こんにゃちは、猫月です😺
先日、一冊の本と出逢いました
三宅香帆さんの
“「話が面白い人」は何をどう読んでいるのか”(新潮新書)
です
この本と出逢ったのは、大人のお泊まり会がきっかけでした
とある方から、
「どうして、そんなに面白く話せるんですか?」
と尋ねられたのです
面白い話……?
相手の興味に合わせて話題を提供する、というのは普段から心掛けていることです
ただ、どういう手法でと言われると──
どうしてるんだ???
お泊まり会の2日目、私たちは紀伊國屋書店へ行きました
そこで出逢ったのが、三宅さんの著書です
この本がとにかく面白い!
すでに影響されて2本の記事を書き上げていますが、
「おぉ!これって子育てにも関係するよね」
「保育の考え方にも通じるよね」
というコラムがふんだんなんです
先に謝っておきます。
今回は、面白い話の仕方のお話ではありません。
三宅さんの本が面白い!という話です。
三宅さんのコラムを読んでいると、知らない世界が、ぐいぐい手を引いてきます。
「メダリスト」「ダンジョン飯」「虎に翼」──もう読め、と誘われているかのよう。
何が私に刺さったのか。
どこが子育てや保育とつながったのか。
今日はそのへんを、つらつらと。
あなたも、三宅さんにつられて新しい世界の扉を開く…かもよ?!
息子であり、父であり、夫ではない男たち─『君たちはどう生きるか』
三宅さんは、『君たちはどう生きるか』(宮崎駿)を観たときに、
『街とその不確かな壁』(村上春樹)を思い出したそうです
両作品に共通するのは、“母がヒロイン”として描かれているのでは?という視点
そして彼女は、こんな考察をしています
日本の老いた男性たちは、「息子」であり「父」であるという自意識はあるのに、なぜか「夫」であるという自意識はすっぽりと抜け落ちているのだ。
「話が面白い人」は何をどう読んでいるのか
ここで、私が思い当たったことがひとつあります
保育園のままごとで、「父はいないことにされがち」という現象です
ままごとを見ていると、子どもたちは主に“母”をロールプレイします
赤ちゃんや兄姉、時には猫が登場して、母+猫が6匹……なんて家族を楽しんでいることすらある
でも──父の姿が、ない
もちろん、子どもたちはパパが大好きです
「パパと◯◯した♪」という話題は、日常的によく耳にします
それでも、遊びの中では父が消える
私はここに、ひとつの仮説を立ててみました
子どもが“母の立場”に立ったときに、母と父の関係が見えにくいのではないか──というものです
実際、子どもたちから聞こえてくる夫婦の関わりは、
「お酒飲んでばっかで怒られてた」とか、
「ママがごはんを作って、パパはパチンコに行ってる」とか
なんというか……“夫婦”が生活の中でどう関わっているのかが、子どもには見えにくい
私が保育園に勤め始めた頃と比べて、園に顔を見せるお父さんは増えました
保護者会や保育参加にもよくいらっしゃる
子育てに主体的な父親は、本当に増えたと思います
一方で、母との会話の中に出てくる“夫”像は、もしかするとあまり変わっていないのかもしれません
「子どもとは遊んでくれるんですけど…」
「休日に私だけの時間はくれるんですけど…」
──なんとも歯切れが良くありませんね
「夫婦の関係なんて、保育士には話さなくて当然ですよ」と思われるでしょうか
まぁ、確かにそうかもしれませんね
でも、「子育てにも家事にも協力的だけれど、やっぱり夫には不満がある!」という声は、耳にするんですよねぇ
三宅さんの考察を読んだとき、私はこう思ってしまいました
良き父は増えているのに、夫に不満のある母の声が減らないのは、
男性の根っこに“息子”であり“父”である自意識はあっても、“夫”の自意識が薄いからなのかもしれない、と
昔、“妻が嫌がる夫の家事”として「料理」が挙がると聞いたことがあります
理由は、
「自分が作りたい材料を買ってくる」
「冷蔵庫の中を使わない」
「キッチンを乱す」
「作ってやった感を出す」
……耳の痛い話ですね
私自身も若い頃、妻に「子どもと一緒に過ごしてるから、たまには友だちと遊んでくれば」と声を掛けたことがあります
その時は激怒されました
『休日にしたいのは友だちと遊ぶことじゃない!!』
気遣っているつもりで、相手の希望には寄り添えていなかったんですね
“夫”としての自意識を、どう持てば良いのかは未だに五里霧中です
それでも家族の中で、“父”として、“夫”として、為すべきことを探り続ける必要がある
……三宅さんのコラムは、そんなことまで思い出させてくれました
ケアの倫理の物語─『ダンジョン飯』
三宅さんが紹介する『ダンジョン飯』(九井諒子/KADOKAWA)は、
ただのファンタジーグルメ漫画を超えて、
“ケア”の物語として取り上げられていました
どんなに強い勇者でも、ご飯を食べないと戦えないよね?
──つまり、戦いの前に「整える」「支える」が必要なんだよね、という話です
三宅さんは『ダンジョン飯』と併せて、
『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』(カトリーン・キラス゠マルサル/河出書房新社)も挙げていました
アダム・スミスは経済を、
「肉屋は肉を売ってお金を得たい」
「客は肉を買ってステーキを食べたい」
お互いが自分の欲望に忠実に動くからこそ、契約が成り立つ
──そんなふうに説明しました
……でも、ここで一つ、抜け落ちるものがあります
買った肉を、実際に「食べられる」形にするためには、肉を焼く人が必要です
つまり、ケアをする人が必要なのです
経済学では、人間は基本的に「利己的な欲望」をもとに動く、とされます
でも人間は、ときに「倫理的な義務」によってケアをします。しかも無償で
経済が実際に回るには、どこかで誰かがケアを担っているからです
ここで私は考えました──
保育(福祉)は、エッセンシャル・ワークです
社会の中で、職業として“ケア”を担っています
それなのに、経済システムの中では、ケアは「ないもの」扱いになりやすい
要は、価値として見えにくい
だからこそ、重要な存在でありながら、対価が低い──
それは、システムの重大なエラーとも言えるのではないかと思うのです
話が少々逸れますが、
私はリベシティというオンラインコミュニティに参加しています
主催者の両学長が話していたのが、こんなことです
「知らなければ400万円損するところを、学んで回避できたら? 実質、400万円得したのと同じ」
「でも人は、“回避できた損”を、なかなか得だと考えてくれない」
これ、エッセンシャル・ワーカーのケアも同じだと思うんですよね
保育園が子どもを保育することで、経済的損失を防いでいるはずなんです
それは保護者にとっても、雇用する企業にとっても、実質的な利益になっている
でも、その利益は「見えにくい」し、「得」としては認識されにくい
保育園によるケアは、本当に無償ですか?
経済システムの中で、“ないもの”なのでしょうか
肉を焼く人がいるから、あなたはご飯を食べられることを、
どうか、覚えておいてほしいと願います
「はて?」「なぜ?」が求められている─連続テレビ小説『虎に翼』
私は、子どもや後輩に何か尋ねるとき、よく「なした?」を使います
「なぜ?」「どうして?」は標準語ですが、なんとなく詰問調に感じられると思うのです
ただでさえ、男性というだけで威圧感がありますしね
「なした?」「なして?」は、単純な興味としての質問に聞こえやすい
だから私は、この言葉に助けられています
三宅さんは、連続テレビ小説『虎に翼』が大好きだとコラムに綴っています
なぜ好きかというと、
「このドラマの根幹が、寅子の『はて?』に耳を傾ける場面から始まるからだ」
──というのです
主人公の寅子は、日本人女性としての法曹界のパイオニア、三淵嘉子さんをモデルとした人物
女性初の弁護士・判事・裁判所長を務めた、いわば“質問のエキスパート”です
寅子は、疑問に対して「はて?」を差し出します
その言葉は、責めるでも批評するでもなく、“問いを設定する”スイッチなんですね
保育の中でも、
「なぜ、こうなったの?」
「どうして、こうしたの?」
という問いは日常的にあります
ただ、それが単純な疑問だったとしても、大人から子どもに向けて発せられた瞬間、そこにはどうしても力関係が生まれてしまう
「これは単純な疑問なんだけど…」と前置きするのは、ちょっと長い
そこで私が活用しているのが、「なした?」「なして?」なのです
ところで、三宅さんのコラムを読んだあと、ひとつ気づいたことがあります
同僚と意見を交わしているとき、私がふつうに「はて?」と言っていたのです
「なして?」は、昔話のおばあちゃんからヒントを得ましたが、
「はて?」も同じように影響されていたのかもしれません
おじさんとして子どもと接すると、やっぱり重圧感が出てしまうので、理想はおばあちゃんだと思うんですよねー
一方で、子どもに厳しい態度で臨むこともあります
その場合、私は子どもに敬語を使います
それだけで子どもは、
「あ、これは真剣な話だ…」
と気づいてくれる
「なした?」と尋ねられるのと、
「どうしました?」と尋ねられるのは、やっぱり雰囲気が違いますよね
寅子の「はて?」を参考にしつつ、これからもコミュニケーションスキルは、常に研鑽していく必要がある
そんなふうに感じたのでした
きっとあなたにも、「はて?」や「なした?」のように、相手の心を開く“カギ”になる言葉があるはずです
🎯“「話が面白い人」は何をどう読んでいるのか”
三宅さんのコラムは、ただ「書籍を読んだ感想」を綴っているのとは違います
彼女は、作品をこんな視点で語っています
<比較> 他の作品と比べる
<抽象> テーマを言葉にする
<発見> 書かれていないものを見つける
<流行> 時代の共通点として語る
<不易> 普遍的なテーマとして語る
何かの作品に触れたとき、
「あ、ここってあれと似ている」とか、
「この作者が言いたかったことはこれかな?」
と感じることがありますよね
三宅さんは、その“なんとなく”を、より構造的に考察して言葉にしていきます
だからレビューを読んでいると、
「あぁ!確かにあの作品と似てる」
「そうか、だから面白いんだ!」
と、具体的な面白みが押し寄せてきます
私は「メダリスト」という作品の名前だけは知っていました
サブスクのリストにも入れていたけれど、実際の視聴はまだだったんです
でも、三宅さんのコラムを読んだその日のうちにシーズン1を踏破
気づけば、1週間で4周視聴していました
自分が好きなものや“推し”を誰かと共有したいのに、なかなか伝わらないもどかしさを感じたことはありませんか?
三宅さんの『“「話が面白い人」は何をどう読んでいるのか”』を参考にすると、あなたが感じている面白みを、友人や家族と共有できるようになるかもしれません
少なくとも、彼女のレビューで私の世界は広がりました
「本が読みたくなる」本
自分を拓きたいあなたへ、おすすめします
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