その根っこにあるねらいが異なるわけです
師匠の意図は
子どもの遊びが
大人の模倣から
自分の遊びへと
昇華していくことです
私が行っていたのは
師匠のようにすれば
子どもが落ち着いて遊ぶ
自分の都合に良いということでした
それを見抜いている師匠は
私が遊ぶ様子を見守りながら
👩🏻🦳「どうして、その遊びをしようと思ったの?」
と尋ねてくるのです
😸ど、どうしてって…
👩🏻🦳「そこがわかるようにならないとね」
師匠は保育の意図を大事にしていました
というか意図の無い保育は流れてしまいます
子どもの中に積もっていくためには
目的を持って遊びを提供する必要があるのです
初めは誰かの模倣で良い
子どもの遊びも同じですよね
ただ、子どもは好奇心と併せて試行錯誤して
模倣をオリジナルへ変えていきます
では、私は?
師匠の遊びを模倣をして
そこからどんな保育を展開したいのか
子ども達の成長をどう促したいのか…
今でこそ、些細な遊びにも目的を持って提供していますが
当時の私には、およびもつかないことでした
提供する保育には意図がある
保育を模倣するのであれば
意図まで理解する
それを示してくれたのが師匠でした
誰かと同じ仕事をしない
これは口を酸っぱくして言われたことですが
職場で気を遣いがちな私は
誰かが仕事をしていると
手伝いに顔を出していました
というか、
多くの人はそうしているのではないでしょうか
よく言えば、空気を読めるということなのでしょうが
師匠から言われたのは
👩🏻🦳「みんなで同じ仕事をしたら、
他の仕事が止まるでしょう」
「誰かに任せることが大事なの」
ということでした
職員間の人間関係を思うと
他の人と同じ仕事をする方が
良好な感じがしますよね
でも、私たちは組織で仕事をしているわけで
保育園が成すべき仕事は沢山あるのです
組織で仕事をするということは
各々が仕事を分担し
担った仕事をやり遂げることが大事なのです
良好な人間関係を築けても
仕事としての成果が滞っては意味がない
ましてや保育園は常に子どもがいる現場です
大人同士が一か所に集まって
子どもの安全が損なわれてしまっては
元も子もないというものです
別の場面では
師匠が憤りを見せた場面がありました
👩🏻「力仕事だから、男性にお願いするね」
という先輩がいた時に
👩🏻🦳「保育に男も女もないでしょう」と
保育園には力仕事が結構あります
高所の作業もあります
でもそれらの仕事は
男性保育士がいてもいなくても
やるべき仕事ばかりです
「男だから」という理由で分担していたら
特定の職員に仕事が偏ってしまいます
組織の任務は組織で成し遂げるもの
組織に所属する人員は
その組織の成果のために行動するもの
👩🏻🦳「お友だちごっこをしに出勤してるんじゃない」
言葉はきついですが
「働く」ということの本質を語っていると思いました
いつまでもチャレンジする姿勢
一緒に組んだ4月
クラス担任に師匠から相談がありました
👩🏻🦳「私もやったことは無いんだけど…」
研修で学んだクラス運営をやってみたいという話でした
師匠は、定年が間近の年齢
それまでに行ってきた保育があって
しかも評価されてきた方です
40年近く保育に携わってきて
「やったことの無い保育に挑戦したい」
という相談だったのです
実践したことのない保育に敢えて挑む
しかも、研修で学んだものですから
師匠が牽引していく必要があるのです
今にして、漸くその困難さが想像できます
まず、保育はチームプレーですから
新しいことを導入するには
同僚の協力が必須です
でも、やったことのないことをやるって
みんななかなか腰が重いじゃないですか
師匠が積み上げてきた実績と信頼があってこそ
「先生がそう言うなら、やってみましょう」
となるわけですね
師匠が積み上げてきたものを
言葉にしてくれたことがあります
20代の頃は、毎日辞めることばかり考えてた
30代になって、続けても良いかなと思えるようになった
40代になって、やっと保育というものがわかってきた
50代の今、毎日「こんなことやろうかな」って楽しいよ
40年以上前の保育業界がどんな世界だったか
私には想像も及びませんが
師匠が保育を楽しんでいたのは間違いないと思います
毎日、めちゃくちゃ説教されましたが
それでも、それまでの保育とは
見せてもらえる世界が違いましたからね
特別、何かを魅せる保育ではありませんでしたが
大人が出しゃばらない保育だったと思います
それはつまり、子どもに軸のある保育でした
その一年間に取り組んだのは
子ども一人一人のリズムに合わせて展開する保育でした
傍から見れば
食事の時間はバラバラ
午睡に入る時間もバラバラ
着替えも食前か食後か決まってない
ともすれば無秩序に思えたかもしれません
師匠からあったのは
家庭によって起きる時間も違う
朝食の時間が違うのだから
お腹が空く時間も違う
遊びで服を汚す子もいれば
食事で服を汚す子もいる
眠くなる時間も睡眠時間も違う
クラスで保育するというのは
その環境を個人に合わせつつ
集団として整えることだよ
言葉で説明することはできても
それを実践しようというのは
なかなか難しいですよね
私は師匠と実践した経験があるわけですが
再現できるとかというと
それはそれは困難なのです
ただ、「難しい」と諦めるよりも
スモールステップで良いので
いつかはあの保育を再現して
同僚にも「良かった」と思ってもらえるよう
私も挑み続けたいと思っています
後輩の意図を汲んでくれる先輩
さて、最後に後輩の私の視点の話です
師匠とそれまでに組んだ先輩の
決定的に違うことがあります
私の意図を汲んでくれるかどうか、です
それまでに組んだ先輩たちも
私に自信を持たせようと
いろいろなアプローチをしてくれました
ただ、保育で躓いた時に
👩🏻「私だったらこうするけれど
あなたはどうしたかった?」
という聞かれ方をしていました
先に先輩だったらこうするという説明があるので
後輩からするとそれが「正解」なわけです
正解を聞かされた後に
失敗した自分の保育の意図を尋ねられても
回答なんてできませんよね?
実際、私は何も答えられませんでした
そして、周囲の評価は
「あいつは何も考えていない」になるのです
もしくは、私の意図を説明したとして
先輩の意図と違った時は
「保育を理解していない」
「私の背中を見ていない」
「空気が読めていない」
となるのです
保育者間で意見の違いがあったときに
その摺合せをすることが大事だと思うのですが
「保育を教える」立場の人は
相手を下に見てしまうのだと思います
では師匠はどうだったかというと
👩🏻🦳「君がやりたかったのはこういうことでしょ」
と、私が説明する前に意図を言語化してくれました
言語化するって大事ですねー
私も拙いながらに保育の意図を持っていたのですが
それを言語化するのが苦手でした
何となく「面白そう」で始めるのです
でも、言語化して考えないと
枝葉が広がっていきません
その保育に必要な環境、物品、大人の手など
また、見込めるメリットとデメリットなど
そういったものが見えてこないのです
見切り発車で始めるから
遊んでいる中でトラブルが生じます
私からすると「予期せぬトラブル」なのですが
師匠からすると「やると思った」でした
おそらくは師匠には「やらせてみてから」
という思いがあったのでしょう
とにかく失敗と反省を積み重ねましたね💦
ただ、頭ごなしに反省を促すのではなく
👩🏻🦳「やりたかったことはコレでしょ」
「だったら、こういう準備が大事だよね」
「君はここを引っぱって、私がこっちをフォローするから」
「それを自分で采配するのが保育リーダーだよ」
と実践があっての振り返りがありました
こういうの
将棋や囲碁だと感想戦というのですよね
勝機や敗着を分析して
お互いに次戦に活かしていくわけです
師匠と組んで私が救われたのは
この「こうしたかった」を
聞いてもらえたことです
そして一緒に考えてくれたことです
それまでは
「こうあるべき」とか
「ふつうはさー」とか
明確な言葉ではないにせよ
どこかしら私の保育を
否定された気分になっていました
師匠も「そうじゃない」とは言うのですけれど
その前にまず「どうしたかった」を聞いてくれました
未熟者は、未熟者なりに考えているものです
それが毎日のように「どうなの?」と言われると
自分で自分の考えを否定するようになってきます
師匠と組む前年、私は園長に
「もう仕事へ来たくありません」と伝えていました
それくらい追い込まれていたのです
師匠は言葉もきついし怖かったですけれど😅
それでも、私の保育を受け止めてくれました
それだけで「頑張ってみよう」と思えたのです
この年は、自分でも様々な保育セミナーに足を運びました
とにかくできる努力はやってみようと
子どもは生まれたばかりでしたし
東日本大震災もあった年だったので
妻が理解してくれたのは
本当にありがたかったです
家庭に於いても
自分の思いを伝えられたのは
仕事への姿勢を
変えてもらったからかも知れませんね
自分が後輩指導する立場になった時
師匠のような関りをしたいという思いがあります
言葉遣いは考えるとして(笑)
前年まではいつ辞めようかと考えていたのが
師匠と組んでから、もう10年以上続けていますからね
あの4月が私のターニングポイントでしたね
この年度末に
私も師匠も異動となりました
定年までご一緒できれば良かったのですが
それではおんぶに抱っこだったかも知れませんね😅
私は新しい職場で
師匠と積んだ経験を活かして保育に邁進しました
一方で師匠はというと
退職後も引き続き子どもと関わっていました
数年後、当時の園長から尋ねられたことがあります
「あの年は、正直きつかったんじゃない?」と
ぶっちゃけて言えば
めっちゃきつかったです😱
参考になるとはいえですね
飛んでくる言葉は鋭いんですよ
反省会もなかなか長かったですし
ゲッソリして帰宅することもしばしばでした…😵
師匠との関りを、そのままトレースしたら
おそらくは“パワハラ”と呼ばれかねませんね💧
それこそ、意図を模倣して
行動はアジャストしていくことが大事でしょう
私は人の縁に恵まれていると自負しています
ただ、縁を活かすも失くすも自分次第です
今ある縁は、実は良縁なのかも知れませんよ?
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