同僚との関りで考えていること

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みんなのQ&A

こんにゃちは、猫月です😸

仕事をしていく上で
職場での人間関係というのは
労働環境としても重要ではないでしょうか

私は割とドライな感覚ですが
それでも人間関係ではアレコレ考えます

ただ、考え過ぎると
仕事に支障も来しますよねぇ

人間関係に悩み過ぎて
業務が停滞したら本末転倒ですから

とは言えですよ

適度な距離感というのも
なかなか難しいですよねー

今回は、同僚との関りの話です
参考になるかはわかりませんが
私が職場で考えていることをお話しします

まずは、心理学的な話題から始めましょう

アドラー心理学を学んだ際に
【人生で取り組むべき課題】
というものがありました

「仕事」の課題
「交友」の課題
「愛」の課題
の3つです

関係性として
「仕事」が最も易しく
「愛」が最も難しくなります

まずはそれぞれについて説明しましょう

仕事の課題は
生産活動の課題でもあります

特徴としては
自分でコミュニティを選択できることです
会社や学校、地域などですね

コミュニティの中で人間関係に支障があった場合
自分の判断で関係を断つことができます

コミュニティへの貢献には
知識や技術、経験があれば可能です

ある意味では
ビジネスライクな関係で取り組める課題です

交友の課題

友人、知人などとの関わりの課題ですね

仕事の課題と異なるところは
関係性に相手の意識も含まれるため
自分の意思だけでは関係が構築できないことです

例えば
誰かと親しくしたいと思った場合
相手の同意もあって成立しますよね

一方で、相手との関係を断ちたいと思っても
共通の友人などがいた場合
完全に関係を断つのは難しいですね

同様に、友だちA・Bと仲が良かったとしても
A・B同士はいがみ合っている場合もあるわけです
「ふたりに仲良くして欲しい」と願っても
自分の意思で関係性が良好になることは難しいのです

愛の課題

家族と性の課題とも言われます

親子や兄弟関係など
自分ではそのコミュニティを選択することが
極めて難しいです

夫婦だけであれば
婚姻関係を結ぶこともできますし
離婚するなどで関係を断つこともできますが

子どもがいた場合は
生涯に渡ってその関係性が残るわけです

一方で「子どもがいるから離婚しない」というと
「子どもがいるから離婚できない」と
夫婦の責任を子どもに背負わせることにもなります

それだけに、維持も分離も
最も難しい課題と言われます

また、親子間で因縁が起こった場合
例えば死別したとしても
その問題が無くならない場合も多いです

DVなど、離れた後にも振り解けないものもあります

また、良好な関係を持続させるには
関わる全員の努力が必要です

仕事の課題と交友の課題

アドラー心理学では
仕事の課題と交友の課題は分離されていますが

日本人は、仕事と交友を兼ねがちとも言われます

仕事の人間関係が
そのまま交友に繋がっている場合ですね

例えば
休日に仕事仲間とゴルフや釣りに行く
毎日のように仕事後に飲みに行く

私たちの親世代だと
珍しいことではありません

私も就職してすぐは
まだ飲みニュケーションという言葉がありました

仕事仲間が友人になることは
善いことでもありますが

一方では
仕事がプライバシーに影響したり
交友が仕事に影響したりといった
負の側面もあります

例えば「友だち価格」などですね
友人だったとしても
仕事の価値に見合った報酬を支払うのが本来です
ですが、交友関係を理由に
仕事の報酬を割り引けと言うのは
公私混同というものです

この仕事と交友の曖昧さから
職場での人間関係が
プライバシーにも大きく関わると
上司や同僚との関りが苦しくなってきます

では、
仕事は仕事
交友は交友と
割り切るためにはどうしましょうか

私が職場で大事にしていることは
「空気は読まない」です

私は空気が読めるタイプらしいのですが
空気を読むと、正直疲れます
仕事への集中が削がれるのです

だから、空気読みを求められても
敢えて空気を読みません

仕事ですから重要なのは
誰がやっても同様の結果を出せることです

空気読みは個人に依ったスキルです
人によってバラつきが出てしまうということ
それでは、一定水準の成果は出しづらいですよね

職場におけるコミュニケーションで大事なのは
誰に伝えても伝わる表現です

言葉であっても、資料であっても
誰が耳にしても、誰が目にしても
全員が理解できることが必要最低限です

そこを、特定の人間が
空気読みで対応してしまうと
必要最低限の基準が崩れるのです

それともうひとつ
うちの師匠も話していましたが
「職場は友だちごっこの場じゃない」ですね

ドライな言い方になりますが
職場の人間関係は時限的です

少なくとも、職場を一歩出れば
園長も主任も一般人です
職場から出ても肩書で関わる人は
公私混同しているだけです
社会人としては、恥ずかしい振る舞いです💧

残念ながら、勘違いしている人もいますが…

退職や転職、異動など
人事で関係性が変わるのです

それに、どんな偉い人だって
私の人生の責任は取ってくれません

空気読みに勤しんで
先輩や上司に気に入られたとして
その結果自分の心身が弱ったときに
職場は責任を取ってはくれないのです
すべては、私自身に返ってきます

何故なら、空気読みをしたのは自分だから

空気読みは、独り相撲です
合ってるかどうかもわからないものに神経を使います
相撲のように組む相手がいれば
身体を預けることもできますが
独り相撲はすべてを自分で行います
見せかけだけの相撲をね?

それって、楽しいですか?
意義はありますか?
何かに繋がりますか?

私は言語化された業務だけを遂行します
誰にでもできる仕事を
誰にでもできるような成果を残すのです

空気を読みたくなるのは
気に入られたいという欲があるから
嫌われたくないという願望があるから

でも、私は仕事をしに出勤しているのです

敢えて波風を立てることもしませんが
気に入られようともしません

職場での評価は仕事で得る
仕事で成果を出すから
給与をもらえるのですしね

空気を読むことが仕事に差し支えるのだから
空気は読む優先順位は極めて低い

空気は読みません
読めたとしても
敢えて読まないのです

意見がぶつかったときはどうするか

空気は読まない私ですが
意見がぶつかったときはどうするか

ちょっと図にしてみました

同僚と意見が異なる場合。平行線でも意見をまとめる必要があります

仕事の進め方で意見が食い違った場合
話し合いの中で
どちらかの案にするか
折衷案にしていくか
新たな案を作るか
そうなるのが理想ではあります

でも、時間も限られる中で
そんなに理想的にはいかないことも多いです

では、どうするか?
私は相手の案に乗ってしまいます

同僚の案に乗ってみる。大事なのは行動し始めることなので

話し合いに終始して
結論が出ないと時間ばかりが過ぎてしまいます

それでは、仕事が停滞してしまうので
優先するのはとにかく行動することです

相手の案にデメリットが見えていても
やってみながら修正していくことで
業務の結果が求められることもあるのです

自分の意見にこだわっていると
一番大事な、仕事の成果も手放しかねませんからね

仕事をやってみながら修正します。

実行しながら修正していくわけですが

ん?この図だと
同僚案がズレていってますね?

ここが私の太々しさでw

相手の案に乗りつつ
自分の案に寄せていきます(笑)

もちろん、同僚案のメリットで
最大の成果が出せるならそれで良い
無理に修正するのは無駄な労力ですからね

ただ、最初の話し合いの時点で
自分の案にメリットを感じ
相手の案にデメリットを感じていたから
結論が出なかったんですよね

会議というのは
案のメリット・デメリットを精査して
より目的に合致しつつ
メリット>デメリットな方法を見出す場です

ところが、個人の沽券のために
本来の精査が横に置かれてしまうことが
悲しいかな往々にしてあります

それはもう、感情の話ですから
論理的に説明しても変えるのは難しいです

ならば
いっそ、相手の意見を尊重して
まずはその感情の部分をクリアにしてから
顔は笑って、内心は👅を出しつつ
軌道修正していった方が効率的だと思いません?

私はこういうところは
コストパフォーマンス重視です
悪く言えば、打算的
だって、話し合ってる時間が無駄に感じるんですもの

意見の正しさなんてどーでも良い
重要なのは、子どもの成長を妨げないこと

大人がチンタラしている間に
子どもは日々成長しているんです
亀より遅い会議なんてしていたら
子どもにとって機会損失です

だから、会議はできるだけ早く収集をつける
行動して、修正して
できるだけ最善の形に変えていく

どうせBestはない
more Betterを探っていくのみなのですから

そのかわり
頭は人よりフル回転です
持っている知識は全部使う
目の前の保育を分析して臨機応変
加えて、言語化して同僚に伝える
空気は読まない、なら読ませもしない

そういう努力は、惜しまないようにしないとね😉

保育者と言えど
組織で働いて給料をもらっているのですから
要はサラリーマンです

組織に利益をもたらすことに
職員としての価値があります

保育士なんだから
質の高い保育をすることに価値があるんでしょ?

それはそうですが
独り善がりな保育をして
それがどんなに質の高い保育だったとしても
組織の方針にコミットしていなければ
評価はされません

保育の質を高めることも重要ですが
それと同時並行に
組織の求める保育をして
組織の成果にコミットすることも重要なのです

組織の方針と
自分の保育の方針が合わない
その場合は組織を出るのが最良です
給料を支払ってくれる組織に対して
自分はコミットできない、したくないわけですから

私は、このブログに於いて
保育の方法や実践についてお話ししていますが
あくまで組織の求める成果に根差してのものです
“異端児”を自称していますが
“反逆児”でも“革命児”でもありません

だから、常に転職を検討しているのですけれどね

自分がより咲ける場所があるならば
そちらへ移る方が
私のためでもあり
組織のためでもあると考えるからです

どんな考えが自分の中にあろうとも
組織に所属し続ける限りは
その組織の成果に貢献するのが社会人です

だから、顔では笑いつつ
心では👅を出すこともあるし
苦虫を嚙み潰しながら仕事をすることだってあります

自分のやりたいことを優先して
組織の成果をふいにしてしまうのは
ただの我がままですからね

だから、職場での人間関係も
自分が無理のない程度には頑張りますよ

会議の前に甘いものを配ったり
時々、菓子を手作りしていったり
倉庫の整理をしたり
掃除機の掃除をしたり

おべっかを言うのは苦手ですが
他の方法で同僚の気分を良くして
結果として自分のやりたいことができるように
それくらいの種蒔はしているつもりです🌱

パレートの法則というものがあります

ヴィルフレド・パレートはイタリアの経済学者ですが

経済において
全体の数値の大部分は
全体を構成するうちの一部の要素が
生み出していると考えました

これが不思議と
人間関係にも当てはまるのです

自分の身の回りの人間関係で
2割は友好的で
6割は中立で
2割は敵対的となる

敵対的な人と関係を断っても
残った人間関係の中から2割は
敵対的な関係となるというものです

だから、敵対的な2割の人に目を向けるより
友好的な2割の人を大事にしましょうよ
というのが
よく耳にする話なのですが

私が思うに
職場の人間関係においては
友好的な人と
苦手な人がいたとして

友好的な人は、自然と友好的なわけです
であれば、その関係には甘えつつ
苦手な人を「どうでもいい」と思える
それが大事なのではないでしょうか

マザー・テレサの言葉に
「愛の反対は憎悪ではない、無関心である」
というものがありますが

敵対的と思うから
苦しくなるし悩ましい
ならば、いっそ関心から外してしまっては?
と思うのです

合わないものは会わないと割り切る
だからいちいち気にしない
「あ、合いませんでしたね(笑)」と
心中で薄ら笑いして終わりにしてしまう

自分の仕事が評価されなかったとしても
「ふふ…この仕事がうまく行ったのは私の力」
と自画自賛でほくそ笑む

職場の関係は時限的
そして職場は私の人生の責任を負ってくれない
組織人としての職責は果たす
同時に人間関係はあくまでビジネスライクに

だって、ビジネスなんですから

とはいえ人間ですから
そこまで割り切れるかは個人にもよるでしょう

なんだかんだと理屈はあっても
ヒトは主観的で
感情で生きているものですからね

ただ、仕事とプライベートには線を引く
見えない線を、自分の目には見えるようにする
それだけでも気持ちが軽くなるのではないでしょうか

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