「運動会・発表会」の前に大事にしたいこと

※記事内に広告を含む可能性があります
※記事内に広告を含む可能性があります
徒然と雑談

こんにゃちは、猫月です😸

夏が過ぎると
保育園はジェットコースターのように動き出す気がするのは
私だけでしょうか…💧

一息吐ける暇がなーーーい!😭

と思うんですよねー
みんなもそうだよね?ね?😅

どうしてこんなに緊張感が続くかというと

9月に入ると運動会の準備が始まり
10月には運動会があって
11月には発表会の準備が始まり
それと同時にクリスマス会のミッションが進められ
12月には発表会クリスマス会
それと並行して新年の準備が始まり
正月の余韻を楽しむ間もなく
乳児の保育参加があり
節分ひなまつり卒園式新年度準備という行事の波がぁぁぁ…💦

運動会、発表会、卒園式という
大型イベントが目白押しだからなのではないでしょうか

ところで、
保育園に勤めていると耳にする言葉があります

「何だかんだ子どもたちは本番に強いから」

子どもたちは、保護者の前では力を発揮する
という意味だと思うのですが

“本番”って、どういうこと?

行事を催すことや子どもが体験することは
大事なことなんですけれども
その行事当日だけが大事なのでしょうか?

私は、行事の日もそうでない日も
子どもたちにとっては
同じ1/365日だと考えています

子どもにとっては、毎日が本番!

行事の日だけグンと成長して
行事の無い日は成長がなだらか

なんてことはないのです

なんてことのない平日の積み重ねが
子どもの成長には重要な時間で
それを保護者共有する機会として行事があるだけです

私は保育者として
「運動会・発表会」の前に大事にしたいことがあると考えて
子どもたちと日々を過ごしています

今回は、保育園行事について

・当日も平日も子どもにとっては大事な1日
・本当に見せたいのはメイキング
・結果以外の成長を保護者にどう伝えるか
・“思い込み”を意識する。打破する!
・「行事」はあくまで手段。やらなくったって良い

という5つに分けてお話ししていきます

ー 広 告 

ファーストスプーン公式サイト

当日も平日も子どもにとっては大事な1日

保育士も保護者も
運動会発表会と言った行事を重視しがちです

でも、当の子どもたちにはその意識はありません😅

そのギャップはどこから生じるのでしょうか?

大人は子どもの時からの経験があるので
行事のインパクトを経験しています
それと同時に「行事は重要なもの」という価値観を身につけています

他の記事でも引用したアインシュタインの言葉です

常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである
Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen.

Albert Einstein

まるで行事が子どもを成長させるように錯覚していますが
行事が有っても無くても、子どもは成長するものです

保護者にとっては、普段は目にしない子どもたちの活躍を見られる機会ですが
それはあくまで大人の都合です

子どもの成長だけを考えるならば
自分の好奇心のままに過ごせる平日の方が
よほどその成長に貢献するでしょう

例えば運動会で考えた場合
以前、杉原隆教授(田中教育研究所)の研修で伺った話ですが

子どもの運動能力は、主体的な遊びの中で伸びる
運動指導をすると、指導をしない時よりも運動能力は落ちる

というものでした
学術的には、運動指導は子どもの発達を妨げるとわかっているのです

それを知っても、運動会を催すメリットはなにか?
保育士は保護者に伝えているでしょうか

杉原教授はこうも仰っていました

子どもに10分間のマラソンを経験させるなら
10分間の鬼ごっこをした方が子どもは成長する

マラソンは走る動作のみですが
鬼ごっこであれば遊ぶ中で
走る、止まる、避ける、切り返す、跳ぶ、かがむ、立ち上がるなどといった
様々な動作が伴います
それと同時に、動作を判断する思考力も促されます

決められた競技をする運動会と
自由に身体を使える平日と
どちらが子どもたちにとって有意義な時間なのかは
ご理解いただけるかと思います

保育園によっては、従来の競技スタイルをやめ
子どもたちが考えた鬼ごっこを親子で楽しむ日に変えた園もあります

保護者としても、幼児教育に求める運動遊びはどんなものでしょうか?

子どもの統率させられた姿を見たいですか
それとも、のびのびと身体を動かしているところを見たいですか

幼児教育の専門家としては
より子どもの成長に繋がる環境こそ
大事にしたいのです

ー 広 告 ー

もっちもちの玄米革命!結わえるの寝かせ玄米ごはんパック

本当に見せたいのはメイキング

運動会や発表会などで
保護者に見せられるのは行事当日の子どもたちの姿です

当たり前といえば当り前ですが

私としては本当に見せたいのはメイキングです

以前に、【子どもたちの話し合い】という記事を載せましたが

行事に向けて、子どもたちが主体的に話し合う姿って
社会性協働性の視点で捉えた場合
ものすごく成長している姿だと思いませんか?
しかも、友だちと話し合って、お互いの意見を尊重する姿なんて
家庭では見られない姿じゃないですか

例えば、ダンスを見せるにしたって
当日は踊っている姿を見せるだけになってしまいますが

その振付をどう考えたか
どんな意味でその振付にしたか
みんなで踊れるためにどこに苦心したか

そこに取り組む子どもの姿の方が
保護者にとっても我が子の成長を感じると思いませんか

以前、組んだ保育士がこう言いました
「当日まで運動会で何をするかは家族にも内緒ね」
え?なんのために?
「だって、サプライズにしたいじゃん」

私にはこの意義が最後までわかりませんでした

子どもたちは日々成長をしている
成長の実感を家族と共有したいでしょう

「サプライズをしたい」のは保育士の個人的な願望であって
子どもたちの自発的な行動ではないのです

私は、子どもの日々の成長を
子どもたちと共感し、保護者と共有する
のが仕事だと考えています

子どもたちの試行錯誤や挑戦、気付き、成長の瞬間
できるだけ保護者に伝えたいと願っています

VTRが使えれば最善なのかもしれませんが
それでもひとりひとりの心情までは撮影できませんしね
子どもの成長のナラティブものがたりを伝えられるかは
保育士の努力にかかっていると思います

ー 広 告 ー

お子様にも安心!”添加物不使用”のつくりおきおかず

結果以外の成長を保護者にどう伝えるか

ある5歳児の運動会で
子どもたちが「鉄棒をやりたい」という話になりました

鉄棒というと、なかなかハードルが高いですよね
子どもたちが目指すのは逆上がり

しかも、取り組み始めた時に逆上がりができたのは
クラスで3人だけでした

あなたが担任だったら、どうしますか?(笑)

私は、子どもたちの意を汲んで
運動会のプログラムに鉄棒を入れました

ぶっちゃけ、運動会で逆上がりができるかどうかは
大した問題だとは考えていなかった
のです

私が重要だと考えていたのは
「子どもたちの主体性」でした
自分たちで発案した競技であれば
何でも良かったのです

子どもたちに取り組む動機があれば
あとは演出でどうとでもできます
プロの保育士なんですから

そしてそこから、鉄棒の練習が始まります

もっとすごい(?)ことをお伝えしましょう🤭

この時点で前回りができない子が1/3いました🤗

目標は逆上がりで、開始時点で前回りができない

そういえば、高3の春で偏差値30から東大合格を目指すマンガがありましたね

残念ながら、私は辣腕のカリスマ保育士ではありません
だって、私自身が逆上がりできませんから🤣🤣🤣

それでどうしたかというと
子どもたちに任せました

私は横で落下しないように見守るだけ
鉄棒を教えるのは、すでにできる子どもたちです
いや、できない子も教えてましたねw

「手をここにした方が良いんじゃない?」
「足をここで蹴ってみたら良いんじゃない?」
「もっとお腹をくっつけるんだよ」
「腕をぐって、ぐって曲げたまま!」

「うわぁ!今、めっちゃ惜しかった」
「できそう!できそう!!」

こうして、友だち同士のアドバイスにより
みるみると成長していく子どもたち
😮

なんて台本は無いわけで(笑)

運動会までに、ほぼ逆上がりができるようになった子が
クラスの半分くらいですかね
保育士のひざを蹴るなど、アシストがあればできる子が1/4
前回りなら何とか…という子がもう1/4といった感じでした

でも、3人から始まった状況を思えば
クラスの半分が自分で逆上がりができるようになったのです

これ、なかなかの成果だと思いますよ🌟

私は保育士として大事なのは
結果以外の成長を保護者にどう伝えるかだと思います

保育園には室内用の鉄棒がありましたから
毎日のように練習ができました
お迎えの時間になっても、子どもたちは鉄棒に取り組んでいます

全員が毎日取り組んでいたわけではないですが
子どもたちは着実に一歩一歩、自分の目標に向けて前進していました
ある日突然、逆上がりができるようになった子もいますし
とにかく前回りはできるようになろうと奮闘していた子もいます

保護者に知って欲しかったのは
「逆上がりができる」結果ではなく
「目標と向き合い続ける」努力の姿です

それと同時に子どもたちに伝えていたことがあります
運動会で取り組むのは、あくまで鉄棒
逆上がりではありません

「だから、運動会でやりたいことをやってね」
「その日に変えても良いし、手伝いが欲しければその時に言ってね」

保護者にも同様に伝えます
大事なのは、子どもが自分で選ぶこと
普段は逆上がりができるけれど
「今日は無理」と判断できるのも大事な力なのだと

実際、当日になって
「前回りにする」と言った子もいますし
「今日は手伝って」と耳打ちした子もいます

それでも、子どもの努力の足跡を知っているから
保護者はただただ我が子の姿を認めてくれるんです

私もなるべく毎日、保護者に経過をお伝えするようにしていましたが
誰より詳細に語っていたのは、他ならぬ子どもたちです

「今日、○○ちゃん惜しかったんだよ」
「ここまでは足が上がったの!」
「初めて前回りしたんだよ!すげーでしょ⁈」

本人を差し置いて、友だちの保護者に報告する子どもたち
友だちの成長が、我が事のように嬉しかったのでしょう

こういう姿も含めて
子どもたちの成長が保護者にも伝わっていったのだと思います

これだけ語り手が多いと
当然、本番でのサプライズなんて無理ですよねー

ー 広 告 ー

asoview!遊び予約・レジャーチケット購入サイト

“思い込み”を意識する。打破する!

日本で最初に行われた運動会は定説によれば1874年3月21日、東京海軍兵学寮(後の海軍兵学校)で行われた競闘遊戯会であるとされる

wWkipedia【運動会】より

日本式の運動会の始まりは、海軍の練兵が目的であったと言われています

つまりは、教育的な目的の行事ではなく
軍隊としての統率を身につけるために行われたものです

幼児教育の機関で、近代軍隊の練兵の模倣をしている
これって、子どもたちの成長とどうリンクしているのでしょうね?

私には運動会の意義が理解できません

生活発表会にしても
「日頃の子どもたちの園生活の様子を披露し
 保護者と子どもの成長を喜び合う」

のが目的と言われるのですが
日頃の子どもたちの様子を見てもらうのに
なぜ“練習”が必要になるのでしょうか

他にもいろいろな疑問があります
なぜ、運動会の最終競技はリレーなのでしょう
なぜ、リレーは対抗戦でなければならないのでしょう
なぜ、劇ごっこは一人一役出演するのでしょう
なぜ、人前に出たくない子が裏方で奮闘するのではいけないのでしょう

常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである
(Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen.)

Albert Einstein

ここで、再度アインシュタインの言葉です

運動会や発表会の“常識”には、エビデンスが不確かです
残念ながら、私が聞いた限りでは、上の疑問に答えられる人はいませんでした

「子どもの個性を認めていこう」
「これからは、多様性を尊重しよう」と言いながら
実際には均一性を求める大人が多数いるのです

工藤勇一先生(横浜創英中学・高等学校校長)は
誰一人として置き去りにしない社会をつくる」と仰っていました
それが“民主主義”であると

全員が参加しなければいけない行事
全員が成功しなければならない競技
全員が出演する発表会
全員が取り組まなければならない行事の練習

これ、「やりたくない」子の気持ちはどこで反映されていますか?

子どもにとって必要なものを
子どもにとって有益なものを
今一度、じっくり考えてもらいたいな
と私としては願うばかりです

ー 広 告 ー

お名前.com

「行事」はあくまで手段。やらなくったって良い

運動会にせよ、発表会にせよ
「行事」はあくまで手段です

やらなければならない必然性はありません

子どもたちの成長・発達を鑑みた時に
どんな経験が必要か
どんな環境ならばその力が如何なく発揮されるのか

それを精査した時に
「運動会という行事が合致するよね」
「メリット・デメリットを考慮しても、発表会が最善だよね」

という判断があるのならば
手段として実効的なものとなるでしょう

ただ「例年やっているから」というのでは
まったく意味がないですし
むしろデメリットばかりが際立つものになる恐れもあります

精査もせずに「昨年と同様で」というのは
1年分の更新を怠るということです
それが5回繰り返されれば
その保育園は5年分、時代に取り残されることになります
10年続けたら?
もうそれは、時代遅れの保育と言えるでしょう

私は、保育は子どもたちの生活力の基盤だと考えています
子どもたちの成人後、20年後を見据えて実行していくものです
「例年通り」という行事計画は
子どもたちを時代に取り残させようという思考だと思っています

「運動会・発表会」の前に大事にしたいこと

子どもたちに大事な環境と経験はなにか
保護者と共有したい子どもの成長は
そもそも保育の目的は
その目的に対して行事は有効な手段となっているか

保育士として、子どもを見守る大人として
忘れずに日々を過ごしたいと思うのです

行事が有ることを前提に保育を考えるよりも
子どもたちにとって必要なものとして
環境や行事の形態を考えられるようでありたいですね

ー 広 告 ー

“徹底的に添加物不使用”のお惣菜をご自宅に

コメント

タイトルとURLをコピーしました