猫月のクラスの給食の話

※記事内に広告を含む可能性があります
※記事内に広告を含む可能性があります
みんなのQ&A

こんにゃちは、猫月です😸

質問をいただきました

「猫月さんは、どんな食育をしていますか?」

食育…😀
しょくいく……😐
ショクイク………🤔

ど、どんな食育してるだろう…(うぉい)

こういう時は、指針に立ち戻ることが大事です

厚生労働省は食育について以下のように掲げています

この目標に基づいて、
月齢や年齢に応じた「食育のねらい及び内容」が出てくるのですが
まずは、この「食育の目標」を根っこに置いて
保育することが大事になるということですね

よかった…目標を外した保育はしてないぞー😆👍

これで安心して質問に答えることができます😸

では、今回は私が実践している給食の時間について

以上の5つのポイントにまとめてお話していきます

1冊115円のDMMコミックレンタル!

まずは実践のお話からします

子どもたちと給食の時間の約束としていることです

ザックリこんな感じです
苦手な食べ物は減らせるように器を用意します
減らす量は子ども任せです
自分で「これくらいなら食べられる」を知って欲しいですからね

茶々保育園では、ランチをビュッフェスタイルで提供してきました
(※コロナ流行時は休止したと聞いています)
お腹が空いた時にランチルームへ行き
自分で食べたい物を食べられるだけ盛り付ける
約束は、「盛り付けた物を残さない」こと
子どもたちは自分の身体と向き合い
その日に食べたい量を考えるのです

私は自分が保育で取り組もうとしていることが
保育園としてシステム化されていることに敬服しました

本当の意味で子どもたちの食事に“自由”をとなると
食べる物だけでなく、量や時間帯も保障したいですからね

そうは言っても、実際にはうちの園ではできないことなので
現状でやれる“more better”を探っていくしかないんですけどね

子どもたちの発達を鑑みながらですが
食具についても自分で選べるようにしました
箸、スプーン、フォークを
メニューや自分の扱いやすさに合わせて考えて欲しいからです

大人でも、洋食でも箸を選ぶ人がいますよね
私もパスタを箸で食べることがあります
丼物をスプーンで食べる人もいるでしょう?
そこにも自由があって良いと思うのです

これが私の給食時での保育実践です

あなたはどのタイプ?ライフスタイルに合わせて宅配コースを決めよう

食事の話題では避けて通れないテーマですね

子どもの食べ物の好き嫌いについてお話しします

と言いながら、いきなり脱線🤣

味覚についての話をさせてください
味覚は五感のひとつで
「甘味」「酸味」「塩味」「苦味」「うま味」
五つが基本と言われます

ちなみに「風味」は嗅覚で
「辛味」は痛覚で感じるそうです
辛いモノ好きな人は、痛みが好きということですね🙄

「甘味」「うま味」は三大栄養素(炭水化物、脂質、たんぱく質)
「塩味」はミネラル分
「酸味」は腐敗
「苦味」は有毒
を見分けると言われます

だから、本能的には
「甘味」「うま味」「塩味」は好まれる傾向にあり
「酸味」「苦味」は忌避する傾向にあるそうです

この五味を経験する中で食の好みが形成されていくのですが
子どもの好き嫌いと照らし合わせると
その理由が何となくわかると思います

もうひとつ、食感の話もしておきます
ヒトは食べ物を歯で噛んで咀嚼しますが
歯の神経(歯髄しずい)は、三叉神経さんさしんけいというものにつながっています
三叉神経は脳から出ている大きな神経のひとつです
噛むことの刺激は脳へダイレクトなんですね

味覚と食感の話を踏まえると
「食べられる物」と
「食べられない物」を
子どもなりに判断しているわけです

本能に基づいた判断ですから
大人に「食べた方が良い」と言われても
それだけで「食べよう」と思うのは難しいですよね💦

そんなわけで
私は子どもたちの好き嫌いはあって当然だと捉えています

大人だって、味の好みはありますよね

私にも、好物がありますし、苦手な物があります
和菓子が好き、特に餡子が😋
焼き魚も好きですね🐟
あと何よりも茄子🍆が好き😻
リンゴ🍎はアレルギーで食べられません…
柿🍊は苦手を通り越して拒絶です😱
昔は見るだけで吐き気を催していました…🤢

👩「苦手でも、私は食べますよ」

それは、経験を重ねたからです
「食べたい」物に加えて
「食べても良い」
「食べられなくはない」
という食の幅が広がったからです

私だって苦手だけれど「食べられる」物はたくさんあります
好物ばかりを食べて生きているわけじゃないです

子どもたちだって同じです
「好きな物」と
「苦手な物」だけではなく
その中間にある食べ物がたくさんあるのです

その中でも「苦手」寄りだけど
「まぁ食べられるかな」という物を増やしていく
その経験も「食育」のひとつの役割だと思います

ですが、本能的な危機を感じている子に
大人が「好き嫌いはいけない」と説いたところで
その危機感は払拭されるでしょうか?

【火渡り神事】というものがあります
素足で炎の上を歩いて渡り、厄払いと幸福を祈願するものです
「ほら、幸せになれるんだから渡りなさい」と周囲から説かれて
あなたは「そうなんだね♪」と炎に足を踏み入れられますか?

自分から神事を信じたのであれば渡るでしょうけれど
誰かに言われたからやれるかといえば…
私だったらご遠慮申し上げますね😓

食べ物ですからね
害ある物を食べたら命に関わるのです
子どもが理屈よりも直感を信じるのは当たり前の話です

大人は子どもの直感を尊重しつつ
安心できる食環境を提供する
安心と安全が保障されれば
「これも食べてみようかな?」と興味が湧いてくる

発達心理学の【安全基地】はご存知ですよね
子どもは安全基地を拠り所に、行動範囲を広げていく
好奇心の赴くままに行動し、知的探求心を広め伸ばしていく

食事についても同じです
安心して食べられる物があり
その食事で空腹が満たされる保障があるから
新たな食品を口にできるのです

だから、私は子どもたちの好き嫌いを尊重します

まずは、本能的に安心できる食環境を保障する
その上で、子どもが新たな食品へ手を伸ばすのを見守る

私たちだって、子どもの時から何でも食べていたわけじゃない
徐々に徐々に、食べられる物が増えてきたんですから

焦らなくても大丈夫
「いつか」食べられるようになりますよ

“徹底的に添加物不使用”のお惣菜をご自宅に

急に何の話だと思われるでしょうが🤣

私たちヒトの食欲についての話です

我々ヒトの祖先は、遠くアフリカ大陸で誕生しました

アフリカで誕生したのち、ヒトは地球中にその住処を広げていきます
現在では、南極大陸以外の大陸に生息しています

どうしてそんなに遠くまで生息域を広げられたのか?

それは、何でも食べる【悪食】だったからです

ヒトを含む類人猿は元より雑食性でした
私たちに近いゴリラやチンパンジー、ボノボなども雑食性です
果物🍌を食べているイメージがあるかも知れませんが
チンパンジーは中型動物くらいは狩りで仕留めます
肉🍖を食べるんですね

そんな類人猿の中でもヒトは特に何でも食べる
ヒトが食べて滅ぼした生物も複数いるのです

例えば、マンモス
ゾウの仲間ですが、1万年位前に滅んでしまいました
他にもケブカサイ、ステラーダイカイギュウ、ジャイアントモア、メガテリウムなど
どれもヒトよりも巨大な生物ですが
ヒトに狩猟されて滅んでしまったと考えられています

それに毒があるとわかっている物まで食べる
フグやヒガンバナ、キノコ類の多くも毒性があるのに
わざわざ毒のない部位を探したり、どうにか解毒したりしてでも食べようとする
食べられるようになるまでどれだけの犠牲があったことか…

それくらい「何でも食べたがる」のがヒトの本質です

そう考えると
子どもの好き嫌いがいつまでも続くとしたら
それはかなり危ないサインだと思うんですよ

「何でも食べたがる」のがヒトの本質なのに
本能的な能力が発揮されないほど
その子の食環境は危機的ということです

その危機的状況は、何が生み出しているのか?

自然発生的な要因なのか
社会的環境の要因なのか
それとも人的環境が要因なのか

私はヒトは本来【悪食】だから
いつか子どもはいろいろな物を食べるようになると考えています

だから、今の好き嫌いなんて大した問題じゃない

でも、長く好き嫌いが続くのだとしたら

それは本当に、その子だけの問題なのでしょうか?

その子を取り巻く生活環境に
ヒトとしての【悪食】を妨げる何かがあるような気がします

アマゾンキンドル(Kindle)の電子書籍・ペーパーバック出版代行【パブフル】

続いて、食事のマナー食具・食器の扱い方についての話をします

保育園で計画を立てていると
「最初が肝心」という声が上がります

例えば、子どもが自分で衣服の着替えをするようになると
子どもが着脱をするだけでなく
「脱いだ衣類の始末までできるようにしよう」
みたいな話です

私はこの見解に否定的です

まずは子どもの意欲を尊重したい
脱ぎたいなら脱ぎたいだけで十分なんです
着る意欲までは及ばないなら、そこは大人が援助すれば良い
ましてや脱いだものを裏返すとかたたむとか
そういうものは成長と共に興味も出てくるものです

それが大人の思い込みで
「最初が肝心」とやり始めると
脱ぐことも嫌になってしまう

あなただったらどうですか

料理をやってみたいと思った時に
アンコウの吊るし切りまで教えられたら
スポーツジムへ通い始めた日に
100㎏のウェイトリフティングを勧められたら

想像するだけで嫌になりませんか?

食事も同じだと思うのです

まずは「食べたい」という意欲を尊重する
その上で環境の中に食器や食具を用意する
大人が実際に使っているところを見せる

子どもの意欲を止めないことも大事です
「あなたにはまだ無理」と言う大人の方がムーリー😫

マナーも強要するのではなく
「こうした方が気持ち良いよね」を伝えていく

箸の持ち方だって最初から「正しく」持つのは難しい
意欲があるから、向上していくのですよね

食器を持つかどうかも
世界を見渡せば「食器を持つのはマナー違反」な文化もあります
日本と同じ箸文化の韓国では茶碗を持つのもマナー違反とされています

というか、和食でも持つのは茶碗とお椀くらいで
中皿(鉢)・大皿(鉢)を手に取るのはマナー違反です

世界を見渡せば、日本のように食器を持つ文化の方が珍しいんです
食具でいっても、手で食べる文化の方が多いですしね

マンガ【岸部露伴は動かない】(荒木飛呂彦©集英社)

なんてセリフもありましたね🤭

子どもの食事場面で大事にしたいのは
何と言っても「楽しい時間」であること
それが食欲にも繋がりますし
周囲の人へ配慮する動機にもなります

「最初が肝心」なのであれば
「食事の時間は楽しい」を徹頭徹尾、守りたいですね

総合電子書籍ストア【楽天Kobo】

最後に配膳と下膳についての事例です

当時、私が担任していたクラスは3歳児

子どもたちにマナーを求める前に
大人側のマナーとして配膳がありました

子どもたちを席に着かせてから配膳するのは
無駄に待たせることになります

以前に【子どもたちに話を聞いてもらうために心懸けたいこと】をお話ししましたが

絵本を読む、素話をするなどをしながら配膳するのは
それこそマナー違反だと考えています
子どもが集中して話を楽しめませんからね

大人が配膳をする場合は
別の場所で保育している間に済ませるようにしています

一方で、下膳はというと
子どもたちが食事を終えた後に大人が片付けるのですが
徐々に大人の手伝いをしたがるようになります
それを妨げる理由はありませんから
安全に食器を下げられるように環境を整えていきます

それで下膳が自分でできるようになると
今度は配膳もしたがるようになってきます

下膳時は器が空ですが
配膳の時は当然、食器には食べ物が入っているので
運び方は格段に難しいですね

熱いものなどもあるので
子どもたちにはそれを知らせた上で
やりたい子だけ自分の食べ物を運べるようにします

まぁ、全員がやりたがるわけですけどw

そんなわけで、子どもの動線を含めて環境を整備します
子どもの意欲を妨げる理由はありませんから

こちらとしてはこぼすことも想定内ですが
子どもは子どもなりに意識して配膳するものです

どこを通れば友だちとバッティングしないか
ここは混雑しているから別の皿から運ぼうとか
気付いていない子には声を掛けようとか

かといって、一斉に子どもが動けば混乱するのは予測できますから
先ほどの“くじ”で配膳に動く子の順番も決まります

くじ自体にアタリ・ハズレを設けたくないので
卓に全員が揃ったら取りに行くという約束をしました
くじを引く➡手を洗う➡卓に着く
という手順の中で、自然とタイムラグが発生するシステムです

保育者がテーブルを指名することの無いようにという意味もあります
「上手に座っているから」とかやり出すと
保育者の裁量という意味不明なルールが発生しますので…
あくまで“運”任せです

そんな感じで3歳児ながらに自分たちで配膳・下膳をしていました

とある会議でのこと
5歳児の担任からこんな反省がありました

「これまで配膳はどこに並ぶか、どこを通るか保育者が声を掛けていました」
「就学へ向けて、自分たちで考えて欲しいと思い、声掛けをやめました」
「そうしたら、子どもたちが配膳の仕方がわからないんです…」

ありゃ…これはまずい😓

3歳児が自分の意思で配膳・下膳をする中
5歳児が自分で考えて配膳・下膳が難しい

これは完全に保育環境の問題です

ここで「うちのクラスはできますよ」なんて言おうものなら
ただの燃料投下ですから、そこは口をつむぎます🤐
重要なのは、子どもの主体性を大事にすることですからね
5歳児クラスの担任は、反省を元に環境に手を加え始めているわけですし

さてさて、配膳と下膳を自分で行ったり
自分の食事量を加減したりする中で
子どもたちにある変化が見られました

これは担任も全く意図していなかったことなのですが…

「あれ?最近、残菜が少なくない?」

そうなんです
苦手な物は減らして良い環境のはずなのに
残菜が著しく減っていたのです
日によっては、残菜ゼロのときもありました

好き嫌いを認めたら
好き嫌いがなくなったのです

もちろん、皆無というわけではありません
メニューによってはそれなりに残菜が出る日もありましたが
それでも年度当初と比べたらかなりの現象です

保護者からも「家でも食べるものが増えた」という声がありました
子どもたちは「給食で食べているから」と家で話しているそうです

これは予期せぬ効果です😳

あくまで「食事は楽しいもの」を心懸けてきたのですが
それが子どもたちの意欲を引き出したのかな?と思っています

実はこの話にはオチがついていまして・・・

翌年度に私たちは担任を離れることになりました
持ち上がりの担任がいなかったんですね

まぁ、4歳児になりますし
ここまで育った子たちなら「持ち上がりがいなくても大丈夫だろう」と
私も考えていたのです

ところが翌年、子どもたちの姿がガラッと変わります

給食は残菜だらけ
食事の時間は落ち着かず、園長、副園長が応援に入ります

食事の環境が変わったのです

新担任は持ち上がり担任がいないことを理由に
配膳・下膳は保育者が行い
食具も大人が決めるようになりました
3歳児で箸を使用していたのに
4歳児でスプーン・フォークです
座席も保育者による指定です

子どもたちの思いを想像してみてください

大人から信頼されていた状況から
大人が取り決める状況に変化したのです

どんな思いになったでしょうか?

その答えは子どもたちしかわかりませんが
私が推し量るに
心理的安全性からは遠退いてしまったのではないかな、と

いろいろと考えさせられる事例となりました

ファーストスプーン公式サイト

さて、いかがでしたでしょうか

あくまで私の保育事例ですから
すべての子どもたちに当てはまるわけではありません
その子たちに合った環境や関りがあるはずですからね

今、あなたの目の前にいる子どもは
どんな環境であれば、その力を十分に発揮できそうですか?
どんな環境であれば、楽しく食事ができそうでしょうか

給食もおやつも、楽しくおいしく食べられる時間であって欲しいと思います

コメント

タイトルとURLをコピーしました