“責任”と“後始末”の話

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こんにゃちは、猫月です😺

「自由には責任が伴う」
という話、聞いたことがあるのではないでしょうか

私は、子どもの権利を考えるときに

子どもには、自由に過ごす権利と責任を取る権利があると考えています

「子どもに責任を取らせるの?😳」
と驚かれることも多いですね

ただ、
子どもをひとりの人格として尊重し、
大人と同等の立場として敬意を払うのであれば、
子どもには大人と同様に責任を取る権利があると考えます

「嫌われる勇気」(岸見一郎 古賀史健©ダイヤモンド社)には
行動の責任は本人にしか背負えない主旨の内容があります

食べ物の好き嫌いをして健康を損なうのは子ども自身ですし
勉強を嫌がって授業についていけなくなるのも本人ですよね

それを大人が「可哀想に…」と思っても、
代わりに病気になることもできなければ、
知識を入れ替えることもできないのです

“責任”は本人にしか背負えないもの

これは、普遍の事実です

ただ、「責任を負う」というと「失敗を責められる」みたいなニュアンスを感じますよね

それって、ちょっとズレている

「責任を負う」というのは「行動の結末を引き受ける」ということであって

誰かに責められることとは違うのです

今回は、子どもの“責任”についてと、そこからの“後始末”についてお話していきます

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“責任”って、なんだろう?

【責任】という単語の意味は、辞書で引いていただくとして(笑)

要は、自分のやったこと(やらなかったこと)の結果は、自分で引き受けるということです。

それは、先ほども申し上げた通りで、
サラリーマンになったら、収入は会社の匙加減次第になりますし、
企業をすれば、自分の働き方如何で収入は上下するわけです

どちらが良いという話ではなく、
自分の選択した通りにしかことは運ばないってことです。

もちろん、選択が望んだ結果に結びつくかどうかは別問題ですよ?

人が想定した通りの結果を得られる確率は4%とも言いますし
(パレートの法則に基づく考え方ですね)

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話が逸れましたが、
子どもであっても、
自分の行動の結末を引き受けるのは自分だけ
ということに変わりはありません。

それは、願おうが願うまいが、
そういうものだと割り切るしかないのです。

“責任”を取る権利?

実際には、権利の有無によらず“責任”は必ずやってくるものです。

ところがですね、
この子どもの”責任”を、大人が背負おうとする場合があるんですよね。

例えば、子どものケガ。

保育園ではお子さんを預かっていますが、
時に「お子さんは、お預かりした姿のままで返す」と言う園長がいます。

気持ちとしてはもちろん分かりますが、
一方で子どもには自分の思った通りに行動し、
自信を成長させる機会が保障されなければなりません

悲しいかな、
「ケガをしたら困るから」と遊具の使用を制限する保育園もあります。

「ケガをさせない」を建前に、
子どもが挑戦する機会を損なうのは、
子どもの権利を奪っているのではないのでしょうか?

「いやいや、親としてもそこは子どもを守っていると思うよ🤔」

本当に?

親として子どもの安全を願うのは当然ですが、
子どもはいずれ自立しなければなりません。

大事なのは、
自分で安全と危険を判断できる力を身につけること
危険な目に遭っても被害を最小で食い止めること
危機に陥った際に助けを求められること

そういうリスクマネジメントが自分でできることですよね。

大人に常に守られているということは、
裏返せば、自分の身を守る術を身につけられないということでもあります。

保育園で子どもを敢えて危険に晒すということはあり得ませんが、
子どもが自分で考え、行動し、その結果を体験することで、
危機察知能力を身につけることを保障するのも、
また重要な保育・幼児教育の目的にあるはずです

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それは、安全・危険だけの話ではなくて、
人間関係なども同様ですよね。

友だちとの関りで、
大人が常に子ども同士の関りに介入していたら、

自分の行動が相手にどんな影響を与えるのか―
好意的に受け止めてもらえることもあれば
嫌意的に受け止められてしまうこともある

そういうことも分からないままになってしまう。

人間関係って、100%正解というものはないですよね

だから、いろいろな人とふれ合って、
その人その人との関りを体感的に獲得していくしかない。

大人が「こうすべき」と伝えたところで、
それが万人に通じるものではないことは、
大人こそ知っているはずでしょう?

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大人の責任というのは、
子どもがいろいろなことを体験的に獲得できる環境を整えることであって、
子どもの行動を制限したり、行動を強制することではないのです。

子どもの“責任”を見誤ってしまうと、
それは子どもを過保護に押さえつけてしまい、
子どもが成長する機会を奪ってしまうことになりかねないのです。

大事なのは“後始末”の方法を知らせること

私が保育で大事にしているのは、

「転んだら起き上がる」方法を知らせることです。

「転ばぬ先の杖」という言葉がありますが、
そもそも成功(想定通りの結果)を得られる確率は4%なんです。

人間、トチって当たり前!

かの発明王エジソンは言いました
『私は失敗したことはない。ただ1万通りの上手く行かない方法を発見しただけだ』

電球を発明したエジソンですが、
理想的なフィラメントを見つけるまでに約2000種の素材を試したとも言われます。

子どもの行動なんて、まさにこの試行錯誤の繰り返しです。

大人からすると
「何でそんなことするの😰」
「あーあー、そんなことしたら…😱」
と思うことも多々あるでしょうが、
そんな行動を経験するからこそ、
自分で納得して次の方法を試せるんです。

そして、そんな自分の姿や結果を大人が見守っていてくれるから、
安心して自分の思った通りにいろいろ行動できるのです。

子どもの「好ましくない行動」の背景には3つあると言われます。
・未知:それが好ましくないと知らなかった
・過失:誤ってその行動を取ってしまった
・故意:好ましくないと知っていて敢えてそう行動した

知らなかったことは、知らせれば良い
誤ったのなら、改めれば良い
敢えてそうしたならば?
その動機を探り、より適切な手段を提案すれば良い

子どもが飲み物をこぼした場合、
最終的には自分でこぼしたものを拭きとれるようになって欲しいです

自分でこぼした後始末をできるためには、何ができるようになっていけば良いか

こぼしたことに自分で気づくこと
こぼしたことを周囲に知らせること
ふき取るには雑巾が必要だと知ること
雑巾の在処が分かること
雑巾で拭いてみること
拭き上がりの状態に気付くこと
自分で雑巾を絞れること
汚れた雑巾を濯いで、洗濯に出すこと

ざっと思いついた限りですが、
「こぼした時の後始末」には、こんな段階があります。

「こぼしたものを拭く」と一口に言えますが、
細かく動作にすると、これだけのスキルが必要なのです。

では、子どもが自分で“後始末”ができるようになるためには?

こういった小さなステップを、順々に体験し、獲得していくことですね

こぼしたことに気付かなければ、床は汚れたままですし、
こぼしたことを知らせてくれなければ、大人も気づかないままかも知れません

大人からすれば「当たり前」と思うことも、
実は貢献をしているのです。

そういった子どもの貢献に、大人も気づき、
一緒に後始末をしていくことで、
最終的には「自分でこぼしたものを拭きとる」という
大きな貢献ができるようになります。

子どもに“後始末”を知らせるって、
結局は大人が助かることになりますよね。
そして、お互いが気持ちよく過ごせるようになる。

子どもが自分の行動の結果を引き受けられる、”責任”を取れると、
社会の中で、大きな貢献ができるようになっていくのです。

『失敗の科学』

これは余談ですが、

『失敗の科学』(マシュー・サイド©Discover)という本があります。

遊び予約/レジャーチケット購入サイト「asoview!(アソビュー)」

ミスが改善されていく業界と、
ミスがくり返される業界の違い
について考察された本です。

子どもの責任とは規模は違いますが
「ミス」についての捉え方の参考にはなると思います。
なかなか、面白い内容ですよ。

そして、自分の仕事についても思い知らされる部分が多いです。

「反省」とは何なのか、考えるチャンスにもなると思います。

「”責任”と”後始末”」についてお話してきました。
お子さんとの関りの参考になれば幸いです。

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