こんにゃちは、猫月です😸
我が子であれ、保育園であれ
子どもと向き合うときに大事にしていることがあります
それを具体的に
「どんな方法で保育をしていますか」
と尋ねられると
実に回答に困ります…😅
何故かというと
保育の方法というのはあくまで“道具”であって
子どもたちの成長やその日の様子によって
用いる手法は変わってくるんですね
ゴルフ⛳でいえば
ゴルフクラブを使ってプレーするんだけど
コースやボールの状況によって
ウッドを使うか、アイアンを使うかなどが変わってきます
そのウッドやアイアンにしたって
ドライバーやフェアウェイウッド、ロングアイアンからウェッジと
さらに細分化されていて、その時々での最適なクラブを選択するんですね
保育の手法の話をすると
細かいシチュエーションごとの話になるんですね
その話を説明しても
その場面の再現性があるか?ということになってきます
多くの子どもと関わる中で、まったく同じ場面に遭遇する確率は低いからです
こういうとき、私自身はサッカーに例えて考えます
サッカーでの戦術トレーニングは
とある状況だけにフォーカスして取り組みません
チームとしての約束事を共有するための練習が主です
プレーの判断の基盤となる戦術理解が大事なんです
(これについては『アオアシ』(小林有吾🄫小学館)参照)
「保育の戦術って何だろう?」🤔
と考えると、それは哲学なんじゃないかと思います
『哲学』と聞くと
「何か難しそう…」
「えー、勉強の話ー?」
となるかも知れませんねw
ということで以下の言葉を紹介します
・子どもの中で、子どもは育つ
・尊敬とは「ありのままにその人を見る」こと
・「話を聞きなさい」なんて指導は、本当は間違ってる
・若者は大人よりも前を歩いている
・いつも全力を出していると、真の実力を発揮できなくなる
私が子どもと向き合うときに
大事にしている5つの言葉たちの話です
子どもの中で、子どもは育つ
インクルーシブ保育の第一人者である野島千恵子先生の言葉です
野島先生は大阪にある聖愛園(社会保育法人 路交館)で園長を務められておりました
NHK『プロフェッショナル』で紹介されていたその保育は
まさに「子どもが中心」の保育でした
子どもたちは小グループで園生活を送り
その日の生活はグループで話し合って決めます
「子どもはね、ほかの子どもを教材として学んでいってると思うんですよ。
NHK『プロフェッショナル~仕事の流儀』より
人は人に影響されて、自分の価値観も、大切なことも、
みんないろんな価値観があると思いながら、
自分で作っていくもんや
というふうに思っているので」
汐見稔幸教授も
「意見とは、人をくぐる必要がある」と仰っていましたが
“多様性を認める”社会を生きていく子どもたちは
どれだけ自分以外の意見に触れて
お互いの思いの相似点や差異に気付き
「じゃぁ、どうしようか?」を考えられるようになって欲しいと思うのです
教育の目的は
「自立」と「自律」とか
「自分で飯を食える大人になる」とか言いますね
でも、それは“ひとりで生きていく”と勘違いしがち
自立というのは、“社会の中で生きていく力”を身につけることです
そして、子どもが最初にふれる社会が
保育園や幼稚園といった子どもたちのコミュニティなのです
野島先生の言葉や保育を受けて
私は、保育はどれだけ大人の手を引き算できるかだと考えるようになりました
子どもだけで生活が成立するのが理想だよね
でも、実際には難しいことが多いよね
だから援助者としての保育者が必要だよね
ただし、あくまでコミュニティの中心は子どもたちだよね
これが私の子どもと向き合うときの“軸”です
そして、子どもたちにも伝えていることです
子どもの自我が芽生え始めたら、これを伝えていきます
あなたには伸び行く力があるし
いつかは自分の力で生活していく
今は難しいこともあるから
手伝って欲しいことは力を貸すし
「今日はできない」ことも手伝うよ
でも、自分でできるようになることを信じて欲しいし
私はあなたの力を信じている
キレイ言と思うかも知れませんが
実際に伝えていることです
最初は大人が支援者ですが
集団で生活でしていく中で
頼れる友だちも見つけられるように関わっていきます
「○○したいんだね。できるお友だちはいないかな~?」
ブロックが得意な友だち
一緒にかけっこしてくれる友だち
トイレについてきてくれる友だち
手助けされる中で、自分が友だちの役に立てることにも気づきます
鼻が垂れている友だちにティッシュを差し出す
泣いている友だちの頭や背中を撫でてあげる
トイレ後にズボンのお尻をしまってあげる
“お互いさま”を自然と身につけていく
子どもは、子どもたちの中で育っていく
環境としての保育士は必要だけど
必要最低限の手と口で済ませるようにしたいと考えています
尊敬とは「ありのままにその人を見る」こと
これは、『幸せになる勇気』(岸見一郎・古賀史健©ダイヤモンド社)の一節です
『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』は
アドラー心理学を世に広めた図書になりますね
私自身は、職場の研修でアドラー心理学を学びましたが
一般的にアドラー心理学の入口としては
この2冊がわかりやすいと思います
(ただし、アドラー心理学は常に考えていく学問です)
この本の中で私が大事にしているのが
尊敬とは「ありのままにその人を見る」ことです
子どもと大人は対等である
と言葉ではいうのですが、
ですが実際にどう行動したら良いの?とも思います😅
それを端的に言うと
「ありのままにその人を見る」なのだろうと
子どもと関わる時に
その行動を評価するのではなく、客観的事実をまず見る
その子の行動と結果
その子の表情
その子の反応
その子の事実を踏まえた上で
(何がしたくで、どうなったのかな?)
(動機(願望)は何だったのかな?)
(くり返してる?調整してる?やめちゃった?)
その子は、自分なりにいろいろなことを想定して
試した(挑戦した)わけです
保育者がその子のやりたいこと、試していることがわかれば
それを実現する環境も整えられますし
場合によってはアシストもできるかも知れない
その時はやめてしまっても再挑戦する機会を用意することだってできる
また、「ありのまま」の子どもの姿は
その時点での成長・発達を見ることでもあります
例えば、自分でズボンを履く意欲が出てきた
足は入れられるけれど裾には通せない
指だけ出してあげる?
かかとだけ直してあげる?
もう少し見守れば自分でできそう?
「ズボンを履く」動作だけでも、段階があるわけで
「ありのまま」を見ることが
子どもの次の成長段階を見極めることにもなります
遊びの内容についても
“戦いごっこ”などは大人は眉を顰めがちですが
子どもが何に興味を持ってその遊びをしたいのか
重要なのはそこですよね
衣装が好きなのか
ポーズを決めたいのか
自分なりの正義心が芽生えてきたのか
子どもの動機がわかれば
その動機を満たす別の遊びを提案できます
そうすれば「いけない」「あぶない」と止めるだけの対応も変わります
大人も子どもも、発展的な日常になっていくと思っています
「話を聞きなさい」なんて指導は、本当は間違ってる
「目的思考」で学びが変わる(工藤勇一🄫ウェッジ)
中学校は社会で活躍する人材を育てるための場所です。生徒たちが大人になり、人前で話すときに、聞いてくれない相手を叱る人はいません。だから教員が『校長先生の話をちゃんと聞きなさい』と指導する姿なんて見せてはいけない。話を聞いてもらえないのは校長の責任ですよ。言葉は相手に伝わることが大事であって、分かりやすく伝えなければ意味がないと考えています。生徒たちが『聞きたい』と思うような話をする。ビジネスの場では当たり前のことですよね
「目的思考」で学びが変わる(工藤勇一🄫ウェッジ)より
工藤勇一(元千代田区立麹町中学校長・現横浜創英中学・高等学校長)は
公立中学校での教育改革で一躍時の人となりましたが
私も工藤先生の教育方針に共感するひとりです
その中でも、最初に衝撃を受けたのが👆の考え方でした
当たり前と言えば、当たり前の話なのですが
教育現場だと、この社会的な当り前が通じないことがあります
以前いた保育園では
3歳児クラスに「話の聞き方」という図がありました
「いすの座り方」
「保育士の目を見る」
「黙って話を聞く」
を図解して子どもたちに指示していたのです
私からすれば
「保育士の話が面白ければ、子どもたちは自分から耳を傾けるよ」
と思っていましたから
違う意味で度肝を抜かれました💦
そんな図式を掲出したところで
子どもたちは大人の話を聞こうとしません
姿勢としては図の通りにしたところで
保育士の話がつまらなければ上の空です
保育士の「やったつもり」だけが積もっていく保育でした
幼児期に身につけるスキルは
生涯に渡って使っていく生活力です
「相手の話を聞く」スキルを身につけたいのであって
「大人に話を聞かされる」体験は子どもの成長に反します
同様にあるのが「待つ」と「待たされる」の違いですね
子どもが自発的に「待つ」経験は大事ですが
大人に「待たされる」時間は成長に貢献しません
「“壁ぺったん”が不適切な理由がわからない」保育者は
この視点が抜け落ちています
子どもは大人よりも未熟です
大人が何となしにできる動作にも大きなリソースを割いています
子どもの貴重な能力を、大人の身勝手で消耗させているとしたら
それは、教育の目的に背いているのです
大人が子どもと接するときに重要なのは
子どもにとって有意義な時間であるよう心掛けること
あくまで「子どもたちの最善の利益」を追求する
それが子どもとの関りにも反映されているようでありたいと願います
若者は大人よりも前を歩いている
『嫌われる勇気』(岸見一郎・古賀史健©ダイヤモンド社)
アドラー心理学をほんとうに理解して、生き方まで変わるようになるには、「それまで生きてきた年数の半分」は必要になるとさえ、いわれています。つまり40歳から学び始めたとすれば、プラス20年が必要で60歳までかかる。20歳から学び始めた場合にはプラス10年で30歳までかかる、と。
『嫌われる勇気』(岸見一郎・古賀史健©ダイヤモンド社)より
岸見先生は、同じ時に行動を始めた場合
若い人ほど大人より前を歩いている
と仰っています
それと同時に
年齢に関係なく人は変われる
ともお話しされています
保育をしながら常々思うのは
子どもと一緒に遊んでいると
遊びを発展させていくのは子どもたちだということです
大人には経験がありますが
その経験は時に思考を束縛もします
子どもたちの方が「こんな事したら面白いじゃん?」を実行できるのです
最近だと、2歳児が
ままごとのコップにチェーンリングを詰めて
そこにマグナタブのペンを差していた時ですかね
ペンをストローに見立てられるって
なかなかな発見じゃないですか
大人だと、「ペンはペン」として扱いたくなる
「それはストローではないよ」と言いたくなってしまう
子どもは、大人からすると突拍子もないことをします
裏を返すと、大人だと踏みとどまってしまうことを
彼らは平然とやってのける力を持っているのです
私からしたら、尊敬の念しかありません
単純に「スゲーな!!」です(笑)
世の中を発展させてきたのは
その突拍子もない思い付きを平然と試せる人たちです
普段生活していても思いませんか?
「ウニを食べようと思った人スゲーな」とか
「豆を炒って、粉にして、お湯を注いで飲むってどんな発想?」とか
「羊の毛を刈って、自分たちの衣服にしたの?」とか
今でこそ当り前ですけれど
“最初”にそれをやった人がいるから
それを発展させて現代生活がある
子どもたちを見ていると
同じ環境にいたとしても
私たちより何かやってくれそうな期待を持ってしまいます
子どもは、若いというだけで尊敬に値すると思うのです
いつも全力を出していると、真の実力を発揮できなくなる
『なぜ、あなたの仕事は終わらないのか』(中島聡🄫文響社)
最後に、ちょっとこれまでと趣向の異なる言葉を挙げます
中島聡さんはプログラマーとして
Microsoft社でWindows95を開発された方です
どんな功績があるかというと
ドラッグ&ドロップを世界に普及させ
マウスの右クリックを現在の形にした方です
要は、現在のパソコン操作の当り前を作った人です
そんな中島さんは、仕事における時間術について
著書の中で解説しておられます
どんな仕事術かは実際に本を読んでいただくとして
「仕事は最速で終わらせてはいけない」と
中島さんは仰います
中島さんの仕事の考え方は
「締め切りまでの2割の時間で
仕事の8割をほぼ終わらせる」
というものです
これは時間の見積もりの話でもあり
それと同時に、余裕を持って取り組むという話でもあります
ところで、子どもと向き合うとき
常に全力を求めていませんか?
例えば、運動会や発表会
取り組み始めてから本番前日まで
毎日練習させてはいませんか?
中島さんの言葉で考えるなら
準備期間が1ヵ月なのであれば
2割…約1週間で子どもたちが概ねの取り組みができるということです
「いやいや、そんなの無理でしょ💦」
多くの保育者はそう考えるのかも知れませんが
1ヵ月間全力で練習をするって
大人でもかなり苦しくありませんか?
プロのアスリートならともかく
運動会に出るのは就学前の幼児ですよ???
それに、そもそも保育者も苦しくないですか?
1ヵ月間、ずっと準備、練習、準備、練習…
これでは息が詰まりますよね🤢
大人だって、子どもだって
いつも全力を出していると、真の実力を発揮できなくなるんです
行事だって、あくまで日頃の延長線上にあるもの
保護者に見てもらう意欲で、張り切る時間はあったとしても
その時間は限られたものであるはずです
子どもたちに余裕があるからこそ
保護者も観ていて楽しんだり
成長を感じたりできるでしょう
中島さんの言葉は大人の仕事術ですけれど
大人に該当するものは、子どもにも該当するはずです
行事でも、身の回りのことでも
常に“全力”を求めるのではなく
余裕を持って過ごせる環境であって欲しいと思います
ということで
私が子どもと向き合うときに大事にしている5つの言葉を紹介してきました
「子どもの中で、子どもは育つ」
「尊敬とは「ありのままにその人を見る」こと」
「『話を聞きなさい』なんて指導は、本当は間違ってる」
「若者は大人よりも前を歩いている」
「いつも全力を出していると、真の実力を発揮できなくなる」
あなたが、誰かと向き合うときに大事にしていることはどんなことですか?
最初に“哲学”と言いましたが
“ポリシー”とも言えるのかも知れません
ん?どっちにしろカッコつけてるって?(笑)
自分の言葉でも
誰かの言葉でも
迷った時、悩んだ時、反省した時に
立ち戻れるものがあるといいんじゃないかと
そんな風に思って紹介させていただきました😸
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