子どもに話を聞いてもらうために心懸けたいこと

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みんなのQ&A

こんにゃちは、猫月です😸

保育園で子どもを相手にしていると
結構な確率でぶつかるのが
“子どもたちに話を聞いてもらう”
なのではないでしょうか

クラスや行事などで
集団の子どもたちに向けて話をする
100%こちらの話を聞いてもらうって
それはそれは難しいですよね😂

私もいろいろ苦心してきました…
全員がこちらを向くまで話を始めないとか
パンッと手を打ってこちらに気を引くとか
パペット🐸🐮を使って興味を持たせようとしたこともあります

一番端的なのは、子どもたちを叱ること
「先生の話を聞かないと困るでしょう💢」って

でもね、よくよく考えると
子どもたちは何も困らないんですよ😅
子どもたちに話を聞いてもらわないと困るのは、私なんです😰

話を聞いて欲しいのは私であって
子どもたちから「話を聞かせて」と頼まれたわけじゃない
集団の子どもたちに話をするのは
実は大人の都合なんです😓

子どもたちに話を聞いてもらうためには
大人がスタンスを変える必要があると気付きました

そう「話を聞いてもらう」という姿勢です

子どもたちには保育士の話を聞く動機がない
でも、保育士には話を聞いてもらわないと困る事情がある
ではどうするか?
子どもたちの中に「話を聞こう」という動機を作る必要があります

工藤勇一(横浜創英中学・高等学校長)さんも仰っていました
【「話を聞きなさい」なんて指導は、本当は間違ってる】

私は、幼児期には生活していく根幹的な力を身につける時期だと考えています
「小学校へ行ったら」ではなく
「成人したら」役立つスキルや能力です

そのような重要な時期に
「大人の話を聞かされる」なんて役に立たないスキルを身につけている余裕はありません
「相手の話を聴く」スキルは重要ですが
そのためには「耳を向ける価値がある話」を聴く経験を重ねることです

保育者が心懸けることは
子どもの話を聴く態度・姿勢ではなく
子どもが聴きたくなるような話ができるかどうかです

今回は、私が子どもに話を聴いてもらうために心懸けたいこと

以上の5つの観点でお話していきます

まずは子どもの話を聴く

これは発達の順序の話ですが
子どもが相手の話を聴こうとするのは
自分の話を相手に十分に聴いてもらう経験を重ねたからです

ヒトは未熟児の状態で生まれてきます
自分の手足も思うままに動かせないため
「泣く」ことで自分の思いを訴えます
これがコミュニケーションの始点です

そして、周囲の大人たちは
赤ちゃんの泣き方を感じて
「お腹がすいたの?」
「おむつが濡れてるかな?」
「部屋が暑いのかも」
と何を訴えているのかを模索します

ヒトの発達は、相手の話を聴くよりも
自分の思いを表現する=聴いてもらうことが先行するんですね

自分の思いに耳を傾けてもらう経験を十分にすると
「自分も誰かの役に立ちたい」という思いが伸びてきます
ヒトは社会的な生物ですから
本能的に【貢献感】を得たい欲求があります

子どもが幼いながらに大人の手伝いをしたがるのは
単純に模倣したいのではなく
自分が社会の一員として一人前であることを自覚したいからです

会話においての貢献感は
相手の話に耳を傾けることです
自分の話を聴いてもらえる安心感と
相手の話を聴く貢献感

このふたつが育つ環境があれば
「大人の話を聴きなさい」などと強いられなくても
子どもは話を聴く力の土台を身につけていくのです

だから、大人はまず子どもの話を聴くことが大事なのです
それも、生返事やおためごかしではなく
子どもに敬意を向けて、耳を傾ける姿勢を持ちたいですね

話を聴きやすい環境を整える

これは子どもたちに話をする際の
周囲の環境の話です

👆の写真をご覧ください
左右にリンゴ🍎がひとつずつありますが
どちらのリンゴ🍎の方が見やすいですか?

私だったら、白い壁をバックにしているリンゴの方が見やすいと感じます

話をしている相手に注目したいとき
あなただったら、どちらの背景の方が集中できそうですか?

例えばですが
子どもたちに話を聴いてもらう時に
話している保育士の後ろに玩具があったら
子どもたちは集中できるでしょうか?
話している保育士の背後を
他の保育士が歩いていたら?

私が子どもだったら
保育士の話よりも周囲の方が気になってしまうでしょうね😓

ヒトが環境から情報を得るとき
視覚からが7割、聴覚からが3割
程度の割合だそうです
つまり、耳から入る情報よりも
目に映る情報の方が優位なんですね

それを考慮すると
子どもたちに話を聴いてもらいたいならば
子どもの視野に余計なものが入らない環境の方が
望ましいと言えそうです

私が集団に向けて話をするのであれば
背後には余計な情報の少ない場所を選びます
そして、保育者には最小限の動作で次の保育準備をしてもらいます

話を聴いてもらいたいのであれば
子どもたちが集中しやすいよう環境を整えるのも
保育準備ですよね

話を聴くために準備運動をする

作業療法士(OT)と仕事をしていたときに
療育の前には必ず身体を大きく動かす遊びから始めると確認していました

全身の血流を巡らせることで脳が覚醒
机上の遊びにも集中できるようになるから
という理由があります

以前、花まる学習会に勤めていた友人から聞いた話なのですが
花まる学習会では授業の前に運動遊びをするそうです
発想としてはOTが意識していたことと同じですね
座学の前に運動遊びをすることで
より学習への意欲や集中が増す効果をねらっていたようです

私も、運動遊びとまではいきませんが
子どもたちに話をする際は
その前に軽く身体を動かす機会を設けるようにしています

以前、オンライン保育塾VIREVA
手遊びについて質問を受けた際にもお答えしましたが

「手遊びで何が育って欲しいか」

手遊びの前の手遊びを私は大事にしています
本題の話をする導入として手遊びをするのですが
その手遊びの準備体操的にひとつ手遊びをするんですね

子どもに話を聴いてもらうために
まずは身体の血流をあげていきたい
そのためには(できれば肩)を使える動作をしたい

私がよく使うのは【いっぽんゆびのはくしゅ】です
♪ぐるぐるぐる ぐるぐるぐる いっぽんゆびではくしゅ
前腕(肘から指先まで)をぐるぐる回して遊ぶことで
上腕(肩から肘まで)より先の運動になります
ここでさらに
「大きくやるよ」「小さくするよ」
「早くするよ」「ゆっくりにするよ」

と動作の緩急をつけることでボディコントロールを促しつつ
簡単ながらも運動遊びをするわけです

こんな遊びをしながら
全員が揃うのを待つ意味合いもあります

少し身体が温まったことで耳の血流も良くなる
“聴く”も運動ですからね
身体が、話を聴く体勢になるように誘い掛けていくんです

次に本題の“枕”となる手遊びをします
いわゆる導入の手遊びですね

そこで子どもたちの関心をグッと引いて
本題の話を進めていくのです

子どもに話を聴いてもらうためには
身体の準備をする
保育士の話に関心を持つ
子どもの心身が整たっところで話を始める

このような順序を私は心懸けています

子どもが聴きたくなるような話をする

当たり前のことですが
面白い話ならヒトは自分から耳を傾けます
つまらない話ならそっぽを向くでしょう

私は落語が好きですが
お金を払ってでも話を聴きたいと思わせる噺家さんは
話を聴いてもらうエキスパートです

講演や研修の場合は、最初から主題がわかっていますよね
ところが落語の場合、どの話をするのか決まっていない場合もあるんです
何を話すかわからないのに、話を聴きたいと人が集まってくるんでよね

噺家さんがとりとめもない雑談を初めて
まー、その枕も面白いんですけれど
気が付くと本題の落語に入っている
現代の日常の話をしていたのに
気が付けば自分たちは江戸の下町にいる

噺家はひとりなのに
登場する人物は複数で
江戸時代に生きていなかった私たちも
江戸の町の中にいる気分で過ごしている

噺家さんの姿は、
子どもと向き合う保育士として参考になることがたくさんあります

とはいえ、落語の技法をそのまま保育に活かすのは難しい
幼児の集中力は限られていますからね

これは心理学の教授から聞いた話ですが
ヒトの集中力は最大で22分が限界だそうです
だから大学での90分の講義は22分×3=66分で考える

その日の導入があって
最初の集中時間があって
話題を切り替えて
2回目の集中時間があって
再度話題を切り替えて
3回目の集中時間があって
最後にまとめの話をする

90分の講義が「面白い」先生は
この集中の緩急の使い方が巧みなんです

幼児に話をする時もポイントがあるそうです
・話の要点を数で示す
「これから3つ大事なことを話します」
・主語と述語をはっきり示す
「みんなはこれから園庭で遊びます」
・幼児が記憶できる動作は3つが限界
「帽子をかぶって、靴を履いたら、座っていてね」
・モノや位置、方向は明確に伝える
「お腹とテーブルをぴったんこにして座ろうか」
・すべての話は5分以内に終わるように

話を聴くときに、終点がわからないと不安になります
要点を数で伝えることで
「3つの話を聴くんだな」と納得できます

主語と述語をはっきり示すのも大事です
日本語は主語と述語を省略しがちですが
誰が何をするのかが伝わらなければ
話を聴いた意義が欠けています
「誰」が「どこ」で「何をする」か
子どもにわかるように伝えたいですね

幼児は、まだ自分の身体も十分に操作するのが難しいです
その中で、いくつもの動作を提示されても
その姿をイメージするのが難しいのです
子どもがわかる動作で、3つまでに要約することが大事です

代名詞は共通認識があった上で成立します
保育士基準で「あれ」「これ」「それ」を示しても
子どもが共有するのは難しいという前提でいましょう

また、子どもは位置認識が未熟です
左右の理解が拙い以前に
「前」と言われても、その基準点がわからない…
大人でも【前向き駐車でお願いします】という掲示に対して
クルマの前方を奥に入れるのか
クルマの顔をこちらに向けるのか
理解が異なる場合があります
「前」の基準が示されていないから
どっちが前かがわからないんですね

伝わらない話に意味は無いです💦
子どもがわかる目印を示して伝えることが大事です

最後に、話は簡潔に伝えることです
子どもの集中時間への考慮も大事ですし
大人の話が長いと聞いた話が右から左です
大人が話したいことを話しただけで
言葉が子どもの上を素通りしていることも珍しくない
「5分以内で話す」準備をしていれば
そういったことは少なくなると思います

それと大事なことがもうひとつ
普段から「この人の話を聴くことはメリットがある」と感じてもらうことです
要は“信頼”ですね
保育士の腕の見せ所は、日常と遊びの中です

子どもの方から「話を聴きたい」と思ってもらえるよう
毎日の保育を大事にしていきたいですね

相手が子どもでも大人でも心懸けたいこと

相手に話をする時に大事なことがあります
それは相手に敬意を払うことです

例えばあなたが買い物へ行った際に
店員が壮年のお客さんとあなたとで言葉遣いを変えてきたら
あなたはどう感じますか?

以前に、デパートで商品の相談をしたときに
対応された店員がタメ口で話してきたことがありました
当時の私は新卒で
目的が「初任給で祖母に贈り物を」と伝えたところ
急に店員の態度が変わったのです
その時点で私は不信に感じましたから
早々に断って別の店員に話しかけました

要は、軽んじられたのです

これは子どもたちに対しても同様です
「自分は大事にされていない」と感じたら
子どもはその大人にそっぽを向きます

何も蝶よ花よと愛でろということではありません
子どもを対等な存在として関われば良いのです
先述したように
子どもは安心感貢献感を得たいと思っています
対等な関係ならば敬意を持って話を聴くでしょう?
それは子どもの安心感を満たしますし
対等な存在として社会の一員として認めれば
それが子どもの貢献感を育みます

そもそも、保育園は子どもたちによるコミュニティです
保育者は支援者の立場です
コミュニティのメインメンバーに敬意を払うのは当たり前ですよね
保育者がいなくても生活が成り立つのであれば
保育士の存在は不要なわけですから

保育の主役としての子どもたちがいて
支援の都合上、大人が音頭を取らなければならない場面がある
子どもたちに、大人の都合に付き合ってもらうのですから
「話を聴きなさい」なんて言葉は出てこないはずです
話を聴いてもらえるよう、大人が努める立場なのですから

敬意を払うというのは大人に対しても同じですよね
保護者に対して
後輩職員に対して
部下に対して

「話を聴きなさい」もそうですが
「空気を読んでよ」とか
「気遣いが足りない」とか
「わかってないなぁ…」なども
相手への敬意を欠いた発言です

自分の都合を相手に強いているわけですからね
まぁ、失礼な態度です

先ほども申しましたが
自分を軽んじてくる相手に信頼を寄せるのは難しいのです
耳を傾ける相手は、信頼のおける人でしょう?

首は縦に振りながら、内心では👅なんてこと
珍しくないですよね?
(私はいっぱい心当たりがあります🤪)

相手が子どもでも、大人でも
まずは相手に敬意を払うのが
こちらの話を聴いてもらう上での大前提です

子どもがこちらの話を聴こうとしないのであれば
それは常日頃の、保育士の態度を写した鏡なのではないでしょうか

今回は、
私が子どもに話を聴いてもらうために心懸けたいことについてお話してきました

特別難しいことをしているわけではないですが
毎日の積み重ねの上に成り立つとも思っています

私が重要視しているのは
私の話を聴いて欲しいのではなく
子どもの生活力に必要な経験は何かです

子どもと向き合うときに
その関りがどんな育につながっていくのか
改めて考えていただけたら幸いです

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