“できるのにやらない”は、「できない」

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こんにゃちは、猫月です😸

子育てをしていると
「こんなこともできようになったの!」
「むずかしいことも頑張ってる~♪」
子どもの成長の喜びを多く感じますね🥰

でも、それと同じくらい
疑問戸惑い
時には苛立ちを感じることも…😅

子どもが自我の芽生えを迎えると
「大人と同じように」
いろいろなことをやりたがります

そして、少しずつ出来ることが増えていきます

そんな時期を過ごす中で
「やりたくなーいー😑」
「できないー😤」
「やってー😭」
という姿も出てくることも…

親としては
「やればできるでしょ?」
できるのにやらない💢」
「成長が戻っちゃった…💧」

と感じてしまうかも知れません

“やればできる”は、「できない」
と受け止めてみませんか?🤗

今回は
・「やればできる」って、どういうこと?
・「できる」って、どういうこと?
・「できる」の基準をどこに置くか
・大人だって、「できない」が当たり前

という内容でお話していきます。

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「やればできる」って、どういうこと?

大人が子どもに言いがちな言葉があります

「やればできる」
「できるのにやらない」

この”できる”は、誰基準の言葉でしょうか?

「やればできる」を大人に例えてみましょう

今日は子どもの誕生日🎂
腕を振るってショートケーキを焼きました✌

ふわふっわのスポンジケーキに
ホイップクリームでデコレーションをして
フルーツをふんだんに使って
立派なケーキができあがりました🥰

それを食べた子どもは
それはそれは喜んで満足そうです😊
そして、こう言いました

「明日も作って!」

……どうしますか?
明日も、作りますか?

「やればできる」
実際に行動する子どもの言葉ではありません
あくまで、周囲の大人の判断…願望だと思います

つまり、押し付けでしかないのです

先の例えで言えば
ケーキは作れる
つまり「やればできる」わけです

やればできることだからと
毎日家族から要求されるというのは
どう感じますか

意欲が涌きますか?
それとも……?

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「できる」って、どういうこと?

大人からすると、日常的で何てことの無い動作があります

着替えであったり
歯磨きであったり
排泄であったり

ただ、それはあくまで大人の立場だから言えること

子どもの立場からすると
ケーキを作るように
高いモチベーションと
多くのエネルギーが

必要なことなのかも知れません

子どもは
自分の身体ですら、まだ思い通りには動かせないのです

食べ物が口に入らずにこぼすのも
珍しいことではないでしょう?
ズボンをはく
シャツの裾を入れるなど
文化的な動作になると
それだけの体力や精神力を使わないと
できないことなのです

「やればできる」を前提として
子どもの生活に求めるならば
大人も同様に生活しなければなりません

相手に求めることは
自分も実践し続けて
初めて成立するのですから

毎日手間のかかる料理を作ったり
腹筋をシックスパックに仕上げたり
夜中のテレビ視聴をやめたり
晩酌を減らしたり…

考えるだけで苦しくなってきませんか?
でも「やればできる」ことですよね

ちょっと辛口に言うと
服を着る
食具を使う
トイレで排泄する
といった動作は
本来のヒトの行動ではありません

ホモ・サピエンスが誕生して十数万年といわれますが
その中で文明が誕生したのはおよそ1万年前
我々の歴史の中で
現在のような文化的な動作をするようになったのは
ごく最近です
ヒトという動物しては
不自然な動作なのです

だから、私たちの動作のほとんどは
「できない」が当たり前です
できないことを前提にしていないと
子育ては大人も子どもも相当苦しいことになります

大事なのは
くり返し経験を重ねて
頑張らなくても行えるようになることです

大人が歯磨きで頑張ることはないですよね
(二日酔いとかは別として🤢)
生活の中でくり返す中で
意識しなくてもできるようになってきたんです
最初からできていたわけじゃない
そこに立ち戻ってもらいたいな、と思います

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「できる」の基準をどこに置くか

「できる」って
どういうことを指すのでしょう

この「できる」の考え方
とても大事です

100点”できる”の基準にしてしまうと
親子とも苦しくなってしまいます😱

それは先ほどのケーキ作りのように
プロのような成果を毎日こなすようなものです💦
(もちろん、それを”日常”にしてしまえば
 苦では無くなるでしょうが
 そうなると他の日常生活を犠牲にすることになります)

私は、子どもを含め
ヒトの可能性は青天井だと考えているので
満点法で物事を捉えませんが
分かりやすい例えとして「100点を満点」としてお話していきます

大学や短大で学んだことのある方は
”優・良・可”(もしくは”A・B・C”)
成績を評定されたことがあると思います

80点以上が優
70点台が良
60点を取れれば可

という成績基準です

6割以上の評価がされていれば
単位がもらえたわけです

もう一つ例にすると
中学・高校生では
30点以下が赤点(補習や課題提出)でしたでしょうか

何をか言わんや

30%できていれば及第点ということです

100点満点を基準にしたとしても
60%できていれば
社会的には「十分にできている」ということです

mustは3割
more betterは6割
bestで8割
準社会人で、その基準です

では、
幼児にどの程度の「できる」を求めますか?
ということです

「3割はできて欲しいなぁ」と考えるならば
1週間の内、2日は自分でやってくれたら及第点なんです
3食の内、1食は自分で食べてくれたらバンザイ🙌なんです

1回できたんだから、ずっとやって欲しい
「やればできる」んだから

それは、現実的な大人としての願いではないと思います
妄想に近いです

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大人だって、「できない」が当たり前

「できる」を前提にした考えは
ヒトとして無理があるとお話ししました

それは、子どもだけでなく
大人も同じです

例えば、仕事を進める中で
その時は意欲もあり
条件や環境も整ったことで
理想的な結果を達成できたとします

だからといって
「やればできる」と
翌日も、翌週も、翌月も…と求められたら
それはかなり苦しい💦
というか「無理」というものです😭

仕事だけではありません
家事、育児、私事など
すべてにおいて言えることです

「やればできる」から「できる」のは
ロボットAI.の専売特許です
あれらは、電源さえあれば無尽蔵に頑張りますから

「やればできる」を要求する人は
思い遣りの無い人です

相手の立場に立っていませんし
そもそも自分の置かれた状況すら振り返っていませんから

私たちは
アンドロイドでもサイボーグでもないんです

「できる」は、ヒトの領分ではありません
「できるのにやらない」ではなく
「できるときだけやる」で良いのです

子どもも、大人も
できるときだけ頑張りましょう
その積み重ねが
いつか頑張らなくてもできるようになっていきますから

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