こんにゃちは、猫月です😺
いつもお世話になっている”保育塾”のうちさんが
Xで面白いポストをされていました
「保育を辛くしないためのプチワーク」と題して、
現在(2026年1月時点)8本のシチュエーションが挙げられています
私もXで自分の考え方を答えているのですが、
ブログの方で掘り下げていきたいと思います
と、その前に 私の保育や子どもとの関わり方の前提となる、「考え方」をまとめておきましょう
今回は、プチワークに取り組んでいく前段階のお話です
猫月の「保育を考える前提」
私が保育を考えるとき、軸にしているのは次の3つです
・保育の主役は子ども
・保育士はあくまで“支援者”
・大事なのは、子どもの中に“動機”が湧くこと
保育園は、子どもが最初に所属するコミュニティ
子どもたちが社会をつくっていく場所だからこそ、
「子どもにとっての最善」を置き去りにしないようにしたいです
だから私は、子どもの姿を見るときにいつも
「もし、ここに大人がいなかったらどうするだろう?」
と想像します
大人がいるから起きている行動は、案外あるものです
そして私は、できるだけ“支援者”に徹します
子どもは大樹のように伸びていく力を持っている
途中で引っかかるものが出てきたら、どける/避け方を知らせる
——それが大人の役割だと思っています
工藤勇一さんも
「子どもが勝手に育っていくことをどうやってサポートするか」
と話されています
だから鍵になるのは、“やらせる”ではなく“やろうと思える”こと
「こうした方が心地いい」
「このルールを守ると安全だ」
と体感できる経験が積み重なると、動機は内側から育っていきます
「大人の都合」が先立っていないか
これは子どものため? それとも、大人の都合?
私は問い掛けます
保育の正解はひとつじゃない
だから私は「そのやり方は、子どもにとっての最善か?」を自問します
たとえば──給食前の“全員でいただきます”
感謝は大事ですが、全員が揃って食べ始める場面って、社会人になってからありますかね
幼児が目の前の食事を我慢して待つことは、子どもが中心と言えるでしょうか
「小学校で必要だから」と言われることもありますが、
それは小学校の都合であって、保育園での目的とは別です
社会で使わない待ち方にリソースを割くより、子どもが気持ちよく食べられる環境を整える
私はそこに力を使いたいのです
保育が大事にするのは、子どもの20年後
保育園で身につけるのは「自立する力」です
「生活する力」といっても良い
よく「小学校へ行ったら困る」という言葉を聞きますが、
それは小学校が取り組む課題です
その年齢・発達段階だからこそ向き合えるもの──
保育士が背負いすぎると、子どもの”今”が置き去りになってしまいます
保育士が目指すのは、「自分で食べていける大人になる」基礎を築くことです
保育の成果が現れるのは、子どもが成人した後です
工藤さんも
「その子が自分に感謝してくれなくても、その子が一人で生きていくための環境づくりができればいい」と仰っています
今を見つめつつ、子どもが成人した時を想定して保育を考える
それを保育の芯として、毎日子どもと向き合っていきたいですね
🎯選択のミスはある、でも考え方は間違えない
保育士も人間ですから、ミスを起こすことはあります
・身支度が滞った
・遊びがすぐに飽きてしまった
・声掛けで泣かれてしまった
……日常茶飯事ですよね
でも、それは手段を誤っただけの話
選び直せば、リカバリーできる!
ただ、保育の考え方を間違えると、
どんな方法を選んでも、子どもの成長を邪魔してしまいます
保育に頭を悩ます中で、「子どもにとっての最善」を目指すことが、何よりも大事です
この#0を前提に、私の保育の組み立て方をお話ししていきます
次回は、
“「片付けましょう」と言わずに、子どもが片付け始める声のかけ方・環境づくり”
を考えてみましょう
▶️ 記事中でも参照した工藤勇一さんと岡田武史さんの対談です

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