心のままに”選ぶ”大人になる

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女性が悩んでいる背景の上にタイトルが書かれている。三宅香帆さんの著書『「話が面白い人」は何をどう読んでいるのか』からの引用を記している 保育の考え方と指針

こんにゃちは、猫月です😺

三宅香帆さんの
“「話が面白い人」は何をどう読んでいるのか”(新潮新書)
を読んでいたら、
ドラマ『こっちを向いてよ向井くん』(日本テレビ系列) を考察した、
面白いコラムが載っていました

主人公の向井くんは、
仕事もできるし、人当たりもいい
いわゆる“非モテ”ではないのに、
なぜか恋愛から10年ほど遠ざかっている──

これ、笑えるようで、笑ってていいのか?
って話だと思うんです

三宅さんは向井くんを
「欲望する主体になれない」
と読み解きます
(※三宅香帆さんのnoteより)

選択肢を広く持ちながら、
それを”選択する”練習不足なのだと──

じゃあ、子どもを
“向井くん化”させないために、
大人はどう関われるのか
今日はそれを、猫月目線で考えてみたいと思います
(ええ、そうです。『メダリスト』に続いて、
 影響された記事です🤭)

まずは、三宅さんによる向井くんの考察を
振り返っていきましょう

向井くんは「仕事デキ」
つまり、周囲からの評価は高いのです

それはなぜかというと、
先輩・後輩・周囲の男性──
“社会がそれっぽく提示する欲望”を、
素直にトレースできてしまうからです

たとえば、憧れの会社の先輩が
「いい時計を買って、
 家族を守っていく覚悟を決めるんだ」
と言ったら、それに倣って時計を買う

「今は仕事を頑張る時期だから、
 彼女とか少しくらい我慢してもらえば」
と言われれば、
彼女との旅行よりも、仕事を優先する

ちょっとライバル視している後輩が
「あの子可愛いですよね、狙おうかな」
と言った女性のことを、意識し始める

周囲の価値観に合わせられるから、
会社の中での評価は高くなる
ここまでは、むしろ”うまくやれている人”です

でも、恋愛においては?

向井くんは
「周りにどう思われるか」を
第一に考えてしまう
「好きだから」ではなく、
周囲の目で判断しようとする

そんな向井くんを、三宅さんは
「“欲望する主体”になれない男子」
と例えていました
そして、

と、綴っています

この向井くん評を読んで、
私はとある場面に思いがよぎりました
──保育園です

保育士が求める“正解”を、
無意識に求めてはいないか…

「向井くんを養成していないか?」

そんな危惧が、燻ったのです

では、
「欲しいものを手に入れるために
 自ら動く主体になる」
とは、どういうことなのか、
一緒に考えてみましょう

・勉強した方がいい
・いろいろなことを経験した方がいい
・資格を取った方がいい
・人脈を広げた方がいい

全部とは言わないまでも、あなたも似たようなことを言われたことはありませんか?

これらはどれも、
「選択肢を広げる」という考えに根付いています
言い換えるなら、
『やりたいことが見つかった時に、
 それを選べるように
 今のうちに備えておきなさい』
という、一見ありがたいアドバイスです

一方で三宅さんは、
「選ぶ」という行為は、
同時に「選択肢を絞る」ことでもある──
と書いていました
そして向井くんは、
自分で「選択肢を絞る」という経験が不足している、とも

ここで、保育の話をします

ある同僚は、遊びの前に子どもたちを一同に座らせ、
「今日は◯◯をします」
と、遊び方を逐一説明していました

自由に遊ばせてみては?という私に、彼女はこう答えます
「遊びの選択肢を増やすことが、子どもの遊びの幅を広げるから」と

そのレクチャーは毎日30分以上
さて、子どもたちの選択肢は本当に増えたのでしょうか?

2年後、彼らは年長児になりました
けれど私が見た限り、
同僚が伝えた遊びを実践している姿は、
ほとんど見かけませんでした

一度、保育の補助に入った際に、
「◯◯ってやったことあるよね?」
と尋ねてみましたが……
まぁ、子どもの回答は想像してみてください(苦笑)

ここで私が言いたいのは、
“教えた”ことと、
“選べる”ようになることとは、
別だということです

私はよく、選択肢を調理器具に例えます

さて、あなたはどうしますか?

この問いかけをすると、多くの人は回答に窮します
なぜなら、選択肢が足りないからです

ペティナイフでブリをおろすのは困難です
刺身包丁なり、出刃包丁なり、
適した道具を持ってくる必要がある
つまり、適した“選択肢”が必要なのです

「選択肢を広げる」というのは、
持っている道具を増やすこと
でも、その道具を適宜に選ぶには、
別の経験が要ります

それが、“動機”に合わせて「選ぶ」経験です

先の同僚は、
遊びの選択肢を子どもに与えたかもしれません
けれど「自分で遊びを選ぶ」機会は、
十分に設けてきませんでした
重要なのは、選択肢の数よりも、
“動機”のほうなのです

動機とは、
「今、自分がしたいこと/避けたいこと」
という内側から湧く理由です

向井くんも、選択肢は多く持っていました
けれど「自分の動機に適切な」選択をする経験が
不足していました
先輩や後輩の動機に沿ってきたからです

選択肢を「広げる」だけでは、
片手落ちなんです
動機に合わせて「絞る」ことも、
あわせて学ぶ必要があるのです

これが、
「欲しいものを手に入れるために
 自ら動く主体になる」
ということです

だから、保育で「子どもの主体性」が尊ばれる
向井くんを通しても、頷ける話ですよね

では、主体性を発揮する経験は、
どのような環境で得られるのか
保育の視点で考えてみましょう

実のところ、“主体性”というものは、
生まれつき持っているものです
子どもの姿を見ているとわかりますが、
乳児期からヒトは
「見たい」「触れたい」「口にしたい」
と、自分の思いのままに行動します

ところが、それは成長とともに
徐々に抑制されていく
社会で生きていくということは、
誰かの主体性と、誰かの主体性が、
カチ合ってしまうこともあるからです

ここで理想なのは、抑制が
「こうした方が、お互いにとって良いよね」
という“自分で考えたもの”として育つこと


逆に、周囲からの強制だけで抑え込まれると、
「周りにどう思われるか」を優先する癖がつきやすくなる
つまり、“向井くん化”に傾いていってしまうんです

この「自分で考えた」が、
選択をするということですよね
自分の思いを通すのか、
相手との折り合いを大事にするのか
場面や環境、条件に合わせて考える

子どもが自分で、
選ぶ、行動する、振り返る
用語臭く言えば
「PDCAサイクル」だとか「OODAループ」だとか、
まぁそういうことなんですけど

もっとシンプルに言うなら、
思った通りに、まずやってみる!

それが結果として、
「欲しいものを手に入れるために
 自ら動く主体になる」
につながっていくのだと思います

では、大人はそんな子どもの姿を、
どう保障していけば良いのでしょう

私はもう、単純にこれだと思っています
「子どもの“選択”を尊重する」

ただし、ひとつだけ誤解されたくないのは、
尊重と放置は、異なるものだということです

子どもの選択に、大人によるアシストは欲しい
場面・状況・環境・相手──いろんな条件の中で、
「今はこういう状況だけど、
 あなたはどう考える?」
という問い掛けは必要です
そして、思った通りに行かなかったときに、
リカバリーできる援助も大事です

大人からすると、
「それ、うまくいかないよ」
「面倒なことになるよ」
と思ってしまう行動も、
子どもにとっては“自分で考えた”選択です

だからまずは、受け止める
「あなたはそう思ったんだね」
「なら、思い切りやってみな!」
と、ドンっと見守る

“転ばぬ先の杖”よりも、
“七転び八起き”できる環境を用意したいのです

それこそ『メダリスト』の司コーチみたいに、
「どんな選択でも、成功に繋げる!」
くらい言えたら格好いいですけどね👍

たびたび引用していますけど、
作業療法士が言っていた
「その子がやりたい遊びが、
 その時の成長に一番必要な遊び」
が、とてもしっくりきます

子どものその瞬間の選択は、
その子の成長に一番重要な選択なんです

大人からすると
「んっ、んんっっ?!」
と思う選択でも、
まずはグッと堪えて見守る
そして、起こったことはいくらでもフォローする!

・失敗してもやり直せるように、材料や場を整える
・揉めたら、関係が修復できるよう一緒に言葉を探す
・うまくいかなかった時は、「次どうする?」を一緒に考える
この姿勢でいる方が、
結果として子どもも大人もハッピーになる
私はそう思っています

「小1プロブレム」という言葉はご存知ですか?

就学直後の1年生が、
学校生活の変化に適応できず、
落ち着かない状態が数か月続くことを指します
たとえば、集団行動がとれない、
授業中に座っていられない、話を聞かない、
などといった状態です

・授業中に立ち歩く
・教師の話を聞かない
・席に座っていられない
・おしゃべりやふざけが続く
こうした様子がクラス全体に影響することもあります…

ここだけを見ると、
「問題行動を起こす子どもは困る」
「幼保の“主体性”尊重が、わがままにさせるんだ」
という声が出てくるのも、たしかにわかります

でも、ここに疑問を呈する専門家がいます
工藤勇一さん(元千代田区立麹町中学校長)です

工藤さんは、
授業中に座っていられず立ち歩いてしまうような状態が
「小1プロブレム」と呼ばれることで、
子どもに問題があるかのように見えるけれど、
実は大人が“問題だ”と定義するから問題になる、
と述べています

つまり論点は、
「落ち着かない子」ではなく、
それを“問題”として扱う大人側の前提にあるのだと

「静かに座って先生の話を聞き続けるのが当たり前」
「それができないのは、本人(や幼・保)のせい」
この前提が強いほど、
子どもの自然な姿が、ズレとして炙り出されます

そしてこの言葉が広まることで、保育園側でも
・座っていられるように
・話が聞けるように
・指示に従えるように
・集団で行動できるように
が、いつの間にか“正解”として強化されていく

でも、立ち止まって、子どもを見つめて欲しいのです
小学生でも難しい行動を、
保育の専門家が、幼児に前倒しで求めるのか?と

私には、「小1プロブレム」は、
子どもの問題というより、
大人が抱えた問題の顕在化に見えます

要は、“向井くん化”こそ是──
「周りにどう思われるかを優先して、とにかく型に合わせる」
そんな方向を“良いこと”としすぎた結果、
子どもの実態(=ヒトの本質)とズレてしまった

幼児の育ちを見守る大人として、
今一度、振り返ってみましょう

「小1プロブレム」は、何が”問題”なのでしょうか?

どこからともなく、声が聞こえる気がします……

──と、私の脳に直接語り掛けてくる声が🧠⚡️

……うん、わかりますよ
私だって、先輩たちから「言うことを聞かせろ」と
暗に求められることは多いですからね

工藤勇一さんは、
『子どもたちに民主主義を教えよう』の中で、
教育者自身が民主主義を経験していない、
という主旨を述べています

ここで私は、こう思ってしまうのです。
実は、保育士や教師自身が、
“向井くん”になってはいないか?と

私がブログで書いていることの多くは、
職場の研修で学んできたことです
だから、私の先輩や同僚も、
知識としては持っています

つまり、「選択肢の広がり」自体は、
同じはずなんです

でも、実践まで結びつくかというと…
研修を受けた全員が
現場に還元するのは、難しい

もちろん、獲得した知識を「使わない」
という選択肢もあります
ただ実際には、「常識」とか「周囲の目」とか、
そういうものに阻まれている──
それも確かなのではないでしょうか

私の保育を
「新しいもの好き」と言う先輩がいます
でも、たとえばアドラー心理学なんて、
創始は約100年前……
全然“新しく”ないですよね(笑)

私の判断基準は、ただ一つ。
「より効率的かどうか」です

子どもの貴重な時間が、
より活きる方法を選びたい
それだけです

『こっちを向いてよ向井くん』は恋愛ドラマです
そこそこモテる向井くんが、
自分の恋愛と向き合いながら、
「誰を選ぶのか」
「どう関係性を築くのか」
主体的に選択していく物語でした

あなたの人生において、
子どもとどう関わっていくのかも、
また”選択”です

周囲の価値観を優先するのか
自分の理想を優先するのか
それを判断するのは、あなた自身です

子どもの選択を尊重するように、
あなたの選択も、尊重されるべきものです

そして何より、
あなたの選択をいちばん尊重できるのは、
あなた自身です

今日、ひとつだけでもいい
「私はこっちを選びたい」と、
自分の心を基準に決めてみませんか

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